いじめと昭和40年男。

オリンピックと夏休みのおかげで騒ぎが沈静化しているが、いじめは深刻な大問題である。ネット社会だから陰湿だとかの発言をよく耳にするが、僕らの小中学校の頃もいじめはかなり陰湿なものだった。「アイツハブだよ。ハブ」との宣告を受け、地獄の毎日へと向かっていったヤツ数知れぬ。小学校の頃はまだカワイイものだったが中学のいじめは本当にひどかった。なぜあいつがというヤツが突然ターゲットになり、ドンドン悪い状況へと陥っていき、人生さえ左右されてしまったと思われるヤツもいた。

いじめからはちょいとそれるが学校問題として、昭和40年男は中学時代に校内暴力が問題化した世代であり、先生が絶対的な存在から失墜し始めたころとバッチリシンクロする。それでも今に比べれば相当な権威を誇っていたが、残念ながら僕の中学校では先生に暴力を振るう事件が起こった。いい先生だったが、なにかのキッカケがあったのだろう、突然ターゲットになってしまった。当時、こうした校内暴力やいじめ問題について、テレビから聞こえてくる大人たちの言葉にどれほどの違和感を感じたことか。いじめを受けているヤツが先生に相談するなどあり得ない話だったし、チクッたりするのは御法度だった。テレビで語る人ってのは全然リアリティがなく、わかってないなとのギャップをいつも感じていた。今、懸命に語っている大人たちの姿にリアリティはあるのだろうか? 一部まったくピントの合っていない輩もいるが、懸命に呼びかける姿に感動さえしてしまうのは、僕も大人サイドにいるからかもしれない。当事者である中学生たちに、実際の声を聞きたいものである。

昭和40年男たちが育った時代と、現在の中学生たちの状況で確実に変わったのは社会の弱体化だ。大人や先生は怖くない。お上は偉くない。政治家は立派じゃない。子供たちは大なり小なりそう捉えている。僕らのときだって校内暴力があったくらいだから弱体化は始まっていたのだろうが、ここまでひどくなかった。だってね、ベースのところである家庭における親が弱体化しているんだから。こう偉そうに書いている僕自身も、仕事にかまけて子供に対して絶対的な存在でいられなかったことを反省している。だがそう単純に解決できる話でないのは、みなさん共通の問題だろう。今の社会で年頃の子供がいる父親が、そうそう家庭に時間を割くことなんかできないのは当然である。ほとんどの父親がもっと家族に時間と愛情を注ぎたいと思っていながら、でも仕事で稼ぐことこそ家庭の存続なのだと努力軸をそっちに振らざるを得ない。この傾向は残念ながら止められそうにないどころか、社会はサバイバルを要求しているかのごとく厳しさを増すばかりだ。もちろん教育現場の荒廃は、あの問題中学の校長を見ているとよーくわかるから対策は急がれるが、ドラスティックに改善されることは今の教育現場のシステム上難しいだろう。そもそも、もっとも根本にあるのは家庭教育なのだ。でも親が時間を割くのは前述のとおりものすごく困難なことになっている。ならば親の時間が減った分を補填する策を導入するしかない。これから増加の一途となる元気なお年寄りを、家庭教育時間が減ったところに注ぎ込む。お年寄りを活用したコミュニティは、一部地域でチラホラ成功例も出ているようで、今後力点を置いて開発していくべきノウハウであり、いじめ減少への特効薬になるのではないだろうか。もちろん、少ない時間でも親の努力は怠らない上でだが。

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