
根元陽一/社会評論社 1,700円+税
編集部に献本が届いたのでご紹介。
What time is it now?
という英語を発音するのに「掘ったいもいじるな」と発音すると
ネイティブにも通じるという、嘘かホントかわからない都市伝説のような話がある。
こうした英語が日本語に聞こえるというネタをたくさん集めた言葉遊び本である。
某TV番組の空○アワーをイメージしてもらえればわかりやすいかもしれない。
とにかくずらずらとたくさん掲載されていて
「なるほど!」と思うものから「え~ホントかな~?」というものまでいろいろあるが
英会話の現場で役立つものではない。
あくまでオモシロ本として楽しむもののようだ。
シュールなイラストも数点入っており、英訳との意味不明さ、無関係さにおもしろさを求めている。
じっくり読み込むというよりは
気が向いたときにぱらぱらとめくる、というのが正しい読み方なのだろう。

巻頭には不気味というかシュールなイラスト集がある。カリカチュアアーティストによるものだとか
本書は著者による人気ブログ「
ほったいもいじるな」が発端。
いわゆるブログの書籍化というわけだ。
CDも添付されており、これを聞きながら読むとなるほど、よくわかるが、
だからなんなのか…ということは考えない方がきっといいのだろう(笑)。
日本語での発音と英訳の無関係さにシュールさがあり、
これを楽しめる人にはいいかもしれない。
個人的には、ひたすらの羅列に飽きてしまったというのが正直なところ。
一つ一つに解説やエピソードなどをつけたり、
カテゴリ分けするなど、見せ方に工夫があるとよかった。
◆副編集長:小笠原
北海道生まれの35歳。仕事以外にこれといった趣味はないが、最近会社でコーヒーを豆から淹れることを覚えた。よりおいしく淹れるため、試行錯誤するのがちょっとした楽しみの一つになっている。
さあ、長く重苦しい話が続いてしまったので、ここら辺でカラッといきますわ。
次号の企画がガンガン進んでいて、とてもおもしろい夏特集になることでしょう。
つうことで、自分の夏の想い出なんぞを拾い集めているわけで、
これはなかなかおもしろい時間の旅ができて企画するのも楽しいのだ。
夏といって真っ先に出てくるのが、実はRCサクセションなんだよね。
あのライヴが忘れられないのですよ。
高2の夏だから17歳のときのこと、
横浜スタジアムでサム・ムーアとチャック・ベリーとジョイントでやったというスゴイ企画を覚えてる?
昭和40年男だったら行った人もいるでしょう。
当時はちょっとRCを軽視し始めていた不届き者でもあった俺だ。
というのもブルースやR&Bにはまっていって、どんどん深く深く掘り始めていたころだからねえ。
もっとも楽しみにしていたのはサム・ムーアだったかもしれない。
ちょうどサム&デイヴの“ホールド・オン”をカバーして、
タイトに歌うことの難しさと魅力に夢中だった。
それに比べたらRCは…。
ちょうどこの年は、春の資生堂キャンペーンソングに清志郎と教授が一緒にやった
“い・け・な・いルージュマジック”が大ヒットして、
なんだかポップスになっちまった。
宣伝ポイのも嫌だったな。
資生堂くらい金があると清志郎をここまでいじって、
教授の書いた曲歌わせて、チューまでさせるのかってね。
なんだよー、全然ハングリーじゃねぇじゃんって。
さらに続けてRCから“サマー・ツアー”が出て、
コイツもなんだかピコピコしていて、
「おい違うだろう」なんてますます考え込んでしまった。
まっ、青く若い17歳の小僧だったのさ。
そんな想いを抱いて真夏の横浜球場へとバンドメンバーで出かけた。
あぢい~!
