予算が湯水のようにあればそれにこしたことはないのも同様だが、
小さな出版社にとって、そんなことは夢のまた夢だ、
となると、できる限り工夫でやりくりするようになる。
広告する予算がないのだったら、書店の棚が勝負になる。
そこにはどんなライバルがいて
手にとってもらえるようにするにはどうしたらいいのか?
自分の感性を信じて深く深く考察する。
つねに書店の棚でシミュレーション勝負をしながら、自分の技術を高めていく。
手に取ってくれたらどうすればレジへと運んでくれるか?
いつも考え抜いているから
この出版不況のなか、なんとかおまんまが食えているのだろう。
“雑”じゃない雑誌が増えたことも、
なんとかやっていけている要素だと思っている。
商品名に“雑”が付くものなのに、
なんだか縛られている人が多くて、
ずいぶんとライバルが減って助かっているというか。
俺を育ててくれた雑誌たちは、
ホントになんでもありだった。
そういう時代の人たちが
逆にいつの間にか雑誌における常識をつくっていって、
型にはめ込んでいったのだと思う(一部ね)。
ロックも一緒。
どうつくろうと、どう歌おうと
「あんたの好きにやりなよ」ってのが、
本来のロックそのものでしょ。
“雑誌”と“ロック”。
すごーく似てる。
大人たちがこねくり回してつまらなくしてしまったことと、
それでもリアルに進化している両面を持っていることとか。
俺はこのフィールドで「なんでもありだからな、好きにやったれ」と
いつも励まされているような気がするんですよ。
「はーい、がんばりま~す」ってか。
もうちょっというと、すごく技術が高くてセンスもある人が
その殻を破りながら楽曲を書き上げて
誰をも圧倒するパワーを身につけてプレイされたらもうなにもいうことない。
曲の完成度ばかり高いと嫌味だし、パワーだけじゃうるさいし。
ねっ、フィフティフィフティのバランスが大事でしょ。
双方が高くなるように日々努力する。
それがロックだー!!!
じゃない雑誌づくりだー!!!!!!!!!!!
その意味で、冷静に今回の本作りを振り返ると、
かなりうるさい作品になっている。
技術よりパワーの方が勝っているもの。
今、次号に向けて毎日素振りをしてます。
少しでも技術を上げて、そのうえで今回以上にパワーを注入した
バランスのいい一冊を目指しますので、ぜひご期待ください。
こんなにがなり立てるようなヤツがバランスを取れるのかと
自分自身で突っ込みたくなるが、とにかく前へと進みます。
お付き合いいただきありがとうございました。
(了)
『昭和40年男』に話を戻そう。
今回、この本を『北村マガジン』といった外部スタッフがいた。
んなこたぁないよ、みんなの力でつくりあげたのだからって、
以前ここでも書いたとおり。
だけど、自分の信じた本にしたことは確かだね。
暑苦しくて、押しつけがましくて、泥臭くて、センスがまったく香らない。
同じテーマでもっといい本にできる人はたくさんいることでしょう。
でもね、俺がタクトを握っていなければできないという本をつくりたかったから、
内外スタッフに熱く語り続けてベクトルをそろえた。
そのうえで、褒めてもらえてたくさん売れたいと思うから、
持っている技術も出しきった。
雑誌や本が売れない時代といわれているけれど、
決して“雑誌”が売れないということじゃない。
その完成したパッケージに魅力がないだけなのだ、
といつも自分に言い聞かせて高いハードルを掲げる。
じゃあ売れるためにどうしたらいいのですか?
