担当者から「創刊号が売れた」という報告を受けて喜んだその瞬間は、
同時に「2号目の制作に取りかかれー!」の合図でもあった。
時すでに11月24日であることは、このプログでも大騒ぎした通り。
次号の発売をいつにするか。
2月2日は無理だとして、2月22日はどうだろう?
たぶんギリギリでセーフだろうが、
年末年始に作業が止まることを考えると真価が問われる第2号を突貫工事でやりたくない。
それに加えて、季刊(年4冊の発行)でいくことを決定したことも大きい。
ただの弱虫じゃないのだよ。
2、5、8、11月の発行で季刊? イマイチでしょう。
春号を2月に名乗るのはちょっと早い。
そのほかの月もそうだが、とくに8月の秋号と呼ぶには早すぎる。
これが3、6、9、12月になるとピリッと締まるし、3月はもちろん、9、12月もなんとなく本を買いたくなる月な感じがする。
(この“感じ”というのが俺独特なのだ。さまざまな場面で使う企業秘密のテクニック…。ウソ)
でも実はすごく迷った。
だって創刊号は売れたのだから、
そのなかで
「次号も絶対に買おう」
と思ってくれた人は少なくないはず。
まあ、そこまでいかなくても
本屋をなんとなく気にかけてくれた人も多数いるはず。
その人たちが
「あーあ、やっぱりあの本ダメだったんだ」
と思うことはもう間違いないでしょ。
広告費が限りなくゼロに近いウチにとって、
か細いながら広告を打てていたのに、それを自らでゴミ箱に捨てるのだから。
天秤にかけて、さんざん迷ったあげく
3月11日発売の方が重かったいうことなのだ。
これまで俺は何度も創刊を手掛けてきた。
それはすべて趣味の世界の専門誌で、
たとえば得意のバイクという明確なジャンルがあるなかで
ライダーから多数の支持を受けることを構築していけばよかった。
それがカンタンというわけではもちろんないが、
見えてくる部分があるのは確かだ。
勉強して研究して、第六感を振りかける感じ。
だが今回の『昭和40年男』という雑誌がこれまでとまったく違うのは、
不特定多数のさまざまな考え方やライフスタイルを持つ人たちに向けて、
多くの共感を得られる世界をつくりあげなくてはならないのである。
今まで得意としてきた手法と多くの部分で異なる方法が求められた。
創刊号で取り出したのは、ヒーローだった。
それもただの懐古ではなく、
今の俺たちが明日へと向かうためという取り上げ方をしなくてはならない。
本当の主眼はヘッドコピーでメッセージした
“明日への元気と夢を満載!”
が、とにかくこの本のベクトルなのであるということを決定して、
自分の中にとにかく強烈にぶち込んだうえで、ヒーローというテーマを利用したのだ。
元気と夢?
ホントにそんなもんが現在の昭和40年生まれの男たちに必要なのか?
俺のマスターベーションじゃないのか?
いい雑誌ができたと思う反対側で
そんなことを思いながら過ごした創刊号発売からの約1ヶ月だった。
加えて先に述べたように、世間に知らしめる予算はゼロだったのである。
しか~し、えっへん。
この苦しい戦いに見事勝利宣言を出せた。
単純に売れたのである。
よし、通用する。
担当者から俺に連絡があったときは、自然と涙があふれた。
やったー、やったよと。
発売から何日かが過ぎた。
まだ全国の売れ行きデータはさっぱりわからない状態のなか、
近場の何軒かの書店を回り、減り具合に一喜一憂している日々だ。
結果が出てからだといろいろと後付け言葉を使う“ずる”をしそうなので、
今のウチに書き留めておきましょう。
大編集後記の始まりじゃー。
この長い編集後記のために
まずは創刊号の発行当時まで時間を戻す。
創刊当初にターゲットにした発売日は2月2日か22日だった。
平成22年だし、第2号だし。
ねっ、いいでしょ(苦笑)。
だが、創刊号の結果を待たなくては2号目のGoが出せない。
創刊号をつくりおえて、このできで支持されないのなら
雑誌自体のコンセプトである“年齢制限雑誌”は成り立たないとあきらめる覚悟はついた。
売れなければ雑誌は出せない、そういう運命の雑誌だと判断していた。
そうはいっても悔しい想いもある。
いろんな場面で書いているが、ウチは大手出版社ではない。
大きな予算を投じての創刊などできるはずもなく、
宣伝らしい宣伝を打つ予算などももちろんない。
販売戦略など限りなくゼロに近いのだ。
さらに大手のように書店さんに日参する営業部署がないので、
棚もイメージ通りに取れない。
事実、創刊号がアニメコーナーといえばいいのか、
まったくそぐわない場所に平積みされているのを目撃している。
このように、激戦の書店店頭で争うには不利な条件がてんこ盛りだ。
それでなくても出版不況といわれるなかで、
新創刊誌が売れるのだろうか?
