言葉を紡ぐ難しさ。

先日のリチャード・マークスさんのインタビューで、曲を書くよりも歌詞が困難になっているとのコメントがあった。人生経験を重ねてきたからゆえ、紡ぐのに責任がいるみたいにおっしゃっていて激しく同感させられた。というのも…。

11月25日に呑み会を主にしたライブを控えていて、ここで書き下ろしの曲をメニューに加えようと考えているのだが、リチャードさんと同様で歌詞に悩んでいる。いや、趣味レベルの僕が同様なんてちゃんちゃらおかしく聞こえるかもしれないが、かつてはどちらかといえば歌詞の方がパンパン書けて、曲がださくてボツにするパターンが圧倒的だった。今めぼしいと思える曲が10曲以上たまっているのに、それらに完成された歌詞が乗っかっている曲が無い。完成一歩手前までいっているものや、曲名とサビはできているものなど、すべてが歌詞で未完成となってしまっている。そんな状況下でたまたまリチャードさんの言葉を受けたのだった。

彼は2コうえの現在49歳である。僕らが知っているかつてのスーパースター時代から、家族との生活と仕事を両立させたプロデュースや作家時代を経て、シンガーとしての活動を再開させて、プロデュースや作家も並行していく、第3ステージに入ったそうだ。子供が高校を卒業して、ある程度家族が落ち着いた段階だからだとおっしゃっていた。そうした部分も微妙にシンクロする。人生のステージによって言葉が重くなったのだと、勝手に思い込んでいる僕だ。

好き勝手に言葉を並べ、初めて曲を完成させたのが15歳のことだった。18歳くらいまでは一応成長しながらその延長線上で「イエー、ダーリン」とか「あふれるようにオンナ」とかそんなんばかりだった。やがて世界の平和とか世の中の理不尽さなどが見えてきて、ワガママに感情をぶつけ始めた。「シビリアン〜」とか、「予感の中で踊っていたい」なんて、ストレートに強くぶつけることばかり目指した。さらに少し進化して、描写の中から理想や考えが見えてくる言葉の組み立てに変化していった。「いつか上海で君と泣けるかな」とか「夜に抱かれてただ落ちていこう」なんてやっている。すべては15歳から繋っていながらにしての変化だから共通する部分はあるが、ともかく現在はテーマを描写する場面を切り取りながら歌詞にしようともがいている…、がうまくいかない。

どうなることやら、もう1ヵ月とちょっとである。雑誌づくりと異なる感性を使っての創作は楽しくあり苦しくもある。そんな僕の苦悩の発表会+飲み放題の宴に、ぜひふるってのご参加を。小さなハコで、完全予約制となっているので申し込みはお早めに。ぜひっ。

●11月25日(日) 13時30分〜16時まで(飲み放題)。2次会ももちろん開催予定。場所は東京都水道橋近くで、ご予約いただいたらご案内します。

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