が、若いということはすばらしい。
そのメチャメチャな暑さが、これから始まるショーへの期待に変えられたのだから。
ギッシリ埋まった客が期待しているのは完全にRCで、
オープニングをつとめたサム・ムーアにとっては完全にアウェイとなっていた。
嘘だろ、あのサム&デイヴのサムだぜ。
きた~っ“ホールド・オン”だ~っと涙している俺が見たのは、
やっとパラパラと立ち上がる観客の姿だった。
嘘だろ、“ホールド・オン”だぜと。
そうだねぇ、20分の1くらいだったかな、
とにかく立っているヤツは少数派で、みな次のRCの出番を待っているのだった。
でも大満足だったなあ、本物のソウルシンガーを生まれて初めて生で見たのだから。
そしてRCが登場すると会場はもう最高潮だよ。
清志郎も気合いが入っていて、調子も絶好調だった。
そう、いま思えばこの日を一番楽しみにしていたのは彼なんだろうなと。
尊敬するビッグネーム2人と同じステージに立てること、
それをパワーに変えられるのはさすが清志郎だ。
後のインタビューで、この直前頃から少しの間は
活動がつまらなかったというのを読んだ記憶がある。
そんなどんどん売れていくからこそ感じる閉塞感だったり、
音楽ビジネスに巻き込まれている日々を
このライヴはぶっ飛ばしてくれたのではないかな。
教授と矢野顕子がステージに登場したときは、
「えっ、ちょっとルージュはやめてくれよ」
とホンキで思ったがそれはなかった。
そしてこの日、ペコペコうるさいはずの“サマー・ツアー”は
すっかりお気に入りの曲になってしまったのだ。
夏の野外でグイグイ押してくる演奏で聴かされると、
やはりすばらしいなとすっかり印象が変わった。
うん、高2のロジックなんてたいしたことはないのだ。
“ひび割れたコンクリート 暑い夏”と歌う清志郎に
離れていた気持ちがどんどん戻っていった。
RCサイコーと楽しんだのだった。
しかしこの後、信じられない光景が…?

サマーツアー/RCサクセション

ホールド・オン/サム&デイブ
30年ぶりの同窓会で出会った4人の男女が繰り広げる、
スリリングな大人の恋の行方…。
なんのことかというと、昨日から始まったテレビ朝日の
『同窓会~ラブ・アゲイン症候群』
という新番組の紹介文。
「ふ~ん、よくありそうな大人の恋愛(不倫?)ドラマかな? まったく興味なし!」
箸にも棒にもかからないというか、
そもそもテレビをほとんど観ない私にとって、
申し訳ないけど恋愛ドラマなんてほど遠い存在。

同窓会のHP
しか~し、そのほど遠いハズが一転、今回は興味津々なんです。
劇中で4人の設定が、なんと45歳!
ってことは、そう昭和40年生まれなんですよ。
番組HPで調べると、恋愛関係がやはり話の軸のようなんですが、
45歳の男女が抱える家庭問題や社会的な格差など、
けっこうリアルで切実な話題も散りばめられているようす。
ちなみに配役と役柄は、旦那がリストラされた主婦役に黒木瞳。
ヒルズ族の勝ち組起業家の妻役に斎藤由貴。
本妻とは別居中の週刊誌編集長役に三上博史。
多忙で家庭を顧みない刑事役に高橋克典。
ここまで美男美女ばかりなのもどうかなぁ~って思うけど
(個人的には40年男の古田新太さんや40年女の小林聡美さんなんかだと、よりリアリティを感じるかも?)
『昭和40年男』編集部員としてはとても気になります。
昨日の放送は残念ながら観られなかったけど、
次号以降は観ようと思っております。
もしドラマを観た方がいらっしゃったら、同じ年からみた感想など
教えてもらえるとうれしいです。
◆編集部員:高橋
経済成長の鈍化を尻目に、体重だけは年々右肩上がりの成長を見せるもうすぐ37歳。肥大し続ける理由の一端だとわかってはいても、いまだ締めの一杯を欠かせない。
大切な友の死について長いこと書いてきた。
究極の別れであり、いつかは誰もが迎えるときがくる。
だがそれは抵抗に抵抗を繰り返して
どうにもならなくなったときに迎えるものであって、
自作自演はあってはならないことだ。
たぶん俺たち世代にとって、きついことは増えていくと思う。
今、まさに死という選択に迷っている男だってたくさんいることだろう。
無責任に「死ぬ気になってやれば」なんて言葉で落とす気はないが、
自殺で友に死なれた俺のわがままで書く。
ふざけんな!!
