鎧塚俊彦さんのど根性 〜大編集後記。

 
いつまで続くのだろうと、僕のつぶやきファンの方々は呆れているだろう。が、まだまだ伝えなければならない。いい記事が満載だからなのさ。タメ年男のインタビュー記事の「荒海に生きるタメ年男。」は、タイトルこそ変化しているが 創刊から続く大切なページだ。

 

思い出すのは 創刊当初のこと。“タメ年” をどう設定するかに悩んだ。40年41年生まれ双方の早生まれの存在である。他の年齢の方々も多く読者さんとして取り込んでいる『昭和40年男』ではあるが、“年齢限定雑誌” がコンセプトである。なのでタメ年という言葉にはこだわらなければならない。そこで大問題になったのが早生まれで、40年だと1学年先輩である。だが昭和40年男には違いないのだから、入れないわけにはいかないとした。一方、昭和40年男じゃない41年の早生まれはどうする。だが、同じ教室で学び成人式も一緒に出席した仲間を外すことができるはずはなく、結局双方をタメ年と呼ぶことにしたのである。

 

とまあ、長い前置きになってしまったが、がんばるタメ年男の言葉でがんばる気持ちになれるこの連載は、僕自身大好きなページだ。今回はパティシエの鎧塚俊彦さんの登場である。川島なお美さんの旦那さんとしても知られるが、そこにはほぼ触れていない。言えば触れる必要がなく、彼の仕事への信念が見事だからである。

 

29歳で欧州へと飛び、で8年間修行した。困難の日々だったそうだが、出会いの数々によって成長したと振り返る。帰国して店をオープンすると時の人になり、今現在も業界の第一人者として大活躍を続けている。だが第一人者らしい危機感をのぞかせる。パティシエ人気ランキングで今年も1位になった彼が言うのは、上位の顔ぶれが同世代で10数年前から変わらないとのこと。喜ばしいことではないと語っている。そして、頂点に立ち続ける男だからこそ、日本への危機感にまで話は及ぶ。この辺のくだりはまさに僕も同じ思いであり、願いでもある。こうした思いの同世代は多くいると感じている。

 

耳が痛いのは、気力と体力維持のために、好きなお酒を節制しているということだ。イタタ。そこまでがんばれないよと言うなかれ、きっと読めば元気モリモリだ。共にゆこう!!
 

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