
本誌『昭和40年男』では、男性だけでなく毎号女性にもインタビューしてきた。
やはり男たるもの、女性からのエールはいつになってもうれしいもの。
これまでに銀座のママに登場していただき、“イイ男とダメ男”について語ってもらったり、
同世代からの声としてピンク映画監督・吉行由実さんに登場してもらったり、
あるいはアイドルとして活躍し、現在はママドルとして生きる早見優さんに当時のエピソードを聞いたりしてきた。
今回はあの大場久美子さんにご登場いただき、
いろんなエピソードや読者へのエールを聞いてきた。
インタビューを担当してくれたのは、
女性ならではのやわらかな視点でインタビューしてくれる葉月さんだ。
前回の早見さんの取材でも同姓の強みで早見さんのあれこれをうまく引き出してくれた。
そして撮影はいつもお世話になっている鈴木敏也さん。
あのスティービー・ワンダーの撮影もしたことがあるというスゴ腕で
被写体の魅力を短時間で引き出してくれるカメラマンだ。
インタビューの現場というのはあらゆる制約を受けるので、
ときに撮影時間が5分程度しかなかったり、撮影スペースが異様に狭かったり、
被写体からのリクエストが困難だったりすることもある。
敏也さんはそんなときでも、状況にあわせて魅力的な写真を素早く撮ってくれる
とっても頼りになるカメラマンなのだ。
今回は取材時間・スペースともに十分に確保できたため、
じっくりと取材に臨んでもらえたと思う。
いよいよ大場さんが会場に現われると、現場の雰囲気が一気に華やかに。
テレビなどから想像するよりも小柄で、失礼ながらとっても可愛らしい。
まるで当時と変わらないというのが第一印象だ。
だが、インタビューがスタートすると、そんな可愛らしい印象とは裏腹に
芯の強い、男勝りな一面なども垣間みえる、非常に面白い取材となった。
想像外の面白エピソードに、爆笑してしまうことも。
当時、コメットさんに憧れたという昭和40年男もきっと多いはず。
大場さんの記事は9/11発売の『昭和40年男』に掲載予定ですのでお楽しみに。
◆副編集長:小笠原
北海道生まれの35歳。自分でコーヒーを豆から淹れるのが好きなのだが、最近は暑さのあまりホットコーヒーを飲む気になれず、会社の近所の安い喫茶店でアイスコーヒーをテイクアウトするのが日課に。早く買い置きの豆を使いきらないと酸化してしまう!
先日、北海道からお伝えしたとおり、45回目の誕生日を迎えた。
きっと同じように感じている人もきっと多いと思う。
45歳ってこんなに子供だったのか?と。こんなにバカだったのか?と。
親父のことを想い出した。
俺が12歳の時の親父は、今の俺なんかよりもっともっと立派で、もっともっとたくましかったような気がする。
技術しか取り柄のない電気屋の主人で、あそこで直らないテレビはもう買い換えた方がいいという評判が自慢だった。
やがて電気製品は壊れなくなり、親父の技術は行き場を失っていったのだが…。
12歳の頃の親父はガンガン売りまくっていて、よく納品の手伝いにかり出された。
今も夏になると想い出すクーラー取付は、特にしんどい作業で
だいたい3時間くらい2人で大汗をかきながら作業する。
テスト運転で出てくる冷たい風が、お疲れさまと褒めてくれるみたいで大好きだった。
クーラー取付で想い出す、ドリルで壁に穴を開ける作業がイヤでねぇ。
たぶん俺も親父もいろんな物質を吸い込んでいるよ。
作業中にケガをすることもしばしばあり、ドバッと血が流れると
ビニールテープでグルグル巻きにしてがんばる親父が、すごくかっこよかった。
“男はだまってサッポロビール”というコピーが大好きで、
息子が「なんでこんなにやかましいのだろう?」と思うほど、行動で自分を示す男だった。
とにかくバリバリだったなあ、親父の45歳は。
一番仕事がノリに乗っていた時期かもしれない。
さあて、俺はどうかな?