てめえのわがままでどれほど苦しむと思っているんだ。
どれだけの涙を流して、どれほど苦しめばすむと思っていやがる。
どんなにどん底だって、お前を愛している人間がいる限り生きろ。
その命の大きさがどれほどのものなのかをもう一度考えろ。
どんな死でも、残された者にとって大きな悲しみであることは一緒だ。
だが、くどいようだがいつか想い出に変えることができる。
自殺で逝かれた喪失感は、たぶん一生変わることなく背負い続けなければならない。
悲しみそのものや、記憶の輪郭は少しずつぼやけていくんだろうが、
自分の中にずっと残ってしまうものがある。
死にたいほど苦しんでいる人に
コッチの感情がどうこう言っても知ったこっちゃないかもしれないが、
苦しみだって原因があって、丁寧にほどいていけばきっとなんとかなるはずだ。
年間3万人以上が自ら命を絶ち、その7割近くが男性で
しかも中高年は増加の一途をたどっている。
これが事実ではある。
俺は『昭和40年男』を通じて、そんなバカ者たちを思いとどまらせたい。
これもこの本をつくっていくモチベーションである。
なぜ?
そればかりがグルグルとめぐってしまう日々が続いた。
俺だって死んでしまいたいくらいつらいことは、何度も経験した。
それでも、自殺という選択にはならないのは、
悩み抜いている人間に言わせたら幸せなことかもしれないが。
先日、尊敬する先輩から
「40過ぎて同じ呑み方をしているのはゆるやかな自殺」
との名ゼリフをもらった。
確かに体に悪いことばかりしている。
徹夜やろくに練習しないフルマラソン、大酒に大食い…etc。
でもそれらは今をめいっぱい生きるためにしていることで、
体を痛めつけてはいるだろうが心は大いに喜んでいることだ。
そのために寿命が縮まることは仕方ないというのは、ナオキと同じことなのかもしれない。
自分に都合よく生きているだけなのかもしれない。
だがね…。
いくつかの死に直面してきて、親との別れは乗り越えられた。
手をあわせるたびに、自分を育ててくれた感謝の気持ちや
仏様になって見守ってくれているのだろうから近況報告だったりと、
痛みはやがて癒えていく。
大切な仲間の死も、どこかで仕方ないなという部分があったり、
時間の経過とともに“ヤツの分まで”という気持ちに変えていける。
いい想い出として自分の中で変化させていく努力をする。
だがナオキの場合はそうはいかない。
ずっとずっと無念さが残り、引きずった。
4月19日の命日になると、浩平と連名の香典袋をヤツの家のポストに入れ、
外から手を合わせて呑みに行く。
ひとつ余計にグラスをもらい、ビールを注いで一緒に呑む。
いつも涙が流れた。
心に大きな大きな想いを背負ってしまったのだ。
でもいつまでも悲しみだけを背負っていてもいかんと、
去年は命日前夜に追悼ライヴを行なった。
多くのミュージシャンが参加してくれ、
ヤツにとってなじみ深い曲を選びみんなで演奏した。
ここにはヤツの父親と妹も来てくれ、ナオキがこの世に残した軌跡を
生きた証を見てもらうことができた。
これまた自分にばかり都合のいい話だが、
少しだけ荷を降ろせた気がしたのだった。
翌日の命日は、浩平と2人でしみじみと呑みそして泣き、
でもこのライヴをやってよかったと互いにたたえ合った。
5年の月日をかけて、少しだけ想い出に変えることが出来たのだった。
そして今年は『昭和40年男』のイベントである
“浅草秘密基地”の日程とぶつかった。
俺は追悼の曲を歌った。
やはり特別な感情になり、余計な力が入ってしまう。
