好きだからあげる。

「仲畑さんのインタビューに行ったんだよ」

「絶好調どころか絶不調なのによく受けてくれたね?」

「そっちじゃないよ。好きだからあげるの仲畑さんだよ」

昨日のこと、コピーライターの仲畑貴志さんの事務所にうかがい話を聞いてきた。仲畑さんは、僕の人生に大きな影響を与えた人物の一人だ。ミュージシャンになりたい夢に向かって走っていた僕だが、いつからか広告の世界にも興味を持った。その原因が仲畑さんなのである。

資料を見るとこのコピーが生まれたのは昭和55年とのことで、丸井のギフトのキャッチコピー “好きだからあげる” はなぜか強烈に記憶した。その時点でコピーライティングとか職業としての意識はなかったが、何かが僕の琴線に触れたのだろう。少し時を経て、広告の専門書のようなもので読んだのが、このコピーの背景だった。それまでギフトは特別な日に贈るものだったのを、日常的なものにシフトさせようとこの名作コピーは生まれた。カッコいいなと感じたと同時に、コピーライターなる職業の存在と広告の世界がなんたるものかを理解した気がした。そして強い憧れを抱いた瞬間だった。最終目的は企業の利益追求かもしれないが、プロセスは音楽とまったく一緒だ。たった8文字でその目的を達成できるコピーの世界は、まるでサビやAメロの出だしのようなものだ。しかし、ロックンロールクレイジーの僕がそんなキラびやかな世界に足を踏み入れられるはずもなく、別世界のことと思っていた。

勤めていた居酒屋をある日クビになった。息子は保育園に通っていたから、これを機に昼間の仕事に就こうと職種を変えることを決心した。このとき無謀にも広告系の面接を何社か受けたのだった。
「コピーを書きたいんです」「普段から何か書いてますか?」「バンドで詞を書いてます」

いま振り返ると大爆笑だが、本人は大真面目だった。世はバブル時代で、高卒のロック野郎でも雇ってくれるという広告会社があり、その中の一つで丸井の仕事をやっている所を迷わず選んだ。“好きだからあげる” に負けない仕事を目指そうと、希望に燃えて広告業界に入った。ライブの日には有休をくれるというのも、決定の大きな要因だった。

その後、広告制作会社を設立して、やがて出版に手を出し今に至っており、すべて “好きだからあげる” が今の僕に繋がっていることになる。なんと壮大なストーリーだろう。しかも昨日のインタビュアーは、僕を音楽の深みへと誘った雑誌、『ギター・マガジン』の初代編集長であり、現在は『昭和40年男』の編集部員として手を貸していただいている川俣氏だ。僕の人生を狂わせた (笑) 2人が、僕が生み出した雑誌に向けて言葉を交わしていて、そこで僕は仲畑さんの姿を写真に収めていた。人生とはなんとも摩訶不思議なものである。
 

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