リアル “ドカベン” 香川まさかの敗退まで的中!? “球道くん” 中西も活躍…!『日本野球はいつも水島新司マンガが予言していた!』公開第2弾!!

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(※以下、オグマナオト著
 『日本野球はいつも水島新司マンガが予言していた!』p.040~043 を再構成し掲載 )
 

〈現実とシンクロ〉

■現実になった『ドカベン』と『球道くん』。
 甲子園を席巻した香川伸行と中西清起

▲秋田文庫『大甲子園』第1巻

水島高校野球マンガの「打」の主役、といえば『ドカベン』の主人公、明訓の山田太郎。その豪打ぶりで多くの野球少年のあこがれの的になり、現在40代、50代のプロ野球OBに話を聞けば、「ドカベンにあこがれて甲子園を目指した」「山田のバッティングにあこがれた」といった声はけっして珍しいものではない(『大甲子園』文庫版 の各巻末には、そんなプロ野球選手たちの声が収められている)。
 
そんな『ドカベン』によって野球人生が大きく変わった人物といえば、「ドカベン」のニックネームで公私ともに呼ばれることになった元南海・香川伸行だ。「ドカベン」と呼ばれ始めたのは大阪の名門・浪商に入学した 1977年 秋。近畿大会での活躍ぶりから「右翼にも本塁打を打てる右の大砲」とスポーツ紙で評価され、山田太郎と同じ太目体型、キャッチャー、スラッガーといった特徴から「ドカベン」の見出しがつき始めたのだ。しかも、水島本人から「山田太郎のイメージにぴったりだ。がんばれ」と激励メッセージまでもらったことで、それまで「ブーちゃん」と呼ばれていた男が「ドカベン」として全国区になったのだ。

「ドカベン香川」はその後、1978年 春 と 翌 ’79年の春・夏、計3度甲子園に出場し、甲子園通算ホームランで当時の歴代1位となる5本をマーク。体格面だけでなく、まさに山田太郎さながらの打棒で、プロでも「ドカベン」の愛称で人気者となった。
 
そんな「ドカベン香川」の存在について、水島は『別冊宝島 ドカベンPERFECTBOOK』でのインタビューで、「『ドカベン』で野球を始めたという読者の声は多いが、香川の影響も大きい」として、こんなコメントを残している。

引き金を引いたのは、やはり香川でしたね。山田ソックリなヤツが出てきたわけじゃないですか。ビックリしましたよ。それも補欠とかスタンドで応援している野球部員じゃなく、レギュラーでキャッチャーで4番で、しかも甲子園をわかせたホームランバッターですからね。

 
水島高校野球マンガの「打」の主役は山田太郎で揺るぎないが、「投」の主役は誰か?

▲「球けがれなく道けわし」のモットーが描かれた、小学館 スーパー・ビジュアル・コミックス版『球道くん』第5巻

意見が分かれるところだろうが、筆者は『球道くん』こと、青田高校の中西球道を推したい。「球けがれなく道けわし」をモットーに生きた160キロ右腕は、高3のセンバツ甲子園では全試合完封勝ち。
博多どんたく高校との決勝戦では23奪三振を記録して完全試合も達成した。別項 (引用元 p.208 ※本記事では未掲載) でも詳しく触れるが、水島野球マンガの世界における歴代最速ボールを投げるのも、この中西球道だ。

『ドカベン』人気をきっかけに「ドカベン」のニックネームで呼ばれた選手がいたように、『球道くん』のニックネームで呼ばれた選手も登場した。中西球道と同じ姓を持つ高知商のエースで、のちに阪神でも活躍した中西清起だ。高校入学後に「ドカベン」の異名で呼ばれた香川と違い、中西は中学時代から「球道くん」と呼ばれ、しかも水島新司とも対面を果たしていた。そのときの様子を、中西清起自身が『大甲子園』文庫版11巻 の解説で詳細に記している。

中学最後の年、高知県大会で優勝して、高校でも野球をやれる自信と道が広がった。そんなとき、水島先生が私を訪ねてくださったのだ。「甲子園で会おう」そう、水島先生が言ってくださって、私は再会をお約束した。高校でも野球をやろうと決めていた私にとって、甲子園で活躍することが一番の目標になっていたのだ。

秋田文庫『大甲子園』第11巻は、解説に中西清起氏が登場。帯にも “ドカベンVS球道くん、世紀の一戦~” の文字が

ふたりの希望と決意は翌年、早くも結実。中西清起は高知商入学直後の1978年夏、第60回選手権に出場。控え投手の立場ではあったが準優勝を経験した。さらに、1979年春のセンバツでは、ドカベン香川のいた浪商とも対戦。中西に登板機会がなく、「ドカベン vs. 球道くん」の夢の対決は幻に終わり、チームも敗れてしまう。だが、最終学年で迎えた 1980年 春、第52回センバツ大会では、大会ナンバーワン投手の前評判どおりの見事なピッチング。1回戦から決勝までの5試合をひとりで投げ抜き、高知商に悲願の初優勝をもたらしたのだ。
 
「ドカベン」香川伸行と、「球道くん」中西清起……彼らの存在は「水島予言」というよりも、作品が選手の認知度とモチベーションを高め、選手の活躍によって作品の認知度もさらにアップするという、互いが高め合う関係性にあったと言えるだろう。
  
(了)
 


 
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