昭和40年男のたわごと~創刊へのカウントダウン

雑誌創刊とは? 睡眠時間が極端に減り、ストレスで腹が減るから食いまくって太るという、恐ろしい仕事である。頭のなかでいつもうごめいていて、夜な夜な夢にうなされたりする。でもなぜか、ワクワクしちゃう自分がいたりもする。昭和40年男である編集長が、そんな第1号創刊への日々を振り返り、赤裸々にセルフレポートするこのコーナー。さあ、どうぞみなさん、笑ってやってください。

第17話 ジュリー。

2009 年 10 月 8 日 編集長 コメント 1 件

仮面ライダー(藤岡弘、さん)には救われたものの、
ドリフターズにはフラれた。
このように、すべての企画が立案した通りになるわけでない。
逆に言えば、設計図どおりの本など100%不可能だと思う。
どんな世界もそうだろうけど、
これはむしろおもしろみだと感じている。
紆余曲折を繰り返しながら、
ベストの方向を探し続けることがね。


そうは言っても、
今回の企画に絶対入って欲しかったドリフターズに続き、
沢田研二さんもNGとはちょっと残念だった。
事務所によると、過去を振り返って語るというのが理由のようだ。
現役で活動しているアーティストだものね、それはごもっとも。
でも、この企画は現在までがんばっているということも
表現したい要素ではあると伝えたのだが…。


悔しいけれど、本を知らないことが大きい。
そりゃそうだ、新創刊だもの。
会社が無名なこともすっごく大きい。
「どうもどうも」で始まって、
「まいったなぁ、○○社さんの創刊だったら付き合わないとねー」ってか。


誤解のないように言っておくけど、
沢田研二さんの事務所がというわけでなく、
世の中ってそういうものでしょ。
ひがんでいるわけじゃなくて、これは仕方ないこと。
まだ出版事業を初めて9年の会社だし。
努力を続けてそうなれればいいと
むしろメラメラと燃えている。


事実、懸命に取り組んできた二輪業界では
それなりのネームバリューを誇っていて、
仕事を進めることが容易になってきているという恩恵は感じているもの。
築いてきたわけだよ。
そう、同じように築いていけばいいのだ(メラメラ)。


勝手にしやがれ

  1. ぬこ
    ぬこ
    2009 年 10 月 8 日 18:08

    うほっ。はじめまして。お散歩してたどりつきました。
    ぜひぜひジュリー掲載、よろしくお願いします。絶対買います。
    取材断られたということですが、コンサートで言ってましたが、
    「一回目は断ったるねん。で、二回、三回、言ってくると、本気やな、と思うわけや」などのように。
    どれだけわがまま!? なんですが、
    >本を知らないことが大きい
    なんてことで、雑誌を差別するような人ではありません。めさ硬派だし。
    現にこんなどマイナーな広報誌にも出ています。
    http://www.houterasu.or.jp/houterasu_gaiyou/kankoubutsu/kouhoushi_interview_backnumber/2007natsu.html

    ぜひぜひ、あと二回アタックしていただけないでしょうか。
    「現役でやっているからこそ、昭和40年代が理解できる。
    学生運動などの当時の熱気を、いま、憲法九条の歌を歌っている沢田さんの声で語って欲しい」
    とか、いくるめていただけないでしょうか。伏して、よろしくお願いします。

第16話 仮面ライダー vs ウルトラマン 。

2009 年 10 月 7 日 編集長 コメント募集中

藤岡弘、さんの名前は、企画立案時の落書きにも書いてある。

仮面ライダーになりたい。
ドリフターズに入るという壮大な夢を描く前に心に灯った、
短くはかない、だがやはり当時のバカ少年が
真剣に考えた夢である。


かたやウルトラマンもヒーローには違いないが、
M78星雲で生まれなくてはならないという、
夢を描くにはあまりにも大きな壁が立ちはだかっていた。
そこにいくと、なんてったって仮面ライダーは
本郷猛という元は生身の人間である。
そこに自分にもなれるかもしれないという
夢を持ってしまったのだ。


バイクを乗り回すのもかっこよかった。
必殺技もキックなのが手頃でよかった。
だって出来そうだもの、練習を積めばね。


なれる!!と信じていたものの、
やがて冷めていくのは男の子の成長である。
でも、44年の人生の中で
初めて描いた夢であることは間違いない。
自分にとって記念すべきキャラクターなのだ(!?)。


