ミック・ジャガー初来日 〜大編集後記。

 

発売からもうすぐ2週間の最新号 (vol.72) は元気に戦っているようだ。それを後押しする大編集後記は大切な僕のミッションなのさ。今日は連載特集の『夢、あふれていた俺たちの時代』の記事から、ミック・ジャガー来日を取り上げよう。

 

今回、この特集でフォーカスした昭和63年ストーンズは最悪だった。ミックは昭和60年に初のソロアルバム『シーズ・ザ・ボス』をリリースして、それを聴いた僕はひどく落胆させられた。さらに、同年にデヴィッド・ボウイと「ダンシング・イン・ザ・ストリート」を発表した。あのPVを観た瞬間に僕はストーンズの完全なる終焉を感じ、ミックは「ミッドナイト・ランブラー」を捨てたと強く強く烙印を押したのだった。翌年になんとかかんとかアルバム『ダーティ・ワーク』をリリースしたがつまらなかったし、本当に終わりだとしか思えなかった。しかし、こうした駄作って後で聴くとおもしろかったりするものだ。エアロスミスが空中分解を起こした「ナイト・イン・ザ・ラッツ」や、その次にジョー・ペリーを欠いて制作した『ロック・イン・ア・ハード・プレイス』も今あらためて聴くといとおかしである。が、中学時代よりずっと育ててもらってきてのストーンズの、そしてエアロもだがその変化にはついていけない。歓喜して迎えたキース・リチャーズのソロアルバム『トーク・イズ・チープ』は、キース贔屓でなければとても楽しめるものでなかった。

 

とまあ、ストーンズの歴史上もっともまずかった時代に、突如ミックが来日したのだ。僕は完全に無視した。どうせソロアルバムからの曲が中心に組み立てられるのだろうと思ったし、キースが横にいないミックなんざミックじゃねえと捨て去ったのは、やはり若すぎる否定だなと今なら言える。今回の記事に掲載されているセットリストしかり、その後のストーンズの長寿な活躍しかり、この歴史的現場に立ち会っていないことは今なら言える、もったいないねーと。

 

記事はこの来日を撮影し、ストーンズの初来日公演以降の全てでオフィシャルカメラマンとして活躍する、昭和35年男の有賀幹夫さんの証言で構成した。これはよい。当時の自分の愚かさを精算してくれるかのような兄貴の言葉の数々が沁みる。そして写真のミックはやはりどっから見てもかっこいい。当時44歳の彼で、おっ、僕が『昭和40年男』を立ち上げた時とタメ年じゃないか。だからなんだって? そうですな、そんなことはどーでもよいが、必読の記事と必見の写真でストーンズフリークたちは楽しんでくだされ!!
 

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1件のコメント

  1. このミックやストーンズの来日公演、当時やってたバイトで設営してたんてすけど、ライヴ以外のバックステージの方が楽しめた気がします。笑

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