とにかく、俺たちの武器は“支持される内容”しかない。
世界平和を目指すプロミュージシャンを志すことにした俺は、
ときを同じくして、バイト先ですばらしい先輩と出会った。
「ミュージシャン、ましてやソングライターとして生きていくなら、
自分を磨かなければならないよ」
とすごいことを言われた。
だらしない格好や態度でつっぱらかって
「俺がロックなんだよ」とか「ブルースってのはさ」
なんて言っているのがカッコイイと思っていたのに、
その人は絵画などの芸術にたくさんふれろと言う。
映画を観て小説を読めと言う。
これにはまいった。
まるで先生じゃねーか!
でも、がんばって言われたとおりにした。
アパレル関係のデザイナーを目指すこの先輩こそが、
長いことミュージシャンばかりをヒーローとして崇めてきた
俺のヒーロー観を変えてくれたともいえる。
また、俺自身がヒーローを目指すという自覚が芽生えた。
だって、スーパーアイドルブルースロックマンになるのだからねぇ。
というわけでこの長かった物語も終わりにしよう。
ここからの俺のヒーローはあまりにも自分寄りで、
書き続けていっても共感するところが少ないだろう。
興味がある方は酒でも呑みながら語り合いましょう。
東京荒川区の下町で育った男の子は、
いつも心にヒーローを抱き、さまざまな変化を経てきた。
そして高3のときにできあがったヒーロー観は、今も変わらない。
すばらしい先輩や仲間、
心の美しさが文章からあふれ出ている作家、
取材や仕事を通して出会った方々などなど
俺にとってのヒーローは次から次へと現れ、そして大きな影響を与えてくれる。
もちろんすばらしいミュージシャンたちは、
今も変わらずヒーローです。
どうしてもトップをあげなさいと言われたら…、
うーん、やっぱりキースなのかもしれない(笑)。
えっ、なんでお前はミュージシャンじゃなく編集者なんだって?
人生はね、すべてが思い通りにならないからおもしろいの。
ベガーズバンケット/THE ROLLING STONES

レットイットブリード/THE ROLLING STONES
キースのギターはこの2枚が最高っす。なんど聴いてもカッチョイイとうなってしまう。

エモーショナルレスキュー/THE ROLLING STONES
でね、キースの歌でもっとも好きなのが、
このアルバムをラストで締めくくる“オール・アバウト・ユー”なんだよねぇ。
プロミュージシャンを目指すと決め、高校卒業を迎えたときに
不思議な感覚が芽生えた。
なぜ歌うのかを決定しなければならないと。
職業として一生やる以上、すごく重要なことだと思っていた。
親父は地域に役立つ電器屋さんを目指し
その言葉通り修理がうまいことが自慢だった。
俺は?