最後の曲の最後のフレーズでフラットしたことは、
たぶんナオキも怒っていただろうな。
大切な曲を台なしにしてしまった、すまぬ。

つい余計な力が入ってしまった
2004年の春のことだった。
体重は高校時代にまで戻せた。
これなら堂々とナオキに会えるし、ロックもできる。
この春の繁忙期が過ぎたらヤツに話してみよう。
きっと腕はさび付いてしまっただろうが、なに、スグ戻るはずだ。
4月19日、ヤツが首をつった日は九州にいた。
東京に戻って数日後、かつてのバンドメンバーから電話が入った。
「おお、ずいぶんと久しぶりだな」
「ああ。ナオキなんだけどさ」
「うん、どうした?」
「死んだよ、首つった」
もう真っ暗で、仕事も手につかないし飯を食う気にもならない。
聞くともう葬儀は終わっていて、連絡もろくに回らなかったらしく、
バンドのメンバーも同級生も知らないままだったそうだ。
さぞ、寂しい式だっただろう。
いろんなことを想い出し、いろんなことを後悔した。
この日は弾き語りの日で、想い出の曲をいくつも歌った。
知られれば甘えるから、弾き語りの時間が終わるまでは
ナオキのことは誰にも言わずもくもくと歌った。
終わって
「実は気がおかしくなりそうなんだよ」
とここのマスターや常連客に話した。
心配した連中が朝まで付き合ってくれた。
俺にとってはこの日が葬式で、浴びるように呑んだ。
「俺が殺した」と何度も叫んでいたことが記憶に残っている。
翌朝、酒のニオイをプンプンさせていただろう俺は家に着くなり、
ヤツとプレイしているビデオを取り出し、女房にヤツのことを告げた。
女房もキーボードでバンドに参加していたころがあり、ナオキの存在はやはり大きい。
また浴びるほど呑んだ。
涙というのは枯れないものなのだなと思うほど泣き続け、涙のスジが真っ赤になり痛かった。
俺が会いにいっていれば、絶対にこんなことにはならなかったはずだ。
そしてそれ以前に、ひきこもるようになってしまったのは、
間違いなくあのレコーディング前後の何かが要因となっているのだから、
やはり俺が殺したことになると責めた。
偶然書き上げた曲中の
“俺たち出会わない方が幸せだったのかもなあ”
というフレーズがそのままキツイ現実になってしまった。
通夜に出たかったと思われる人間に次々に連絡を取り、
4日に分けて手を合わせにいった。
その中には最後の演奏をした野田浩平もいる。
2人で浴びるほど呑み「俺が殺した」と泣き崩れると「それは違う」と言い続けてくれた。
どんな死より、自殺で逝かれるのは痛い。
昨夜も開催されたぞ、浅草秘密基地!
いったい読者は何人集まったのか?
実は昨夜もゼロ…(泣)。
うーむ、月曜という曜日のせいか
浅草という場所柄か…?
そもそも企画が悪いのか。
それでも昨夜は何人かの知人・友人が訪れてくださり、
浅草秘密基地としては初めての賑やかな会になった。
(これまでは編集長、金子さん、自分の3人だったからね、ヒック)
とりあえずカンパ~イ!

読者が来てくれることを祈ってカンパイ!
ここ数日、つづっているように、
6年前の4/19に逝った編集長の旧友を悼んで
追悼の曲を歌い上げた編集長。
いつもにもましてすごい音圧である(声量がハンパないのだ)。
本人はマイクを立てたいらしいが全員で止める。
なんせ道行く人が店内をのぞきこむくらいだから。
こうして編集長の大音量とともに夜も更けていくのであった。

特別気合いが入っていた編集長
ということで今回も読者ゼロに終わった浅草秘密基地。
この不名誉な記録はどこまで続くのか!?