人生50年。後5年のつもりで生きていこうと自分に言い聞かせてみるが、
そんなに強くない45歳だったりもするのさ。

旭川出張を終え、その足で駆けつけた昨夜の浅草秘密基地は、
人数はやや寂しいもののバカ話が炸裂しまくりの楽しい夜となった。
まず話に出たのはオーディオだ。
デンオンがデノンになったのを知らない俺たちにとって
オーディオ機器はいつも憧れであり、技術の進化にいつも目を輝かせていた。
ダイヤトーンの縦型になったレコードプレイヤーが欲しかった。
そうそう、“ダイ~ヤトーン、ポップスベストテン! こんにちはシリア・ポールです”
はみんな聞いていたねえ、なんて話はあっちこっちへ飛んでいく。
ラジカセも熱かった。
話しながら思い出したのだが、単一電池を6本とか8本とか、
今振り返るとそんなに入れてどうするんだと思えるほどの大型ラジカセがあったよね。
やがてダブルカセットが出たり、オートリバースはカセットが飛び出してきてリバースしたりと
今の視点で眺めるとなんとも暖かく感じてしまうほどのローテクぶりを思い出しては、大爆笑を繰り返す。
でも当時の俺たちにとっては、次々とくり出されるハイテク以外の何者でもなかったのだ。
先日のホンダの社長会見で強く感じたことだが、現在は技術そのものが成熟期に入っている。
性能や革新だけでなく、時代が要請する諸々の方向に対しても、技術は進んでいかなければならない。
そのことは「低炭素がこれからの技術の中心だ」という言葉にも表れていると思う。
決してネガティブな気持ちで書いているのではない。
時代の要請に対して技術があり、俺たちの時代ではたとえばクルマだったら馬力だった。
それはわかりやすいし、目に見えて上がっていくのだからワクワクするのは当然でしょう。
技術革新の時代と、そこからの転換期である現在の状況を目の当たりにしている昭和40年男たちは幸せである。
だから、こんなバカ笑いが延々と続くのであろう。
鈴鹿取材の話に飛び火した。
俺の入魂取材をみなでたたえてくれたのはうれしい。
そして、レース界の歴史を変えるであろう、衝撃かつ究極の提案がこの浅草秘密基地より出されたのだった。
路面温度70度にも達した今年の鈴鹿8時間耐久で、ライダーたちはグリップしないタイヤに悩まされた。
熱に溶けていくタイヤ…、うーん、そうだ! オカモトゴムがタイヤを作ればいいんだ(いやあ、作ってましたよ、さすが!)。
「あの薄さであの摩擦に耐えるのだから、路面温度70度なんか大丈夫だよな。だって俺なんか2万回転だぜ」
なんてバカ話へと突き進んでいく。
「そうだそうだ、でもお前なんか20回転位じゃん」
ふーっ、なんてバカなんでしょう。
先日東京で光化学スモッグが出たなんて話から、こんな展開も見せた。
「小学生の頃なんか、夏は毎日のように警報が出ていたけど、ガンガン遊んでいたよね」
「ああいうので抵抗力つけたから丈夫なんだよ」
「そうそう、俺たちサッカリン上等だし」
「赤色何号とか、口を真っ赤にしてたよね」
「化学物質に子供の頃立ち向かった抵抗力だね」
などと続いていくバカ者たちの酒はうまいよ。
こんな調子で続いていく浅草秘密基地。
週の頭にとびきりのバカになって、仕事に跳ね返すのじゃー。

北海道から買ってきたおみやげ“イカ座布団”は、この人数では食べきれないやとキープした。 10人以上集まった日に開けるんだよーん。
先月の24、25日に行なわれた鈴鹿8時間耐久ロードレース、
通称“8耐”の取材裏を連続してお送りしている。
今日は東京へと向かってただひたすら移動である。
北海道みやげを楽しみに、みんな浅草で待っていてくれよー。
なるべく遅刻しないように激走しま~す(スタッフたちが)。
還暦ライダー水谷勝さんについての話をしたい。
彼は3年前に、マシンのテスト中に首の骨を折るという大けがを負い、まさに生死をさまよった。
普通なら、今この世にはいるはずがないほどの大けがだったそうだ。
後遺症も心配されたが、持ち前の体力と懸命のリハビリで見事にこの日、サーキットに戻ってきた。
8耐という最高の舞台で、彼は自身の生命力の強さを我々に教えてくれているようだった。
