この日、さんざん格闘した末に
ヒーローを頭に持っていることを決定した。
もう後戻りはしない。
間髪入れず、そのまま「10年後の自分計画」企画へと
流れ込ませることも決めた。
特集前の巻頭に埼玉西武ライオンズ・渡辺久信監督の
インタビューを持ってくることも決めた。
するとその流れの中からバランスを考えて指示が出せるようになる。
この日の台割表を眺めると、
自分の悩みのひとつひとつが思い起こされるから楽しい。
発売1ヶ月半前で台割表がほぼ最終型に至っているのは
俺としてはかなり早い。
今回の創刊には相当ビビっているということだ。
あわせて本全体のバランスも考えていく。
特集のサイズ(ページ数)やメッセージの量という考え方をしていくのだが
この作業はすごく算数的な考え方になる。
以前、とあるミュージシャンのインタビューで
「作詞はすごく数学的に考える」と聞いたことがある。
俺はすごく頷いたね。
雑誌の場合だと
この企画のパワーとかタイトルのベクトルがこういう数値になるから、
巻末はちょっとこっち側に引き算入れとこうかって、
なんかすっげー感覚的に聞こえるかも知れないけれど、
かなり算術なんですよ。
わかりやすく計算するために、
台割表が表示されているPCの画面を
あーでもない、こーでもないといじっている時間は
足りないながらも能力のすべてを駆使している時間である。
集中力を高めて考える。
現場から上がってきている、すでにカタチになっている部分もあり、
これからつくり込んでいくページやタイトルに大きな影響を与える。
そんなこんなのすべてが台割表に刻まれていくのだ。
9月1日。
この時点での発売予定日は10月14日なので、
実質あと1ヶ月で仕上げなければならない。
焦りながらも、この日はじっくりと台割表を
完成に近づけていく1日にした。
この日まで巻頭特集を
“ヒーロー”
でいくか
“10年後の自分計画”
でいくか、決めかねていた。
キャッチとしては断然ヒーローの方が強いことはわかっている。
仮面ライダーや松田優作さんの写真だけで
俺たちにはかなりグッと来るはず。
でも、この本に込めていきたいメッセージとしては10年後の方が強い気がする。
悩む。
菊池投手をみごと引き当てて
満面の笑顔を披露したのはつい最近の話だよね。
でもこの時点では、ペナントレースまっただ中で
楽天との3位争いという様相を呈していた。
取材日の8月26日は楽天を迎えての3連戦の中日で、
前日は西武ライオンズをこれほど強烈に応援したことはないというほど
力が入っていた俺だったりする。
応援の甲斐あって1点差を競り勝ち、
この日はたぶん気分よく迎えていることだろう。
さて、取材はというと…、時間が少々足りなかった。
本文でも触れている、小中学生時代を振り返っての話がかなり盛り上がってしまい、
もっと突っ込みたかった台湾での苦労や
去年優勝へと導いた話などまで十分な時間が回らなかった。
が、ここはライター石井の腕の見せどころ。
本誌をご覧頂ければ、きっと頷いていただけることだろう。
2日連続して、濃~い時間を過ごすことができた。
すごく成長させてもらっているな、よしっ!!
五十日でもないのにえらい渋滞で、
約束のギリギリで西武球場に滑り込んだ。
ライター石井は何度も来ているとのことだが、
俺はここに来るのは始めて。
新旧後楽園、神宮球場、横浜球場、
そうそう、かつてロッテの本局地だった
東京スタジアムあたりが行ったことのある球場で、
一度行ってみたいのがやっぱり甲子園だね。
いつか、夏の高校野球を全部見るのが
ささやかな夢だったりする。
さあ、とにかくこれまで取材経験のない現場へと
足を踏み入れるのだ。
いい気分なのだよ、脳がカリカリと動いているようだね。
球団広報の方に案内され、待つこと約30分。
「お待たせしました」と現れた渡辺監督。
ひえー、デカイ。
練習用のユニフォームに身を包んでいる。
「昭和40年生まれの男だけの本をつくろうと思っています」
「えーっ、それはおもしろいですね」
やった、好評だ。
「そこで、タメ年のスゴイやつという企画に登場願おうと、
本日はお時間をいただきました。
よろしくおねがいします。
ちなみに私も本日インタビューを担当する石井も監督とタメですから」
ここで笑いが取れ、いい雰囲気でインタビューはスタートした。
脱線は止まらない。
しつこいようだが、8月26日。
西武球場を目指すゆかいな仲間たちの紹介だ。
カメラマンの武田。
こいつとはもうずいぶんと長いこと一緒に仕事している。
俺が始めて編集長の仕事に就いたときに
メインを張ってもらって以来、
本人には絶対内緒だが頼りにしているヤツである。
42年生まれと近いこともあり
カメラマンとしてだけでなく企画面でも関わってもらうべく、
早い時点で声をかけていた。
写真の使い方をめぐってよく言い合いをする。
モノをつくり出すという意識になれば当然のことで、
双方主張をぶつけて仕事するからだ。
ヤツは写真が大事。
俺は文章が大事。
こんな2人の言い合いの具体例がこんな感じ。
「写真を見開きページに全面にひいて、本文を載せたい」
「そんなん読みづらいからヤダ。
そもそもその写真を大きくする意味があるの?