というわけで、出てもらわなければならないのである。
藤岡弘、さんに取材依頼を入れると快諾で
8月25日にインタビューが決定した。
ヤッター。

第15話 ドリフターズは欠かせない。(2)

2009 年 10 月 6 日 編集長 コメント募集中

小学生低学年のころに
お笑い芸人になるという夢を抱いた。
わりと長くつきあった大きな夢である。


第一希望はドリフターズのメンバーになることで、
5人のチームワークでドタバタな笑いをつくりだすことに本気で憧れ、
始末の悪いことに、妙な自信まで持っていた。
荒井注さんが脱退して、志村けんさんが加入したときは
「長さんもわかってないなぁ。
なんで俺に声かけないで、あんなおもしろくなさそうな奴入れたんだよ」
と本気で悔しがったほどである。


やがてあっさりと志村けんさんの虜になり
教室で東村山音頭を絶叫するころには、
ますます憧れは大きくなり、夢はふくらんでいったのだった。


ずいぶんと時間は流れたが、あのドリフターズに会えるかも知れない…。
企画を遂行すること以上に、そこに高鳴りを覚えるおバカ40年男である。
勇んで取材を申し込んだのだった。
が…、ボツだった。


もう“あの頃”を振り返るのはやり尽くしてしまったというのが、主な理由のようだ。
そりゃそうだよな、今も現役で突っ張っているんだからね。
でもね、ドリフのみなさんありがとう。
あなた方からまた夢をひとつもらいましたよ。
この本を成功させて、いつか誌面に引きずり出すぞぉー!!!!!!!

第14話 ドリフターズは欠かせない。(1)

2009 年 10 月 5 日 編集長 コメント募集中

7月の上旬には、これでいこうという企画をいくつか決定できた。
発売まで3ヶ月の段階でここにいるということが、
世間一般(?)の創刊と比べてどうなのかはわからない。
が、自分が経験してきた創刊史と照らし合わせると格段に早い。
これまでの苦い経験が活きたのだと、
ちょっぴり自画自賛してみたりする。


ではこの時点での企画をひとつ紹介しよう。
“夢あふれていた俺たちの時代。今、胸に抱きさらなる明日へ”。
このコーナーの第4話の絵
“俺たちが見た夢”
という文字が入っているとおり、
本自体が走り始めたときに、すでに骨格となっていた企画だ。


10人くらいのヒーローを選出し
独自の角度から検証するという誌面を目指そうと、
編集作業を開始した。
ノスタルジックだけに振るのではなく、
あの時代の勢いや胸を熱くさせた感動を
あらためて自分の中に取り込めるようなものにしたい。
この人選は編集長であるワタクシめの腕の見せ所だな。


当然、ドリフターズは欠かせない。
「8時だヨ! 全員集合」
チャンチャカチャンチャン、チャンチャンチャーン♪
あのジングルが、頭の中で何度も何度も鳴り響いていた。

第13話 焼き豚屋での初取材。(3)

2009 年 10 月 2 日 編集長 コメント募集中

それでは仕事も片付いたし(ホントか?)と、2軒目に繰り出した。


奴の音楽コレクションの置き場所になっているという
行きつけのショットバーで、DJブースまである音にこだわった店だ。
ラッキーなことに我々以外客がいないため、
バーテンダーはDJと化し
ふたりの会話に出た曲や時代を考慮した曲をバシバシかけてくれる。
「こう来たか」とDJ、いやマスターの選曲にやられながら、
あの時代へと戻っていく。


互いに音楽だけに没頭したあの頃を振り返り、
ばか笑いを繰り返す。
そして互いの現在も語り合い、
やがて日々の苦しさまでをもさらけ出し合う。
15歳から18歳という、
もっとも心が成長する時期に共に過ごした仲間というのは、
今さらながらかけがいのないものなんだな。
昭和40年男の2人は次々にグラスを空にしていく。


こうして過ごす楽しい時間そのままの本が創れたら、
きっと支持されるだろうな。
振り返るだけでなく、
今日と明日を見つめることがすごく重要だね。
そう考えながら26時を過ぎたところでお開きにした。

「じゃあ、28日の取材はよろしくおねがいします」

「ええ、こちらこそ。おやすみなさい」

「おやすみなさい」

なぜだか最後はキチンとした言葉を交わす2人の翌朝は、
互いに相当つらいものになったのであった。



01 02

第12話 焼き豚屋での初取材。(2)

