俺がお楽しみ会でもっとも多くネタにしたのが
ドリフターズであった。
教室ネタや合唱団ネタをパクリながらも
若干のオリジナル要素を加えて打ち込む。
見ている側にとってホントにおもしろいものだったかどうかは定かではないが
笑い声が俺を押してくれた。
そんなわけで、ドリフターズは
俺にとって仮面ライダーの次に見たかなえられると信じた夢であり
ホントにおもしろいものを作れるヒーローであった。
とくに俺は運動神経がよくないうえに
足も遅かったから
運動会ではまったく地味な存在だった。
が、お楽しみ会になったときだけは注目の存在になれる。
そして、クラスから笑いが生まれることがホントにうれしかったのだ。
以前にも書いたが
志村けんさんが加入したときは
本気で長さんの失敗を責めたほどだった。
(1人でテレビに向かって)
「ここにいる天才お笑い少年を無視しやがって!」
だがやがて、志村けんさんの笑いの虜になっていったのだ。
少々脱線するが
この壮大な夢を語るのに欠かせないのが
『お楽しみ会』という存在である。
みなさんの小学校ではどのようなもので、どんな内容でした?
ぜひ意見を聞かせていただきたい。
俺の小学校ではこうだ。
学級会で挙手する。
「はい、北村君」
「そろそろ、お楽しみ会をやりたいと思います」
と提案すると、大概多数決になりほとんど可決した。
そして内容はほぼ毎度“出し物”をやるというものだった。
これで俺は徹底的にお笑いにこだわった。
合唱や手品といった芸を披露する者もいたが
俺はブレることなくお笑いだった。
3年生になった頃から6年生まで、カタチを変えながら貫いた。
女装してカツラをつけて、キャンディーズの曲を振り付でかました。
電線マンやフィーリングカップル5対5などのテレビ番組のパロディを
俺なりに加工して本気で打ち込んだ。
シンプルに漫才なんてのも、セリフを原稿用紙に書いてのぞんだりした。
そしてもっとも世話になったネタが
ドリフターズの
『8時だヨ!全員集合』
からのものだ。
ミラーマン、スペクトルマン、ジャイアントロボ、
マジンガーZ、ゲッターロボ、キカイダー、ガッチャマン、
ゴレンジャー(俺はいまだに自分を黄レンジャーと呼びカレーを頬張っている)などなど
仮面ライダー以外にも正義の味方は次々と現れては消えていったが
“なりたい”という夢の対象にしたのは仮面ライダーが最初で最後だ。
以前書いたとおり、V3で現実を知ってからは
“なりたい”から見るのではなく
“おもしろい”から見る“テレビ番組”へと
自分自身でシフトさせていった(のだろう)。
そんな成長したオレが次に憧れたヒーローは
お笑い芸人と歌手であった。
本気で見られる熱くなる夢としても
次々と憧れの対象が現れた。
その中でも、8時だよ全員集合のドリフターズの存在は俺にとってきわめて大きい。

本サイトに新たなコンテンツが加わりました。
その名も
『思い出のヒーロー対決3番勝負!』
昭和40年生まれにとってのヒーロー同士を
直接対決するというのがこの企画だ。
どちらが昭和40年男のヒーローなのかを
みなさんの投票で決めていきます。
今回取り上げるのは
・ ソーリ vs 金八先生
・ ジーパン刑事 vs 工藤俊作
・ フェラーリ vs ランボルギーニ
の3つ。どれも懐かしいものばかりのはず。
結果や分析は3月発売予定の次号に掲載しますので
昭和40年生まれのみなさん、ぜひ参加してみてください。
よろしくお願いします。
あまりにも残酷な結果だった。
駆け寄った俺に親父が差し出したのは、
白いベルトに小さな風車が付いている
どこから見ても偽物だった。
このときの本物というのは
当然のことながらバンダイから出ていた電池で風車が回るもので
満面の笑みで親父が持っているものを受け取った俺はスグに悟った。
“回らない”ことをだ。
手で回せば風車がなんとか動くという代物だったのだ。
「こんなモンでライダーごっこができるか!!」
と、抗議できるほど当時の親の権威は失墜していない。
落胆しながら「ありがとう」とつぶやくのが精一杯だった。
やさしい親父は弟にも同じモノを買ってきて渡した。
完璧におそろいである。
飛び上がって喜ぶ弟を横目に
大きく落胆した俺がたたずむ、晩飯前の居間であった。