くどいようだが、誰もが水谷勝は天国へと旅立ったと思わされたのにだ。
還暦ライダーだからと、赤いつなぎに赤いヘルメットで現れた。
そして12時半頃、セカンドセッションで彼は登場した。
走る姿をファインダー越しに追いながら、うれしくて仕方がなかった。
おっと涙は禁物、仕事仕事と言い聞かせてがんばったよ。
結局、合計で3セッションを走り、おそらく30周近くラップしたと思う。
見事なり還暦ライダー、水谷勝である。
俺はフラフラになりながら、いやあ午後1時頃はホントに倒れそうになり、
それでもなんとかゴールシーンまでこぎつけた。
8時間のカウントダウンは観客も一緒になっての大きな音の塊になる。
それはもちろんライダーたちに送られるものだが、俺も心地よく感じてしまうのは正直な気持ちだ。
終わった、今年も終わったよ。
注目していた鶴田さんのチームは15位で、去年2位だったこととエヴァンゲリオンとのコラボで
もっとも注目を集めたチームのひとつとしては、不本意な結果だった。
終了後のピットはまさに通夜のようにひっそりとしていて、とても声をかけられなかった。
一方の水谷さんは23位で入り、歓喜のピットとなった。
握手を求め「おめでとうございます。水谷さんをファインダー越しに狙っているのがうれしくて…」との言葉とともに、
我慢していた涙が滝のように流れてしまった。
俺の涙があまりに激しかったせいか「ありがとう」と言いながら、水谷さんももらってしまったらしく号泣し始めた。
昨日の“風の会”でボランティアを務めた高校生たちが、決勝日はそのままこのピットを手伝った。
皆、このゴールに感動の涙を流していたよ。
10代でこんな最高の夏の日を過ごせたのはすばらしいことだよ、
胸に刻んでくれよと思わずおっさんになって見守っているのだった。
つきなみな言葉だけど、今年も大きな感動をありがとう。
ライダーの皆さんほどではないけれど、俺も精一杯闘いました。
やがて恒例の花火が上がり、いまこの瞬間を共有している全員が、
それぞれにとってとびきりの夏の1ページを刻んだのだった。
長かったですね、お終い。


還暦ライダー水谷さんの走りだ。うれしさを感じながらシャッターを切ったよ。
昨日は具志堅用高さんの取材の後、とある会に参加してきた。
その名も「笑話40年会」である。
最初にこの会を知ったのは、Twitterでのこと。
同会の会長を名乗る方より「ぜひお会いしたい」とのお申し出をいただいたのだ。
もちろん、なんでもござれのわが『昭和40年男』編集部に断る理由などはない。
7/15に弊社に来社されていろいろと話したのであった(会長曰く、表敬訪問だとか)。
この会は弊誌と考えが近く、設立趣旨はとにかく同世代同士、楽しくがんばろう!というもの。
これまでの人生を笑い話にできる歳になったということで“笑話”と名付けたのだそう。
その席で、ぜひ今度のオフ会に来ませんかと誘っていただき、昨夜参加する運びとなったのである。
会場は渋谷のとある居酒屋。
とても渋谷とは思えない、ずいぶんと渋い店である。
こう言っては何だが、場末の旅館を思わせる。
きちんとステージがあって、カラオケと垂れ幕も装備。
昭和なイメージが色濃く残り、今となっては貴重な存在かもしれない。
ここに妙齢の紳士・ご婦人が集まるわけだが、
年齢層がやけに広いような?
聞けば昭和40年の前後3年が正会員だが、それ以外の年代も参加されているとか。
ついこの間まであった昭和50年会が空中分解(?)して合流しているらしい。
今回で3回目の開催となった同会は非常になごやかなもので、あちこちで会話に華を咲かせる。
自分だけでなく初参加の方も大勢いたそうだが、それもあまり気にならなかった。
参加者は多種多様で、主婦、社長、自営、デザイナー、設計者などなど、あらゆる業界の人間が集合。
会長さんがしきりに宣伝してくれたせいか、弊誌『昭和40年男』にも大変興味を持ってもらえて、
あちこちで『昭和40年女』はないのかだの、『昭和50年男』はないのかだのと質問されたのだった。
こりゃイケル?!