みなさん、編集部一同お待ちしてますよ~!
◆副編集長:小笠原
北海道生まれの35歳。仕事以外にこれといった趣味はないが、最近会社でコーヒーを豆から淹れることを覚えた。よりおいしく淹れるため、試行錯誤するのがちょっとした楽しみの一つになっている。
バンドが解散してしまい、弾き語りを細々と続ける音楽活動になった。
ライヴステージに上がらないということと、
忙しい仕事のストレスからずいぶんと太ってしまい、
なんとなくヤツに会うのをためらっている時期があった。
太ってしまうことは、すなわちロックじゃないという哲学を持っていた。
なので、一緒にロックを生き抜いてきたナオキに、このだらしない自分をさらせない。
忙しくて時間がつくれないコトもあり、いつからか会わない日々になった。
そんな時間が過ぎていくと共に、
もう一度ナオキとバンドを組んでロックしたいという気持ちが高まっていった。
それにはこのだらしない体を元に戻さなければならない。
減量に取りかかった。
キチンと戻ったらヤツを迎えに行こう。
きっとヤツだってロックを取り戻したいはずだ。
なんとも自分勝手な話だが、こう考えたからがんばれたのも事実だ。
だが、そんなくだらないことにこだわらずに迎えに行けばよかった。
そうすれば絶対に自殺なんかさせなかっただろう。
逝ってしまう数ヶ月前、ヤツとのことを曲にしていてこんな言葉をつづっている。
公園のベンチでずっとずっと缶ビールとラジオで過ごしたなぁ
そんな夜がいつまでも続くと信じていたんだ
18までにけりつけてやるよ俺たちの口癖だった
夢を全部ロックンロールに乗せて毎日吐き出してた
世間やしがらみやチョットばかりの金が
ため息増やしていつのまにか戻れなくなっちまった
昔のことさ
Hey相棒、調子はどうだ? 今でも吠えてるか
あの日から別々の道俺たち歩いているんだな
Hey相棒、笑っているか? 汗かいているか
あの日から会えない日々が随分と過ぎたな
突然行方くらませてそれきり何年も
時間は加速するように勝手に過ぎてく
俺たち出会わない方が幸せだったのかもな
すり減らすようにすべてをかけて使い果たしてしまった
傷つき泣いてたお前の心
気付かずわがままを押しつけてた気付いたときには
遅すぎたけど
Hey相棒、今はなにしてどんな風に生きている?
何もなかったようにこの街戻って、またビール飲めたらいいんだけどな
Hey相棒、調子はどうだ? こっちは上々だ
Hey相棒、もう1度俺たちあの日に戻りてえ
45年を迎えようという人生なのだから仕方ないことかもしれないが、
悲しい別れは積み重なっていく。
婆ちゃん、親父、義理のお父さんが逝ったときの悲しみは
それはそれは大きなものだった。
が、順序としては合っている。
早いか遅いかの問題であるから、悲しみを飲み込んで手を合わせることができる。
これまで書いてきた、心の友と呼べる者との別れは違ったつらさが残る。
やっちゃんはまだまだ逝く年齢じゃなかったし、
ガクちゃんなんか年下だから、順序だって狂っているわけでもう無念である。
まして自殺となったら飲み込めるはずがなく、ずっと引きずっていくことになる…。
今日、4月19日は俺にとってかけがいのない相棒の命日だ。
6年前にヤツは首をつってこの世から去った。
以前ここに書いたが、俺はギタリストとヴォーカリストの
二足のわらじを履いていた時期がある。
そこに突然あらわれてギターを諦めさせてくれたのがナオキだ。
高2の秋に俺の誘いに乗りバンドに加入し、
同じ夢を目指してもつれるように生きた。
メンバーチェンジを繰り返しながらも、
27歳のときに念願かなってデビューへの準備が始まった。