※本文と写真の製品は無関係です
もうひとつ、仮面ライダーもので憧れ続けたのが
変身ベルトである。
電池でクルクルと回るもので、
これを巻いてライダーごっこでライダーを演じたい。
俺のもっとも欲しいアイテムとして
当時長きに渡り君臨した羨望の一品だ。
これは小遣いをどう貯め込んでも手の届くというものではなく、
親に頼み込むことのみが手に入れるための努力となる。
ある日、親父がとうとう折れた。
熱意は通じるものである。
神は我を見捨ててはいなかった。
買ってきてくれる日の夕刻、俺は勉強机につき教科書を広げて待った。
当然のことながら教科書なんか一文字も見ていない。
ただ、いい子で待っていなければならない。
それほどの事件なのであった。
誰と一番最初にライダーごっこをやるのかだけを考えながら
長い時間をやり過ごしていた。
「ただいま。おーい、買ってきたぞ」
「はーい」
いつもよりひときわ冴え渡るハイトーンボイスで
父親に駆け寄った少年が見たものは…。

仮面ライダーカードを開ける瞬間。
「目指せラッキーカード!」
だが、そうした気合いが天に届くことなどそうそうないということを
小学生にして知るのである。
タチの悪いことに持っているカードとダブることさえよくある。
それも雑魚怪人でダブったりすると
それはもうその日の投資はすべてがパアということになる。
カードコレクターの間では頻繁にトレードが行なわれるのだが、
雑魚怪人のものはほとんどその対象にならない。
どうしてもゲットしたいときに
文字通り交渉の末端になんとか座っている程度だ。
「じゃあさあ、この怪人カードも付けるからさあ」
などと、3枚対1枚の交換を成立させたりした。
うん、なんとも悲惨なものだ。
こんな役立たずなカードを引いてしまった翌日は
ヤケで食いに走り、真のコレクターには遠のくばかりであった。

ところで唐突ではあるが
仮面ライダーといえばカードだ。
当時の小遣いは読んで字のごとく、とにかく少ない!
わずかな!!
少額な!!
小遣いのほとんどを、このカードに持っていかれた。
当時の社交場である駄菓子屋には
いつも子供たちがあふれていて、
少ない予算を割り振りしながら落としていく。
誘惑に負けて頬張るアンコ玉やスモモ、あんずなどなど
“残らないもの”についつい手が伸びてしまう。
だが、友達のライダーカードコレクションを見せつけられた翌日などは、
グッとガマンしてライダースナックを買った。
スナックはとっくのとうに飽きていて、
よっぽど腹を空かしていなければカードだけでスナック込みの定価を支払う。
もうこれは、自分のコレクションへの投資のようなものだな。
寿司屋でつまみばっかり食べているのと
似ているような似ていないような???
とにかく、ドキドキワクワクしながらカードの袋を開ける。
V3の放送が始まったのが昭和48年の2月からで
小学2年生直前である。
ライダーマンが登場すると聞いたときには
もう2年生になっていたはず。
そのこと自体には胸が躍ったことを記憶しているが
その後は先に書いた通りだ。
小学2年生の、ましてや
どちらかといえば幼い部類に入っていた俺が
急速に冷めていってしまったのには
きっとなにかわけがあったのだろう。
といっても、決定打となった要素を思い出せるわけではなく、
今こうして書いていても “?” ばかりである。
V3で俺が冷めてしまった理由とは何か?
今あらためて見比べると
1号2号との姿形の違いがあまりに大きい。
それと怪人のおどろおどろしさが消えて
なんだかスマートな感じがする。
ここら辺がダウンタウンボーイの俺には受け入れられなかったのだろうか?
などと考えてみたものの
当時に時間を戻すことはできないのだから
検証は非常に難しい。
大人の感性で見直したところで
わけのわからん推理にしかならないしね。
とにかく、少しずつ距離を置いていったという記憶だけは確かなのだが
みなさんどうでしたか?
というわけで、
仮面ライダーにはがんばればなれそうな気がした。
“仮面ライダーになりたい”
このときに5つくらい年上のお兄さんがいたらどうだろう。たぶん、
「なれるわけないジャン。バッカだなぁ、お前は」
などとあざ笑われていただろう。
が、長男の俺はどこまでも信じていた。
それがたぶんV3の頃に
だんだんと現実を知っていったのだ。
ライダーマンの存在も俺の夢をクラッシュさせるのに一役買った。
「あんなんでもライダーなのかよ」
から
「弱くてもがんばっていてなんかかわいそうだな」
へと心が移っていき、
「番組づくりって大変だな。えっ? 番組づくり?」
という、成長から生じる心の変化を
ライダーマンは確実に早めてしまったのである。