堅苦しさのないゆるーい集まりの笑話40年会。
興味のある人はTwitterにて#shouwa40と検索してみて欲しい。
また、弊誌ではこういった昭和40年男たちの集いにどんどん参加するつもりですので
何かやるときにはぜひお声がけください!できるだけ編集部員がお邪魔します!

◆副編集長:小笠原
北海道生まれの35歳。自分でコーヒーを豆から淹れるのが好きなのだが、最近は暑さのあまりホットコーヒーを飲む気になれず、会社の近所の安い喫茶店でアイスコーヒーをテイクアウトするのが日課に。早く買い置きの豆を使いきらないと酸化してしまう!
Twitterでも書いたのだが、昨日は次号掲載のインタビュー取材で
具志堅用高さんに話を聞きに行ってきた。
ボクシングがテレビのゴールデンタイムの常連だった時代、
「100年に一人の天才」と言われ、WBAライトフライ級を13度も防衛した元世界チャンピオンである。
昭和40年男たちは手に汗握りながら、試合を見ていたのではないだろうか。
今でもタレントとしてテレビに出演しており、コミカルなキャラクターとして人気者なのはご存知のとおり。
だが、取材ではそんなタレントとしての具志堅さんではない、
ボクサーあるいはボクシング指導者としての具志堅さんの姿を垣間見ることができた。
聞き手はおなじみ編集として参加してくれている金子氏、そして撮影は隻腕のカメラマン・林健次氏である。
現場は、やや硬い雰囲気で取材が始まった。
あいさつののちに今日の取材内容の説明をするも、聞いているのかいないのか、じっとだまっている具志堅さん。
何かに集中しているかのような、考え事をしているかのような。
機嫌がわるいのか、いつもこういった感じなのかはわからなかったが
今日の取材ははたして大丈夫かと若干の不安を抱く。
だが、金子氏が話を聞き始めると、すんなりとスタートし
口調はやや堅いが、しっかりと話をしてくれた。
沖縄時代、修行時代、チャンピオン時代。
興味深いエピソードとともに、当時を語る具志堅さん。
ところが、面白い話は聞けるのだが、なかなか当時の想いを引き出すことができなかった。
きっといろんな想いや苦労があって、それを乗り越えて今があるはずなのだが、
具志堅さんの性格なのだろう、とくに苦労も悩みもなかったかのようにさらりと語る。
金子氏とともに試行錯誤、あらゆる角度から話を聞いていくうちに
最後の最後、まもなくタイムアップ!というころになって、ようやくぽつり、ぽつりと話してくれた。
悔しさ、努力、焦り、引退、才能、ビジネス、後悔…
さまざまなキーワードが飛び出し、その波乱万丈な人生について、訥々と語ってくれたのだ。
確かに、なかなかそんな深い話をインタビューです、ハイどうぞ!と言われても話せるはずがなく、
それを引き出すのがインタビュアーの腕のみせどころではあるのだが、今回は苦戦であった。
が、きっとこちら側の気持ちが多少なりとも伝わって、最後の最後に話をしてくれたんだと思う。
ありがとうございました、と頭を下げてジムを出たところで脱力。
「いい取材でしたね」とお互いに言い合い、ようやくホッと一安心して次の現場へと向かったのであった。
この記事は9/11発売の『昭和40年男』に掲載予定です。乞うご期待。

インタビューは具志堅さんのジムで行なった。リングのそばの独特の雰囲気のなか、話を聞くのは金子氏だ
◆副編集長:小笠原
北海道生まれの35歳。自分でコーヒーを豆から淹れるのが好きなのだが、最近は暑さのあまりホットコーヒーを飲む気になれず、会社の近所の安い喫茶店でアイスコーヒーをテイクアウトするのが日課に。早く買い置きの豆を使いきらないと酸化してしまう!
