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■一睡もできなかった夜… 朝の緊急集合でも心は真っ暗闇
取材・文: 石黒謙吾
そして、あの ’77年夏。前年同様『サマージャック ’77』が始まることに。僕たちは夏休みに何日か続けて観る計画を立てた。さすがに、ツアーに付いて行きっぱなしというのは資金的に無理なので、3日連続1セットあたりを基本に予定を組む。『サマージャック』初日だけはスペシャルな設定で、夏休みに入る前、7月17日の日曜日に日比谷野音。この次のライブはかなり飛んで7月29日の福井・小浜で、そこからは連日詰め込み気味のスケジュールだった。
<野音は行きたい。でも、1ステージのために東京と往復するのは限られた資金の有効な使い方としてもったいない。そのお金を後のために回した方が少しでもたくさん観るために効率的。しかも翌日は月曜だから、夜行の急行で一晩かけて帰ってきてもそのまま学校だしな…>
4人組で話をしていた結論はこうなったのだが、なぜかこの時、大井だけは行くという。しかも一人で。やるなぁ、気合入ってるなぁ… とその決断自体はさして気にもせず、じゃあ、がんばってきて、などと言いながら当日を迎えていた。そして冒頭の電話となったのだ。
大井が電話してきたのはライブ後いくらも経っていない頃だったはずだが、それでも夜9時から10時の間ぐらいだっただろうか。開演時間が日曜なので早かったとしても、8時はゆうに越えていたと思う。この後、テレビやラジオのニュースで解散宣言の話題が流れたかもしれないが、あまりにも呆然としてしまって記憶が曖昧だ。
深夜、頭と心を混乱させたまま、睡眠とらないとマズイな…と無理やり布団に入ったが、詳しいことが何も分からない不安や解散宣言の衝撃がぐるぐるとループして結局一睡もできず、朝6時に自転車で今村宅に向かった。越野も合流、そして東京から着いた大井が金沢駅ロッカーに置いてあった学ランに着替えて到着した。
小さな古い木造家屋の2階。狭い部屋の畳の上に車座になった4人。まずは大井が野音のラストの状況を話す。
「『DJL (ダンシング・ジャンピング・ラブ)』が終わったら、突然、ステージでしゃべるのが止まって、ランが、私たち今度の9月で解散します!って泣きながら言って、スーとミキも抱き合って崩れるみたいになってん。そしたらもう会場じゅう大騒ぎでステージに走り出すやつがいっぱいおって、警備員ともみくちゃになって。怒鳴り声やら絶叫やら号泣しとるヤツとかもうめちゃくちゃや。MMP (バックバンドのミュージック・メイツ・プレイヤーズ) だけ音は弾いとって、3人はずっと泣きっぱなし、そんで客は迫ってくるしで、舞台上でスタッフに抱えられて引っ込んだんや」
「その後もまた出てこないかとかで客席は帰りもせず。『やめないでー!』って叫ぶわ泣くわで大騒ぎでめちゃくちゃ。終演のアナウンスみたいのが流れたようやけどよく覚えとらんわ。ほんでももう、しょうがないから会場を出て、電話しようといくつか並んどる公衆電話に行ったら、ものすごい列ついとるんや。だいぶ待ってやっと回ってきて。10円玉6枚しかなかったからストンストン落ちてあっという間やったね…」
後の3人はポツポツと質問を続けるが、それ以上のことはわからない。言い合っていたことはただ一点。
「これからどうする?」
今思えば、芸能人の身の振り方に対して、地方の高校生がコミットできることなんて1ミリもないのに、自分たちがどうしようが無力である。しかしその時点で、自分たちの将来や人生が真っ暗闇となったから、こういう言葉しか出なかったのだ。
「どうすらいいがかな…」
「9月ってすぐやぞ…」
4人は2時間、一度も笑顔などなくどんよりと、とぎれとぎれに話をして、それぞれが夢遊病者のように登校していった。
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