大きくするにはそれなりの意味が必要なんだよ」
「意味があるに決まってるじゃないですか。
この取材の象徴的なカットだからですよ」
てな具合だな。
俺に完全なる落ち度があったときのことだが、
自分で撮影すればいいと言われブチ切れた。
そのままヨドバシカメラに直行して、
女房に内緒の36回ローンを組んだ。
以来、写真も撮るようになり、今回の雑誌でも掲載はしてる。
自分で撮るようになって、
よりヤツの写真が好きになったのだから、
まんまとはめられたといってもおかしくない。
とにかく、お互い真剣だから言い合いは続くのだろう。
そういう意味では、とても気持ちいい数少ないアホである。
いやー、最近おとなしい人が多くてね。
写真の使い方でも
「普通、こういった場合は大きく使いたいじゃない」という、
腐ったセリフを現場で聞くことがある。
もう本気で泣けてくるのだが、これけっこう多い。
“普通”ってなんだよ、“普通”ってよー(怒)。
俺たちの仕事に絶対存在してはいけないモノ。
普通などと言いながら仕事を進める感覚だ。
以上、長いメンバー紹介を終え、いよいよ西武球場に到着したのだった。
そして、取材当日の8月26日。
西武球場を目指す会社のポロ車の中だ。
さらにちょいと脱線するが、
この日のメンバー紹介からお付き合いいただきたい。
まずこの日ライター&インタビュアーとして付き合ってもらった石井氏は、
バイク関連の仕事でよくご一緒する方だ。
昭和40年生まれの編集者である。
ご一緒するとは書いたが、
クライアントを間に置いて互いが知恵を出し合うとかそんな仕事ばかりで、
今回のように組んでなにかをつくるというのは初めてだ。
ただ、彼の仕事のクオリティにはいつも脱帽させられていただけに、
ずえったいに加わってほしかった。
社内の人間は言うまでもなく重要な存在だ。
加えて、外部スタッフも社内にないエッセンスを吹き込んでくれる
やはり重要な存在なのだ。
ラブコールを送る。
しかし彼、デキル男がゆえかなり忙しい。
そこをなんとか引きずり込めたのは、
今回の本への興味が大きかった。
また、俺と共通して昭和40年男のパワーを信じていて、
さらにこの時代に生きたことを誉れに思っているからというところも大きいように思う。
大量の担当を持つのは無理だが
参加を引き受けてくれた。
彼はスポーツ全般への造詣が深いので、
“タメ年のスゴイやつ”の取材対象が野球関連となった瞬間、
まだ本への参加を取り付けていない時点にもかかわらず
俺の中ではセットされていた。
フッフッフッ、結果オーライ。
とにかく、横の繋がりがあまり得意でない俺にとって、
強力な1枚が加わったのである。

photo_Daisuke Takeda
副編の小笠原に
「両者に取材依頼をかけてくれ」
ここでプライオリティをつけて、
断られたらこっちというのは時間的に避けたかった。
進められる企画はとにかく前進させたい。
それにシーズンが後半はいっていくと、
ピリピリしてそれどころじゃないという恐れもある。
「両者ともOKだったらどうするんですか」
「1人当たりのページ数を減らして、2人とも掲載するからそれならそれでいいよ」
うーん、カッコイイ(ホントか?)さばきだ。
さらに
「じゃあ頼んだぞ、仕切っといてくれ」
とホン投げる俺に、
「くそーっ、俺だって作業がめいっぱいなのに」
そう心の中で何度も叫びながらも、
ぐっとこらえる小笠原なのだ。
「古田さんかな?」と俺。
なんとかくらいついてきた編集者から、
与田さんや山本昌さん、小宮山さんらの名前が挙がった。
「今リアルに現場で頑張っている人がいいよね」
「なら、山本昌さんですか?」
「中日はヤダ、ワールドベースボールクラシックの件があるからダメ!!」
こんなつまらいことで突っ張れるのは、編集長の特権だ。
「なら小宮山さんで」
「うん、俺大好き」
と、こんなつまらない言葉が飛び交っても、編集会議と呼ぶのだ。
「渡辺監督はどうですか?」
これもいい。
去年の監督1年目で日本一に輝いた男には、
中間管理職で毎日胃を痛めている俺たち世代には
きっと響くなにかがあるはずだ。
もう本が出たというのに
過去に戻ってどうするという気もしなくもないが、
今あなたの手の中にある一冊に
こんなドラマ(!?)があったのかって、
ますます好きになるでしょ。
つうことで
このコーナーはしばらく続けていきますので、よろしく。
藤岡弘、さんの取材の興奮さめやらぬ翌日、8月26日。
俺は所沢の西武ライオンズ球場を目指していた。
“タメ年のスゴイやつ”という企画で
わりと早い段階から取り組んでいた。
読んでそのまんまの企画である。
「奥田民夫さんとかいいんじゃない」
「エガちゃんもいいよね」
そこに
「えーっそりゃふざけすぎでしょ」
と俺。
「創刊号は野球」
若い編集者たちにはピンと来ないらしい。
「俺たちの時代はね、遊びといったら野球しかなかったの」
小学生のとき
クラスにおける地位(?)を決める
もっとも大きなファクターであった。
勉強なんかより、サッカーなんかより、
とにかく野球の腕前が絶対的であった。
そして、俺は野球が下手だった(悲)