先週末の24、25日に行なわれた鈴鹿8時間耐久ロードレース、
通称“8耐”の取材裏を連続してお送りしている。
その途中ではあるが、ここで重大なお知らせ。
本日ワタクシ、45回目の誕生日でございます。
はい、みなさんご一緒に! ♪はっぴ・ぱあすでぃ・つう・ゆう♪
ありがとうございます。
45歳になってしまった。
みなさんも言われているんだろうけど、四捨五入すると50歳。
織田信長もテレビでよく舞いながらうたっている。人生50年てね。
うん、そんな節目が近づいているのを感じながらも
「ファイトぉ、いっぱ~つ」と20時間を要する北海道への旅の車内で迎えた誕生日なのであった。
さて、気を取り直して。
前夜祭の光景に、一時やるせない気持ちにさせられたが、
プレスルームはそんな気分を長々と持ち続けさせるほど甘くない。
つき合いのある連中と情報交換しながら、明日の決勝への準備をする。
9時過ぎ頃からパラパラと帰り始めるものもいるが、俺にはこの日重要な任務があった。
本ブログでも以前に書いた(4/18のブログ)、この春に逝ってしまった友、鎌田学と年始の頃騒いでいたのだ。
「8耐をもっと盛り上げましょう」と。彼は熱かった。
「そうだよね、2人で鈴鹿の社長にアイデアとか意見とか持っていこうよ」
なんて話をしていた。
毎年8耐を走り、優勝経験もある彼はやはり特別な想いを持っていた。
一昨年からは開発ライダーとなって活躍の場を移していたため出場はしていなかったが、
8耐を盛り上げたいという気持ちが強かった。
去年は“だら8”という名称(たぶんだらだらと8耐について語りましょうってことだろう)で、トレーラーに畳をひき、
酒を呑みながら彼と仲間たちが夜通ししゃべるというトークライヴを仕掛けた。
彼の人柄に吸い寄せられ、翌日走るライダーが突然あらわれ盛り上がったそうだ。
ガクチャンは話も上手だから、たぶんいいイベントだったことだろう。
「今年は一緒にやりましょうよ」と約束したじゃないか、バカバカ。約束を破っちゃダメじゃないか!!
彼の意志を継ぎ、去年のメンバーが今年も開催することになった。
そこにゲストとして登場し、ガクチャンとの深いつき合いのキッカケとなった
『Love the Earth』について語らせてもらえたのだ。
登場したのは日付が変わる直前で、やっとこさ長い1日をを終えて宿に着いたときには1時をずいぶんとまわっていた。
明日というタフな1日のため、呑んだらさぞうまいだろうビールをグッと我慢して寝たのは3時で、
キッカリ3時間の睡眠で決勝の鈴鹿へと向かったのであった。
続くよーん。

だら8でダラダラとしゃべるはずが、懸命に引っ張っている“Love the Earth”活動 の話ゆえ、ついつい力が入ってしまった
先週末の24、25日に行なわれた鈴鹿8時間耐久ロードレース、
通称“8耐”の取材裏を連続してお送りしている。
昨日は緊急募集で1日空けてしまったけど、一昨日の続きだよ~ん。
“風の会”の取材を終え、毎年のことながら大きな感動をもらい
気持ちよくプレスルームへと戻ろうとすると、メインの会場(サーキットのホームストレート)で
SKE48とかいう女の子たちが歌って踊っていた。
それにあわせて声援を送っている熱狂的なファンの姿は、
俺たちがキャンディーズやピンクレディーを応援していたのと変わらず、
アイドルというのは永遠なのだねえ。
ただ、この会場でこれをやる意味が俺にはまったくわからない。
目の前で繰り広げられている絵が、正直な言い方をすれば気持ち悪い。
これを目当てに来た人が、明日のレースを見てバイクの虜になるのを狙っているのか?
それともバイクが好きなやつは、この女の子たちが好きなのか?
レースが好きな人に、この子たちを売り込みたいのか?