価値を付与しましょう、となるよね。
これは千差万別、人それぞれになる。
大手の出版社ならそれまでに蓄積された資産をふんだんに使ってとか、
優秀な人材を使ってとか考えられるでしょう。
マーケティング力や経験を使えば、いろんな手法もあるでしょう。
でも、それと俺のいる中小の環境は全然違うから、
自分の汗でなんとかしなければならない。
逆にそこが大いなる成功への道であることを、
これまでバイク雑誌の世界で実感してきた。
歌もまったく同じで、
人様から「よかった」と褒めてもらえるとものすごくうれしい。
ただ、“売れる”というベクトルにだけ自分をゆだねてはいない。
歌も雑誌も生き物なので、
それだけになると勢いのある仕上がりにはならない(はず)。
ふれている人たちが、
なんとなく好きじゃないというへんてこな印象を持つ(はず)。
って、30年歌ってきて全然売れたことないのだから、
エラソーに語っている負け惜しみみたいなものだけど。
ただね、雑誌つくりも同じ気持ちを貫いているから。
技術に熱い気持ちがともなっているのが、俺の目指すものだ。
技術の中には“売れる”方程式みたいなものもある。
本当にすばらしい作品は、
そんな技術が高くて本人の気合いがしっかり入っていて、
そのバランスがフィフティフィフティに仕上がっているもの。
もちろんいろんな考え方や方法がある。
あくまでも俺はそう思うという意味だ。
「いろんなことをやっているんですね」
と、言われることがある。
いつもヤレヤレと心の中で思う。
「んなこたぁねえんだよーっ!!」
と、心の中で叫んでから
「いやぁ、そんなことないですよ」
とヘラヘラ笑って話をそらす。
本気で興味がある人だったり、
本気で付きあっていきたい人にはキチンと説明する。
が、興味本位でテキトーに聞いてくる人に説明したところで、
お互いに時間がもったいない(ホラッ、ケチだねぇ)。
いろんなことやっているどころか、
むしろものすごく狭い範囲で生きている。
数少ない一所懸命続けているのは、
好きなことなんですよ。
そりゃー好きなことをやるためですから、
寝不足だってするし、無理だってする。
人に頭を下げたって、土下座したって、
笑われたって、いじめられたって、
大して苦にならない。
なんで好きなのか?
自分の精魂込めてつくったもので、
喜んでもらえる瞬間を知っているからだ。
そういう意味で俺はアーティストにはなれない。
だって人様の評価を気にしてつくっているんだもの。
絶対的な自分が存在して、
そいつが求めるがままにつくって、
誰の評価も気にせず幸せ気分を味わえちゃうような人がアーティストだよ。
そんな勇気も度胸も、俺は持ち合わせちゃいない。
というわけで長い長~い編集後記である。
トートツだが、幸せである。
文章を書く。
雑誌をつくる。
歌をつくる。
バイクがたくさん売れるようにプランをつくる。
デザインの相談を受ける。
年に1回だけなんちゃってランナーに変身して、フルマラソンを走る(なんのこっちゃ)。
自分が一所懸命になれて、
そんでもってうまくいくとそれは大きな喜びで
すっげーうまい酒を呑む。
うん、幸せである。
これまたトートツだが、一言でいうとケチなのだ。
努力してきた自分を捨ててしまうのがもったいなくて、
雑誌の仕事をやりながらも歌にしがみついてきた。
趣味レベルじゃなく(実力のことは棚に上げて)
取り組んできた。
雑誌つくりは忙しいのは当たり前のことで
んなもんは大前提である。
寝不足の自分を奮い立たせて
歌を作ったり練習することが、ラクなはずはない。
14年続けてきたフルマラソンなんかも、
ひと月前くらいから憂鬱な気分になる。
「やめちゃえばいいじゃないか」と思うときだって、
ないといえばウソになる。
逆に雑誌を作ることをやめちゃえば、
それはそれでラクになれるね。
でも、せっかく続けてきた自分がもったいなくてやめられない、
ただのケチケチ人間だと思うと整理がカンタンに付く。
創刊から2ヶ月が過ぎようとしている現在まで、
よくこのコーナー(創刊へのカウントダウン)を引っ張ってきたなと
自分でも感心するが、とにかくうまい酒を呑んだ。
ものすごくいいライヴをやったとき
(あっ、俺、本業ミュージシャンなんで)
くらいうまかった。
