あいさつにまつわる悲哀!?

もうかれこれ20年以上、団地住まいである。お付き合いの薄い住人との接触機会の多くは、エレベーター前だったり、中に入る時だったりする。赤いランドセルの少女が1人で乗っているところに乗り合わせ、「おはようございます」と元気に声をかけると「シーン」が返ってくる。およそ8割の少年少女たちがこれだ。

 

僕は以前この団地の自治会に参加したことがある。イベント係を仰せつかり、夏祭りや餅つき大会、消防訓練や落ち葉清掃などに汗を流し、ご近所との付き合いがグーンと近くなった。参加してよかったと思っている。長く自治役員を務めてらっしゃる方もいて、住民のことを心から思い活動をしているのには頭が下がった。僕も任期の2年を超えて居座ろうかとも思ったが、自治会の活動は土日が多くてイベント仕事とバッティングしてしまうことが多く、かえってご迷惑をかけるからと任期満了で離脱した。順番の持ち回り制なので、次に巡ってきたその時にまだこの団地に住んでいたら、長く続けて生き字引みたいになってやろうと企んでいる。

 

脱線してしまった、あいさつの悲哀である。自治会のミッションで、夏休みのラジオ体操のスタンプおじさんを担当したことがある。首にぶら下げてきたカードにハンコを押す係で、懐かしい光景を思い出しながら喜んでミッションにあたった。今も子供たちはラジオ体操にくるんだなと感心する一方で、元気に「おはようございます」と声をかけるスタンプおじさんに対して、返事する子はごくわずかだ。エレベーターで見知らぬおじさんに声をかけられて無視するよりも、こちらの無視の方がハードルが高いというと変な表現だが、なんてったってこちとらスタンプを押してくれるやさしいおじさんである。それを無視するたあ、一体どうなってやがるんでいっ。と、自治会の会議で挙手提言した。わずかながらの議論を交わした結果、団地があいさつを強要するご時世ではないものの自治会でがんばろうという御沙汰がくだった。日頃から声を出してあいさつに努めようと我々が率先することで、団地全体に少しでも光が差せばと取り組みいい傾向は見られていた。が、時は流れその誓いを立てた自治会員はほぼ残っておらず、去年よりはコロナで自治会自体が休眠している。ただうれしいのは、この時のメンバーとは元気に声をかけ合っている。

 

そもそもだ。子供ばかりを責めたが「シーン」で返す大人がじつに多い。つまり、親がそうしないのだから子供があいさつをするはずがない。東京下町荒川区にあった実家はうるさかった。いや、町中もうるさかった。中学に入ると先輩に挨拶なしではボコボコだ。挨拶を交わすことが、現代社会では無駄なことに成り下がっているのだろうか。家の教育に始まり、地域や学校がさらによき方向に導くべきである。学校だけに押し付けても無理だし、ましてや自治会のスタンプおじさんには限界がある。でもね、あきらめない巳年だから、いつだって元気にランドセルの少年少女に声をかけるのさっ。ちょっぴり悲しいのは、大人たちにも同じ努力を毎日繰り返していることなのさっ。ただ、もっと奥の方のことを言えば、返ってくることを期待している卑しさを拭った方がいい。「練れてねえんだよっ、56歳にもなって」と、自分に説教している自分もいる。
 

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