どれも当たっていそうにないし、あれこれ考えてみても答えは出ない。
そしてこの女の子たちの説明に、8時間耐久“レース”の公式パンフレットは
多くのページ数を割いていて、いろいろとここに来た理由らしきものが綴られているが、
いくら読んでもさっぱり理解できない。
「来場者数の増員を依頼されてやって来ましたー!! レースはよくわかりません。
でも男らしくてカッコイイと思います。がんばってくださ~い」
とでも書いてくれた方がよっぽどスッキリするのに。
さらに腹立たしいことに、先に紹介した“風の会”という
純粋にバイクを愛する者たちによるすばらしい活動の説明は、ほぼなにもない。
タイムスケジュール内に脚注で、
「風の会とはプロライダーが構成するハンディキャップをお持ちの方に
バイクを楽しんでいただくボランティア団体」と、小さく書かれているだけだ。
これでさえ進歩した方で、以前はタイムスケジュールにさえ載っていなかった。
来場者がこの活動に注目するはずがなく、プレスも気が付かないから
取材はほとんど入らず、この活動の知名度はあまり拡がっていかない。
残念でならないよ。
レース運営側の意識の問題だと思うが、
バイクとまったく無縁の女の子は大々的に取り上げ、
本来レースの主役であるライダーたちの活動はどうでもいいのだととらえられても
仕方がないだろう。
8耐はそういうプライオリティをつけているのだと。
照明をガンガンに浴びせて、それはそれは華やかに盛り上げているのである。
ファンの人たちはそれに合わせてそろいのかけ声とそろいの振りで応援する。
そんな絵を眺めながら、こんな考え方をしている大会を、
体力と気力を限界まで使って取材するのかと思うと、なんだか情けなくなってしまった。
前夜祭と呼ばれるイベントでのことだ。
続くよーん。
鈴鹿8耐取材の裏側を続けてお送りしてきたが、涙を飲んで一端中断する。
実は本日はみなさんにお願いがあるのじゃ。
次号の編集作業が佳境を迎えている。
大きな特集は2本で、ひとつは連載特集の“夢、あふれていた俺たちの時代”。
今回は昭和47年を取り上げる。
すごいね、この年はヒーロー全盛なのですよ。
仮面ライダーやキカイダーのようなスーパーエースはもちろん、
先日の浅草秘密基地に登場してくれたスペクトルマンやミラーマン、
それとなんてったってレインボーマンでしょ。
あげたらきりがないくらいで、楽しい楽しい編集作業が続いています。
そこでだ。
まずひとつめの急募は、仮面ライダーカードコレクターの方を探しています。
昭和46年に関東と関西で発売され、昭和47年に全国販売になったということなのでぜひ取り上げたい。
となると、リアルなコレクターに登場いただきたいわけだよ。
当時から持ち続けている人が希望ですので、我こそはという方はぜひエントリーしてください。
そしてもうひとつの大特集が“力”で、これ自信あるっす。おもしろいっす。
俺たち世代が未来に向けて今得たいパワーをテーマに、得意のあの手この手で斬りつけていこうと考えてます。
そこでやっぱりお願いだ。
“女房貸して”
キャー、変態みたい。
違う違う、幸せな家庭を満喫している昭和40年男の女房座談会をやりたいのですよ。
亭主がタメ年であれば、女房の年齢にはこだわりません。
キーワードは今幸せなことです。
夫婦ですから紆余曲折もあったのは当然のこと。
もちろん結婚以来ず~っと幸せな奇跡的な夫婦もいい。
とにかく、いまこれを読んでいて
「うん、うちはまずまずイイ感じだな」
と思った旦那さんは、今宵女房に交渉してください。
取材予定日は8月中旬以降の土日。
(第一候補は8/21の午後2時くらいかな)
もちろん、奥さんだけじゃなくご本人にも多少ご協力いただきたい。
お礼はその晩、俺と副編小笠原が誠心誠意のおもてなしでご夫婦を宴会へと誘います。
(って、居酒屋だけどね)
くれぐれも言っておきたいのは、きれいなとか若いとか、
奥さん自慢でないのでそこのとこは誤解なきよう。
もうひとつが、子供との関係が大変良好なタメ年お父さんにその秘訣を教えてもらいたい。
高校生になる娘と一緒にお風呂に入るお父さん。
高校生になる息子と一緒にバンドやっているお父さん。
いやいや、高校生でなくてもいいんですよ。
関係が良好で、かつ、しっかりとした信念を持ち教育(ここ大事)しているお父さんのエントリーを待っています。
みんなでつくろう、『昭和40年男』だよーん。
簡単なプロフィールと連絡先をフォームにご記入の上、お送りください。
応募者多数の場合は抽選とさせていただきます。