2009 年 10 月 1 日 編集長 コメント募集中

「ここらへんはウマイ店が多いんだよ」とヤツ。
東急目黒線の武蔵小山という駅を降りて、
ゆるゆると歩いた。


うん、いい街だ。
生活のにおいがきちんとありながら、
よそ者を迎え入れる寛容さがバランスされている。
これがいい街の条件だ。
ここはそのバランスがとてもよい。


1軒目はメチャメチャうまい焼き豚屋で、
三味線や歌舞伎の話を聞かせてもらった。
師匠との関係や
この世界での独特の世界観などをたっぷりと。
そして、撮影とインタビューをおこなうのは
7月29日の長唄の普及に主眼を置いたライヴに決定した。


約1時間半のお仕事を完璧(?)にこなしたスーパー編集長の俺なのさ。

第11話 焼き豚屋での初取材。(1)

2009 年 9 月 30 日 編集長 コメント募集中

日本の伝統を継承しながら生きている
タメ年男たちの人生をレポートする企画“自分色で生きる”を進めることは、
わりと早い段階の6月中旬には決定していた。


2~3人を取材しようと人選を進めてはいたが、
1人はその時点でメドが付いていた。
会えば汚い言葉をめいっぱいぶつけ合える、
高校時代の同級生である。
音楽に対する姿勢は当時から群を抜いており、
今や歌舞伎座でも演奏する三味線弾きだ。


7月9日、プレ取材と称して奴の地元に呑みに出かけた。
記念すべき初取材が悪友で
しかも呑みながらというのに若干の後ろめたさはあるものの、
まあ、これも俺らしいと頷くのであった。

第10話 雑誌名。(3)

2009 年 9 月 28 日 編集長 コメント募集中

そのうえで悩んだ3種類がコレ。

image01


とても微妙ながら、さんざん悩んだのだ。
多くのスタッフや知人に意見を求めるが、あまり有効な意見をもらえないまま日々が過ぎていった。

第9話 雑誌名。(2)

2009 年 9 月 26 日 編集長 コメント募集中

それでも意固地にはならず検討を続けてみた。


たとえば
“昭和40年生まれの男たちに捧ぐ”
というヘッドコピーをつけて、
レオンやサライのように、3文字カタカナでキメルというもの。
男の隠れ家や一個人のように、
わかりやすくてカッチョイイのをひねり出すのもいい(出てくればの話だが)。


十分に検討はしたが
やはり初めの気持ちに従って突き進むことにした。
企画を思いついた時点で、“昭和40年の男”と名乗っている。
しっくり来たし、自分にとってこのベタベタな潔さは、
ある意味カッチョイイとも思っているのだ。

第8話 雑誌名。(1)

2009 年 9 月 25 日 編集長 コメント募集中

名称というのは、ものすごく大切なモノである。
どんな商品でも同じだと思うが、
担当者は大ヒットへの夢と希望を込めて命名するのだろう。


では雑誌の場合の留意点は?
以下は俺の持論で、雑誌のセオリーでは決してないから要注意。
カッチョイイ。
キャッチー。
わかりやすい。
この3大ファクターをどういったバランスにするかを考える。


今回はえらそうに語るまでもなく、わかりやすさを重視した。
やや消極的にも取れるかもしれないけど、
新ジャンルへのチャレンジになるからタイトルで変な冒険をして、
せっかくの汗を無駄にしたくない。


まったく競合誌がないものを、書店という戦場に送り込むのだ。
昨今、書店はどんどん大型化が進み
不況と相まってお客さんはじつによく吟味(立ち読み)する。
わかりづらくして吟味してもらえなかったら、まず第1打席に立てないのと一緒だ。
仮に、莫大な広告費をかけられるのだったら、
コミュニケーションを含めて変化球もありなのかも知れない。
だが無名出版社の我が社にそんな金はない。


また、競合誌が多数存在するところに殴り込みをかけるということなら、
同じく変化球でのぞむことも十分に考えられる。
そのコーナーが目的になっていることがあるので、
第1打席に立つために他との差別化や香りといったファクターが加わってくる。


だがなにしろ今回は、競合誌がない(しつこい)!!
わかりやすくした方がいいのは、もう決定事項と言っていいだろう。