甲斐よしひろさんインタビュー。

昨日は朝からご機嫌だった。それはタイトルが示すとおり、甲斐よしひろさんのインタビュー取材だったからで、なぜか頭の中でジングルしていたのは『観覧車』だった。

『HERO〜ヒーローになる時、それは今』が大ヒットしたのは、僕らが中1の冬のこと。テレビからガンガン流れていたセイコーのCMを、うっとりしながら眺めていた日を想い出す。ザ・ベストテンに出たときの興奮も忘れられない。いい曲だなあという聴き方でなく、かっこいいなあと感じた曲だった。

僕はちょうど洋楽に興味を持ち始めた頃。音楽全般をむさぼるように求め、テレビとラジオ、仲間からレコードを借りてきてはテープに収め聴き込んでいた。国内勢ではチャーやゴダイゴ、ツイスト、原田真二、サザンといった魅力的なミュージシャンが次々と出てきて人気を集めていたが、正直言うとお茶の間臭さを感じてもいた。そんななか甲斐バンドだけはその臭いがせず、孤高を感じさせてくれてカッコよかった。甲斐バンドと出会ったタイミングが中1だったということが、昭和40年男にとってはラッキーであり、ゴールデンエイジだなと大げさでなく思う。このことは昨日甲斐さんに対してもお礼と共に伝えた。「中3でも小5でもなく、中1だったからよかったんです」と。多くの昭和40年男が正義の味方やスポコン漫画の主役をヒーローに見立てて憧れてきた。やがてドラマや映画の主人公や芸能人へとヒーローはシフトしていった。思春期を迎えていろんなことが少しわかってきた中1のときに、曲のままに孤高のヒーローが出現した。それが甲斐よしひろさんだったのだ。まだ色眼鏡をかけていない純粋さがあり背伸びもしたい。そこにジャストフィットして男臭さをガツンと押し込まれた。中3の僕だったら、日本のバンドなんか所詮とか言って、聴かなかっただろう。小5の僕だったらカッコいい曲だなあで終っていただろう。繰り返して強調しておきたい!! 中1の冬に『HERO~ヒーローになる時、それは今』がヒットしたことは、その後の僕らにとってものすごくラッキーだったのだ。

洋楽をメインに聴いていたものの、甲斐バンドは常に意識のなかにあり、魂を絞り出すようなボーカルスタイルに多大なる影響を受けた。洋楽のアルバムライブラリーのなかに、2枚組のライブアルバム『100万$ナイト』が国内代表として堂々と収まっていた。タイトルチューンを何度も何度も繰り返し聴いては、僕の心に突き刺さった。べらぼうな時間をかけて制作されたと宣伝された『破れたハートを売り物に』を購入したあたりから、甲斐バンド熱は徐々に覚めていってしまったが、中1から高1くらいまでの多感な時期に、甲斐さんの歌と過ごしたことはものすごく大きな意味があることであり、同じ想いの昭和40年男も多いのではないか? その甲斐さんが、1時間半に渡って当時を振り返ってくれたインタビューは、次号でたっぷりと掲載するから乞うご期待だぞ。

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5件のコメント

  1. ヒーロー(&タッチ)、じゃなくって甲斐バンドはボブクリアマウンテン3部作でしょう。
    だから解散武道館も行ったし。
    ベタな部分だけで甲斐バンドを切るのは少々繊細さに欠ける、というか甲斐さんに失礼かと。ソロになって直後に出演したジャパンジャム。ヘッドライナーは初来日、人気絶頂のピーターゲイブリエル!
    [コールドブラッド]ではそのピーターが甲斐のバックコーラス! 私はオシッコちびりそうでしたよ!!

  2. 同じ歳なので、リアルタイムな時間がすぎています。
    甲斐よしひろの泥臭いカッコよさに魅かれて今でも甲斐バンドのファンです(笑)

    • ありがとうございます。
      来年はいよいよツアーに出るようなので、ファンにはたまらないですね。行きましょう!!

  3. 僕は39年生まれですが、時々拝読しております。
    ゆく年くる年での年明けCMと、ザベストテンでの中継でヤラれて以来今に至るまで甲斐よしひろを辿り続けているので次号のインタビューは楽しみです。完全再録で息づかいまで伝わることを期待しています。薬師寺も素敵でしたよ。100万ドルナイトの凄みに、しばらく放心状態でした。

    • ありがとうございます。薬師寺行かれたんですか、うらやましいです。セットリストを見ましたが、さすが甲斐さんですね。ファンが望んでいるツボを押しまくっている。『破れたハートを売り物に』で始まって『100万$ナイト』で締めるとは、そりゃー放心するでしょうね。

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