東京の溜池にあった当時の東芝EMIの本社スタジオでレコーディングに入ったのだ。
ナオキと現在もプロミュージシャンとして活躍する野田浩平の3人の正メンバーに
ゲストミュージシャンを2人加えての構成だった。
夢の実現がもうすぐそこにまで来ていた。
メンバー全員が入れるくらい広いヴォーカルブースから、
ガラス越しに4人のメンバーが見える。
そこには元気にギターを弾くナオキもいた。
ヘッドフォンから馴染みの演奏をもらい、歌い込んだ。
俺の調子が悪く、メンバーに迷惑をかけたものの
とにかく一歩を踏み出した日だった。
ヤツもずっとギターで食うことを夢見ていたし
それがいよいよ実現するということにおおいに喜んでいたのだが、
このレコーディングリハーサルが中学から続いたバンドの、最後の演奏になってしまった。
なにがあったのかさっぱりわからないが、ナオキは俺たちの前に姿を現さなくなった。
ヤツの行動に対して理解ができないまま、俺たちのバンドは解散した。
その後少しの時を経て、ひきこもっているという噂を聞き
励ましにいくかっこうでの再会になった。
あまり無理に励ますことなく、なにもなかったかのように酒を酌み交わした。
それからは幾度となく訪ね、たわいもない話で酒を酌み交わし、
音楽については触れないようにしていた。
やがて一度だけだが「あのとき、なんでだ?」と聞いた。
「いつか話すよ」との返事だけで
その答えは結果的には永久に封印されてしまったのだ。

AEROSMITH(邦題・野獣生誕)/AEROSMITH

BORN TO RUN/BRUCE SPRINGSTEEN

Live Coast to Coast/ROD STEWART & FACES
俺とヤツが共通で愛したアルバムだ。
こんなことがあるのか。
あまりにもひどすぎる。
神様なんかいねえよバカヤロー、文句あんならかかってこい。
いやね、重い話が続きますが、
今まで半年以上バカ話ばかりを書いてきたのだからねえ、
すいませんがお付き合いください。
というわけで、宮崎の友に別れを告げ鹿児島に移動した。
夜は47歳にして逝ってしまったヤツとしみじみと呑んだ。
そして翌朝のこと、冒頭へとつながる。
会社から電話が入った。
「昨日の夕方、ガクさんが亡くなったそうです」
ガクちゃんはバイク関連の仲間で、プロレーサーである。
現役からは引退して大好きなバイク業界のために努力を重ねていた。
急激に友好を深めていったのは去年の9月からで、
俺が会長をつとめるLove the Earthのイベントに参加してくれて以来、
いったい何度一緒に呑んだだろうか。
昭和40年男ではないが「大新年会」にも応援に来てくれた。
いつも握手を交わしながら、二輪業界のためにがんばろうと誓い合った。
いろんな仕掛けを始めようと一緒に話していたのに。
バイクのテスト中の事故で、頭を打ったそうだ。
1ヶ月近く意識が戻らず、そのまま逝ってしまった。
集中治療室にいる彼を、ご家族には申し訳ないと思いながらも訪ねた。
ホントにいろんな約束をしていたが、やっぱり呑む約束が彼を目覚めさせるに一番いいと思って…。
「ガクちゃん、明日呑む約束だったじゃん。起きてよ」
手を握りしめながら言った。
きちんと自分で息をしていた。
それがなにより安心させてくれた。
だからちょっと先になるとは思ったけど、必ずまた呑めると信じていたのに。
…なんだよ。
この夜は、昨夜に続いてしみじみと呑んだ。
涙が止まらないから、ホテルの部屋で1人で呑んだ。
ちっともうまくない酒を、次々に体に流し込んでいった。
さようなら、ガクちゃん。