そして11月24日(大安)に次号が出ることを決定させて、
編集会議を開いたものの
例によって例のごとく
細々とした仕事が次々と入ってくるうえ、
なんてったって師走である(トホホ)。
今、スゴイ焦りに包まれながらも、
意欲的になっている自分もいてケンカしている真っ最中だ。
がんばらなくっちゃ。
つうわけで、創刊までを綴ってきたこのコーナーに
そろそろケリをつけるぞ。
“大”編集後記の始まり始まり~。
支持されなかった本はダメ。
つたない出版人生でさえ、そのくらいのことはわかっている。
テーマや切り口、コンセプト。
そしてそれらを1つの雑誌としてまとめ上げる編集長たる俺のセンス…。
いろんな要素が相まって結果が出る。
残酷だけど結果は売れるか売れないかであって
いいか悪いかではないのだ。
もちろん、悪いもので売りたいとは思わないよ。
自分が信じるいいモノへ向けて、まったく手を抜かずにやってきた。
そう、やりきりましたよ。
自分の実力は現時点でこれですとハッキリと言える。
反省点はたくさんあるし
まだまだ努力しなければならないなと思わされたけど
とにかくやりきった。
こんなにすがすがしいモノなんだね。
いつも100%で仕事していると思っていたけど、
どこかで経験に助けられている自分がいたことに気づかされたのだ。
こう綴っていると、まるで自分1人でつくったように誤解されるけど、
参加してくれた1人1人の熱がカタチになったのは言うまでもない。
議論を繰り返し、俺にいろんな情報や感性を
押し込んでくれたみなさんに感謝感謝である。
さあ、今日は呑むぞ。
みんなと打ち上げるのは後日にして、じっくりと家呑みを楽しみたい。
この本を縦、横、斜めから眺めながら、深~い酒を呑む。
酔い潰れちゃってもいいのだ。
ばんざーい。
ありがとう!
本当に売れるだろうか?
でき上がってきた雑誌を最初に手にして
しばらくかわいがった後に出てきた不安である。
この段階になっておかしな話かも知れないが
作っている最中は売れると信じて突き進んでいるから
今日ここで至った気持ちよりラクなのだ。
必死になってがんばっていればいいのだから。
でも、今手にした本が書店に並んでしまうと
俺が売るためにがんばれる要素は限りなくゼロに近い。
なんだか急に現実の中に放り出された気分になった。
ある程度の支持が得られなかったら次はないと
自分に言い聞かせてきた。
これだけ苦労してつくったのに
ひょっとしたらこの1号で終わってしまうかも知れないということだ。
それはあまりにもつらい結果だよ。
でもね、まったく支持されなかった本はやっぱりダメなんだよ。
10月26日。
印刷所から“昭和40年男”の完成品が届いた。
さっそくページをめくる。
何度もチェックした原稿だし
ページの順番に並べてリズムや流れのチェックも繰り返してきた。
なので、次のページ展開と内容が完全に頭の中に入っていて、
読者として楽しめないのがちょっと残念である。
うーん、かわいい。
自分の中から生まれた、まったく類似誌のない本なのだ。
かわいくて表紙にスリスリしたいが
藤岡さんの厳しい表情がそれを許さない。
ひとしきりかわいがって考える。
さて、この本売れるのか?
よくできたと思う。
自画自賛はいくらでもできる。
だが、はたして俺のタメ年たちは支持してくれるのか?
「いいねえ」とか「おもしろいねえ」とか言ってもらう前に
680円もの大金を払う価値がはたしてあるのか?
自分の尺度ではもちろん払う価値を目指してつくった。
だが、今こうして完成品を読者視点で見ることができない自分には
まったく予測できないのである。
チェックは終わった。
制作の作業台にすべてを託し出かける。
ジーンズからスーツに着替え、編集長からスーパーハイパービジネスマンに変身だ。
朝の清々しい空気と、降り注ぐ太陽の光がまぶしい。
新幹線に乗り込みクライアントが首を長くして待っている、西へと向かった。
「みんな、あとは頼んだぞ、行って来ます」
疲れは限界をはるかに通り越しているのに、気にかかって眠れない。
もっとも、寝たら絶対に乗り越すだろうけどね。
結局、すべてが終わったと連絡を受けたのは
こっちも仕事が終わった直後の夜だった。
みんな、お疲れさまでした。
俺は1人のホテルで缶ビールをかざした。