ジャパン、魅惑への招待。

 

なんだか発売したばかりの カワイイ妹 (『昭和45年女・1970年女』vol.9) の 大編集後記のようになっているが、一昨日の ダイアモンド☆ユカイさん同様に、どうしてもつぶやいておきたい記事が今日のビジュアルで、ジャパンのページが組まれている。

 

音楽雑誌『ミュージック・ライフ』を初めて買ったのは忘れもしない、1978年の12月20日だった。洋楽の情報を探しに何げなく書店に行った日が、『ミュージック・ライフ』の1月号の発売日だった。編集長によってパワー掲載されていたのが、クイーンやチープ・トリックといった日本が発掘したバンドだ。「ミーハーは素敵な合言葉」と宣言した東郷かおる子さんによって、僕はどれだけロックの知識を広げることができただろう。中1で誌面を通じて知った彼女と、中3で知った『ギター・マガジン』編集長の 川俣 隆さんは、僕に生きる光を与えてくれた恩人であり、今に強く強くつながっている影響を与えてくれたご両名だ。

 

『ミュージック・ライフ』を読み始めた当時、推しまくっていたのがジャパンである。海外ミュージシャンは欧米を主戦場にしていたと思い込んでいたから、“JAPAN” でいいのかよと子供心に心配だった。が、そんな心配なんかより、中性的な魅力と毒々しさには写真を通じて参ってしまった。妖艶という言葉を初めて深く理解した存在でもあった。レコードを買うべきかと散々悩んでいたところ、FMで初期の2枚『果てしなき反抗』『苦悩の旋律』(すばらしい邦題だ) のほとんどを流してくれる特番があり、当然ながら録音して聴きまくった。これによってジャパンへの散財は免れることができたが、大人になってからこの2枚はCD棚に納めた。後に東郷かおる子さんは、音楽性は異なるもののその存在感でのアピールが似ていたハノイ・ロックスをぶっ込んできて、こちらは見事にファーストとセカンドを購入してしまった。しかも新品だから5,000円の投資だった。

 

さてジャパン。今回の記事は「すみれ September Love」のヒットで知らぬ同世代はいないだろう、元・一風堂の土屋昌巳さんがインタビューに応じてくださった。土屋さんといえば、ジャパンのサポートギタリストとしてツアーに参加した方で、そのニュースをやはり『ミュージック・ライフ』で知りビックリ仰天した。そんな彼だからこそ話せる内容が貴重である。

 

ジャパンは活動期間こそ短かったが、その進化というか前作からの飛び具合は、当時他にはあまり見られないほどだった。言ってしまえば、ファーストアルバムはかなり荒削りであるが、僕はそこが好きなのだ。3作目には演奏もアレンジもほぼ完璧なバンドへと昇華したが、棚に入っていることでおわかりのとおりファースト&セカンドが大好きだ (冗談抜きに邦題のせいかも) 。「オートマティック・ガン」を聴くと一瞬にして中坊へとタイムスリップできる。そんな僕がじっくりと楽しめたのだから、ジャパンファンのみなさんはこの貴重な記事は絶対に見逃さないようにしてほしい。ぜひっ。
 

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