大久保と西郷。

今週末はイベント仕事で鹿児島に行く。全国各地でイベントを展開できることはつくづく幸せなことであり、続けていけるように努力を怠らないようにしたいものだ。

鹿児島といえばバッと頭に浮かぶのは、明治維新を成し遂げたこの2人の名前だ。以前、鹿児島に訪れたときに2人についてわずかながらだがゆかりの地を巡った。まず向かったのは2人の生家後で、その距離を目の当たりにした。幕末の頃の薩摩は、郷中教育といわれる独特の制度をひいていた。かなりおおざっぱな説明になるが、エリアごとにグループを組み年長者により精神を伝え、武士道を練り上げるというもの。2人は同じグループにいたご近所さんである。ともに薩摩を愛し、やがて日本を変えようと奔走した偉人同士は幼なじみなのだ。生家間を往復していると「利通くーん、遊ぼっ」なんて声が聞こえてきそうなその短さが、西郷を大久保が討つことになった2人の運命をいっそう悲しく感じさせた。西郷が愛した言葉が「敬天愛人」で、同じく大久保は「為政清明」と残されている。この言葉をそのまま交換しちゃっても通用してしまうような、美しい精神が宿っているのは、やはりご近所さん同士でともに切磋琢磨したからだろう。

西郷の最後の地となった城山周りには、おびただしいほどの大砲の弾痕が残されている。これに至らせた政府軍の総大将は大久保であり、幼なじみの2人は国を舞台にしての大ケンカだった。大久保の圧倒的な攻撃力を生々しく見ることができて、これまた悲しく感じさせられる。西郷の墓がある南州墓地には、西南戦争で命を落とした男たちが多く眠っている。近くには勝海舟によって詠まれた「ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが なすがままに 果てし君かな」との歌碑があり、西郷という人物が見えてくるようだ。加えて西郷へ向けた海舟の深い思いが、そのまま言葉になっていて涙を誘う。

ここにあげただけなら半日で十分に巡ることができ、きっと深く感じ取ることができる。僕は加えて城山周辺を丹念に散策して、たった1日ながら充実した歴史探訪になった。書物だけでは感じることができないことをつかめたのは、30歳を前に高知を巡った経験からだった。今回もタイトなスケジュールながら、わずかでも何かをつかみ取ってきたい。

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