リアル “ドカベン” 香川まさかの敗退まで的中!? “球道くん” 中西も活躍…!『日本野球はいつも水島新司マンガが予言していた!』公開第2弾!!

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おはこんばんちはです!
先日に続いて、書籍本編からの無料公開第2弾! ということで、今回も「S40ニュース!」をちょこっとからめつつの「Web特集」としてお送りします。
 
 
今年の頭、2022年 1月に惜しまれつつもこの世を去った、野球マンガの巨匠・水島新司先生。
「このシ-ン、どこかで見たことがある!」と感じた時… それは往々にして水島先生によってすでに描かれていた!? その作品群のすべからく全てが、日本野球の予言の書であった!!

そんな、“描いたことが次々と実現していく驚愕の歴史” を掘り下げた書籍『日本野球はいつも水島新司マンガが予言していた!』(ごま書房新社) が発売中です。  
こちらの本は昨年、伊藤 蘭さんのコンサートレポートを寄稿してくれた “全キャン連” 代表の 石黒謙吾氏がプロデュース&編集を手がけ、『昭和40年男』『昭和50年男』本誌でも活躍中の “文化系スポーツライター” オグマナオト氏が執筆したもの。

そんなご縁もありまして、その内容の一部を当Webサイトで公開! 

で、前回を読まれてない方は、そちらの「はじめに」を読んでいただくと、どんな主旨の本かよくわかると思うので、ゼヒご覧いただきたいんですが、続く今回は… 水島マンガそのまんまのような選手が現実の高校球界に現れた!? そんなリアル「ドカベン」、大阪体育大学付属 浪商高校 の 香川伸行 選手と、さらに「球道くん」中西清起 選手のエピソードを転載。

今年は『ドカベン』50周年!
…ということもありますし、野球マンガファンも高校野球ファンも、この後ゼヒご一読を。
楽しめたら、書籍の方も手に入れて読んでみてくださいね~。
 
(「昭和シリーズ」 “Web担当A” )
 


 
(※以下、オグマナオト著
 『日本野球はいつも水島新司マンガが予言していた!』p.036~039 を再構成し掲載 )
 
 
完全クロニクル
「水島予言」&「時代とのシンクロ」
【前編】1970 -1993
  “「野球マンガ本格始動」から「伝説の5打席敬遠」まで” より
 

【水島予言】1979.8.17・ドカベン擁する優勝候補・明訓、まさかの敗退 →【現実世界】1979.8.20・ドカベン擁する優勝候補・浪商、準決勝で散る

 
■『ドカベン』がニュースになり
 伝説になった、虚実混在の4日間

「高校野球史上最高の試合」はどれか? そんな問いがあったとしても、年代、出身地、試合映像を見たかどうかなどによって、評価は大きく変わるだろう。それでも、1979年 8月16日、夏の甲子園3回戦、星稜 vs. 箕島 の死闘は、後年まで語り継ぐべき試合として多くの人に知られている。延長18回、3時間50分に及んだ熱戦は、あまりに劇的すぎる試合展開であり、「伝説の試合」「神様が創った試合」として賞賛を集めている。
 
引き分け再試合になりがちな「延長18回の死闘」がその最終イニングで決着がついたこと。その18イニングを両チームのエースがともにひとりで投げ抜いたこと。延長になってから2度も勝ち越しと同点をくり返したこと。さらには野手の転倒直後のホームラン、隠し球、病をおしての出場……。「マンガのような激闘」という表現をする人がいても自然な、まさにドラマに満ちた一戦。翌日のスポーツニッポンでは、“甲子園の詩人” としても知られる作詞家の 阿久 悠 が「最高試合」という詩を寄せ、この試合を讃えた。

▲明訓 vs. 弁慶のエピソードが収録された、少年チャンピオンコミックス『ドカベン』第40巻

だが、この試合を報じる翌日の紙面では、さらに衝撃的な見出しが踊った。「ドカベン今日散る!」……無敗伝説を誇った『ドカベン』の明訓高校敗退の一報が「広告」という形ではあるものの、5段スペースの大きな扱いで掲載されたのだ。
 
1979年 8月17日発売の『週刊 少年チャンピオン』で、大会連覇と春夏連覇の偉業を目指していた常勝・明訓高校と岩手代表・弁慶高校の死闘がついに決着。その結末は、まさかの「明訓敗退」。結果的に、この黒星が『ドカベン』『大甲子園』を通して高校3年間で唯一の敗戦となり、読者に鮮烈なインパクトを残す伝説の一戦となった。
 
後年、水島新司はこの一戦を「負けさせるべきではなかった」と何度も悔やんでいる。たとえば、伊集院光との対談が収められた『球漫』では、次の言葉を残している。

弁慶高校の、武蔵坊と義経のキャラクターが良すぎたんだろうね。明訓を破るっていうストーリーを作るなら、このふたり以外ないなって思うくらい、キャラクターを気に入ったんです。けど、あれは後悔してるよ。やっぱり少年マンガは主人公が負けちゃダメなんです。たったひとつの負けだけど。 

まさに本家の 武蔵坊弁慶 と 源 義経 のごとく、走者・義経の活路を作るために送球を額で止めてダイヤモンドで立ち往生した武蔵坊数馬と、その助けを受けて八艘 (はっそう) 跳びで決勝点をもぎ取った 義経 光 。このふたりによる明訓撃破が『週刊 少年チャンピオン』誌面に掲載されるや、翌日以降のスポーツ紙や週刊誌では「ドカベン敗退」が “ニュース” として次々報じられていった。マンガのなかの架空の出来事にもかかわらず、だ。
 
だが、水島予言はまさにここからが真骨頂。「ドカベン今日散る」から3日後の 8月20日、今度は「リアルドカベン」こと、浪商の香川伸行がまるで本家ドカベンのあとを追うかのように甲子園で敗れたのだ。明訓同様、浪商もこの大会では、前述した箕島とともに優勝候補と目されていただけに、「ドカベン散る!」はまた大きく報じられた。
 
この大会でのドカベン香川の存在感は、まさに「山田太郎クラス」。2回戦、3回戦で2試合連続アーチを放つと、準々決勝の比叡山戦で大会史上初となる3試合連続ホームランを放ったのだ。この時点では本家・山田太郎もなし得ていないまさに前人未到の大記録であり、リアル世界でものちに清原和博ら8人が記録したが、いまだに抜かれてはいない。
 
いずれにせよ、甲子園史に名を残した “ふたりのドカベン” が立て続けに敗れるという、神がかり的な展開によって、『ドカベン』は伝説の存在になったのだった。
 
 
(次ページへ続く→
 ■現実になった『ドカベン』と『球道くん』。甲子園を席巻した香川伸行と中西清起  [2/2] )

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