世界の平和を目指すことにした。
パチパチパチ。
ボブ・ディランでありジョン・レノンだった。
そんなミュージシャンになろうと決定すると
自分の作品から男女ものが消えていった。
女の子が大好きなのは変わらないが、
それを歌にしたところで世界は平和にはならぬと、
また得意の若き日の曲解から自分が成り立っていった。
「お前は女/あふれるように」
とか
「女が俺に仕掛ける/あー今夜も眠れねえ」
といった高校生らしいハツラツ(!?)としたラブソングは
「流れる涙がすべての愛を」
とか
「そのままに浮かれる街/望むだけのステップ」
という、蒼い気持ちが全面に出た曲たちへと変化していった。
そうして音楽にのめりこんだまま、高3を迎えた。
周囲は完全に受験モードへと突入。
俺はもちろん、中学のときに心に決めたプロへ向かって
一直線の人生を歩むことを決めていて、
バイトをしながら音楽活動をする。
学校の進路指導がうるさいので
アパレルデザイナーを目指して専門学校に行くが、
家が裕福でないので1年間バイトして金を貯めるということにしておいた。
プロミュージシャンになるという夢は、
初ライヴをやった中3のときに誓ったことだ。
だが、周囲のほとんどが進学を選択する中、
そうじゃない自分と対峙するようになる。
就職するわけではないが、気持ちとしては本当に音楽の道へと進む覚悟と
社会に出ていくという覚悟をしなければならない。
はたしてデビューできるのか?
そして売れるのか?
いばらの道が始まるのだと思った。
でも大学に通いながら、これまでと同じアマチュア気分で音楽活動することは
自分が許さなかった。
すべてを集中して、逃げ場をなくして背水の陣でプロを目指したかった。
当時5人のメンバーも全員同様で、
完全にプロミュージシャンへの覚悟を固めた高3だったのだ。
焦りもあったよ。
スーパーアイドルブルースロックマン(?)になるためには、
やはり1歳でも若い方がいいしキャリアを積んでいきたかったのだ。
洋楽をきっかけに邦楽ロックも聴くようになり、
海外のミュージシャンたちは憧れのヒーローで、
国内はクリアできるターゲットとして身近なヒーローという、
ヘンテコなヒーロー観をなぜか持ち始めた当時のオレ。
根底にあるのは、恐ろしいほどの自信過剰である。
加えて、心の中にはヴォーカリストの横でクールにギターをキメる存在も、
単純にそのかっこよさにあこがれ続けた。
キースは永遠のヒーローとして今も君臨しているし、チャボも大好きという
三重構造が完成した高2の俺だった。
周囲は高校生らしく、映画に行ったり、
ゲームセンターに行ったり、
サーフィン、バイク、ナンパといった遊びを
取っ替え引っ替え楽しんでいた。
俺はそんな時間がもったいなくて、
とにかく音楽に充てたかったからつき合いの悪いヤツだった。
音楽以外の時間は、やはり音楽に投資するためのバイトと、
いい曲を書くための女の子…、といったところか、俺の高校生活は。
そんなすさんだ俺を、ショーケンの歌が慰めてくれた。
甘いメロディ(ブルースと比べてという恐ろしい基準で)を個性的に歌う姿に、
俺はしょせんコッチなのだとあきらめ始めた。
自信過剰というかバカというか、
とりあえずクリアできるシンガーだとターゲットにしたのだ。
もちろん。自分のなかではキースやオーティスへの憧れも強いが、
ショーケンも憧れのヒーローである。
「キースは日本人じゃないからああいう音楽が出来るのか」
とか、
「黒人にはなれないし、あんなに太っているのもちょっとかっこわるいし」
とか、あきらめるところはあっさりと捨て去るくせに、
気分だけはどこまでも成長すると信じ込んでいる
バカバカシンガーになっていった。
話はちょいと脱線するが、
最新号の宇崎竜童さんが「大人になったら金髪になって青い目になって」と、
要は外人になれるというくだりで、
インタビュー現場で大爆笑したのだが、
確かに俺ももしこの音楽環境を小学生で迎えていたら、
