第2号の制作現場を振り返る。〜権平兄さんの話が聞きたい〜

第1号でライオンズの渡辺久信監督を取り上げた連載企画
『タメ年のスゴイやつ』(P6〜9)の現場をお届けしよう。

トートツだが、編集長とはいえやっぱり原稿は書きたい。
もちろん何本かは担当しているのだが…。
2月初旬のこと、副編小笠原とこんな会話が繰り広げられた。
 「杉本さん、取材OKが出ました」
 「おっ、やったな。龍馬伝も話題だし巻頭でいこう」
 「誰が書きますか?」
しばし沈黙。
書きたい。
パチパチと性能のよくない頭を動かして計算する。
書きたいが2月9日インタビューという日程はかなりキツイ。
資料を揃えてそれらに目を通して出演しているビデオを見たりという事前の時間と、
録音された2時間のインタビューを文字に起こす作業を経て、
最終的に美しい(ホントか?)原稿にしていくというのは
実作業としてかなりの時間が食われる。

説明しよう。
編集長という仕事は〆切が近づけば近づくほど細々とした作業が増えていく。
全体をまとめ上げるクリエイティブワークが山積みになるのだ。
と言えばカッコはイイが、実のところ雑用めいたことが次から次へと押し寄せてくる。
休みがないのはもちろんで、睡眠時間ももう削れないところに来ている。
作業のスピードで時間を捻出しなければならないというひどい状態なのだが
“書きたい”気持ちが強いライターの自分と、
ここからの作業にできるだけ集中して
雑誌全体のクオリティをあげていきたいという編集長の自分が、
とっくみあいで格闘している。

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の大ファンで
バイク雑誌で龍馬の軌跡をめぐる旅企画を実現させた俺としては、
その兄を演じる男にもちろん興味があるし、現場のテンションなども聞きたい。
 「やりたいなぁ」
 「やっちゃえばいいじゃないですか」
と、決して変態な会話でないことを断っておく。
 「巻頭ですし、やりましょうよ」
俺の中の編集長はOKを出してくれない。
当然でしょう。すでに作業は遅れているし、
引っかかっているのがこの時点で広告がゼロになることがほぼ見えてきていたことだ。
すると、これまた以前にもふれたが、
表紙まわりや企画と企画の間に細心の注意というか、作り込みが要求される。
目立つ場所だからね。
これらの原稿もつくらなければならず、
これは想定外のやっかいな作業が積み増しになったことになるのだ。
でもね、現場好きの俺が勝っちゃうんですよ。
 「うん。やるよ、まかせとき」
 「そうですか、お願いします」
これが俺の弱点でもあるし、強みでもある。
(と、言い聞かせている。だってさ、こういう自分のやり方が吉と出るか凶と出るかなんて、神様だってわからないさ)

『昭和40年男』で書くときの担当編集は、
副編の小笠原ともうひとり社内の人間に依頼している。
2人の赤入れを真剣に聞き、最大限踏ん張ることを自分に課している。
いつも「俺が現場やるときは、意見をハッキリと聞かせてくれ」とお願いしているものだから、
ホントにズケズケと言ってくれる。
でもね、こうしたプレッシャーというか重石がなくなってしまうと、
絶対にいいものが作れなくなる。
わがままで自分よがりな仕事が増えていくと、
いつの間にか最大のお客様である読者とずれてきてしまうから。
客観的に見てくれる人間の赤入れを受け止めて、
もちろん、ただ受け入れるわけじゃなくキチンと咀嚼して飲み込むことを心がけているつもりだ。

こんなことをここで書くのは買ってくれた読者のみなさんには申し訳ない話かもしれないけど、
まだまだ俺発展途上なものなので努力は怠りたくないからだ。
雑誌ができると必ず見ていただく先輩たちも存在する。
師匠みたいな人たちかな。
いつも真剣に意見をくれ、レベルの高い評に感心させられるほどの、
俺にとってはかけがいのないアドバイザーたちだね。
雑誌の完成度という意味ではこうした方々がいて、
現場には現場のお目付役がそれぞれにいることは、ホント幸せなことです。

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