黒人になってブルースシンガーになるといっていただろうな。
高2といえば、もう少しばかり大人の階段を上がっていて、
現実を知っているのであった。
だがその現実が自信過剰の塊で、今こうして書いていても赤面してしまうのです…。
ショーケンが尊敬する越路吹雪もずいぶんと好んで聞いたのと同時に、
日本のロックもほった。
柳ジョージ、上田正樹、憂歌団の木村さん、BOROあたりを好んで聞き込み、
木村さん以外はクリアーする対象に加えていったのだから、
もうホントに若さとはなんと愚かなことよ(恥)。
それにしてもずいぶんと長い物語(?)になっちまった。
そもそも昭和40年男にとってのヒーロー観でスタートしたのだが、
音楽につかまっちまったうえに
さらにプロミュージシャンという夢を掲げてしまったものだから、
ヒーローが自分の音楽史とオーバーラップしてしまう。
それにしても、仕事でもないのに
我々のあの当時の音楽に対する見事なまでの集中力は
大したものだなと思う。
ミュージシャンを目指したということが大きく関与していることも否めないが、
そうでないリスナーに徹していながら夢中になっている同級生もすごく多かった。
俺たちにとって音楽は、とてつもなく大きな存在であり、栄養だったよね。
これはきっと共通認識だろう。
と、やや言い訳くさい前置きをしながら物語に戻ると、
高2の秋にギタリストが加入したおかげで、歌うことに自分をシフトできた。
キース・リチャーズという絶対的なヒーローが存在するヴォーカリストという、
ややいびつなヤツだが。
多くのブルース、ソウル系のアーティストを聴き込み、それをまねて歌う。
キースをまねる。
でも自分で書く曲は、もうちょいと甘いというか、いなたい感じが出ない。
「クラシックで音楽に目覚めて、クイーンでロックに目覚めたから、
どうしても出てくるメロディラインが甘くなるんだ」
と、才能のない自分を棚に上げてクイーンを憎んだりしたバカな俺がいた。
タイトルのフレーズでダーティハリーを連想した人は
かなりのフリークですな。
というわけで、このフレーズはダーティハリーの名言として
よく引用される言葉なのだ。
ちなみに使われているのは『ダーティハリー4』である。
ボクは、同じレストランのシーンで
ハリーが押し入ってる強盗たちに一人立ち向かって
「俺たちはお前らをここから逃がしゃしないぜ」
と言うと強盗の一人が
「俺たちって誰よ?このアホ」
と聞き返し
「スミス、ウェッソン、そして俺」
と答えるところが好きなんだけど…。
このワケのわからない会話はハリーの銃がポイントなのだ。
ガンマニアの方ならご存知かと思うが
彼の愛銃(?)44マグナムのメーカーがスミス&ウェッソンなのだ。
前置きはこれくらいにして
『昭和40年男』の連載企画、“銀幕におさまりきらないスターたち”で
取り上げたのがハリーを演じてスターダムを一気に駆け上がった
クリント・イーストウッドなのである。
それにしても彼の監督としての活躍を誰が予測できたであろうか。
ま、きっと誰も予想できなかっただろうな。
その活躍の一因が記事に書かれているので
映画好きなら参考にすべし!
◆編集部員:岩崎
中途半端な凝り性で、最後まで凝りきれない自分に最近とくにいらだつ39歳。藤村 俊二氏の父親が氏に言った「40歳までは、お金をためることなく経験を積むために使え」という言葉に感化されるも、有意義に使えていない自分が腹立たしい
正にドンピシャ!4月13日生まれの男です。この雑誌のタイトルで嬉しい気持ちになりました!内容も濃くいいですね。私もリストラで、今は失業中しかしながら介護福祉の学校を受け就職も介護福祉職でこれから他人様のためにお役に立てるよう頑張りますよ!ヤッパリ40年生まれは特別!いい奴らがいっぱい!
そうなんです、特別だと信じて本をつくっていますから。リストラを逆にバネにして前へと進んでいくのは、まさに昭和40年男の姿ですね。がんばってください。