編集長のつぶやき

自身が昭和40年生まれでもある編集長が、超多忙を極める毎日のなかで思ったこと、感じたことを同世代へのメッセージを込めて書き連ねる。

高知ぜよ!

2010 年 6 月 21 日 編集長 コメント募集中

会社に戻ってきたのは、日付が今日に変わった夜中の1時を過ぎていた。
20日の日曜日に開催したイベント終了後、
約12時間の激走に揺られ続けての帰社だ。
俺はこのイベントに絡めて、龍馬伝で
盛り上がる高知へと取材に出かけたきた。


初めて高知を訪ねたのは、30歳の誕生日直前のころだった。
このときも仕事を絡めてでかけ、無理くり休暇をくっつけて旅を楽しんだ。
もっともこの頃はまだ編集などというクレイジーな仕事には就いていなかったため、
忙しい忙しいとわめきながらも時間はつくれたのだった。
でもね、今もきっと同じだよね。
確かに暇ではないけれど、もっと大変な人はいっぱいいるし
“質”を掛け合わせたうえでの仕事量は俺なんかまだまだなわけで、
そう考えるといつの時代も“忙しい”という言葉は究極の甘え文句なのだなと、
15年を経ても同じような自分を反省したりしています、はい。


あのときは30歳を迎える直前に、
この後の30代という10年をしっかりと考えようと出かけた。
テーマとしたのは明治維新で、いうまでもなく日本の明日を信じた
多くの若者の力と命によって成し遂げられた革命である。
その原動力のひとつとなった土佐藩の男たちを学ぶことから、自分を問いただそうとした旅だった。
龍馬さん33歳、武市さん37歳、中岡さんは30歳で亡くなっている。
30代で亡くなった人たちにあらためて敬意を持ち、
かつ、彼らの志の源を少しでも感じたかった。
土佐を愛する人たちを訪ね、うかがった情報を元に練り歩いた旅であった。
2日間という短い時間ではあったものの
それはすばらしい経験となり、今も自分の血肉になっていると思う。


あれから15年の時間が流れた。
その間、幸せなことに仕事で3度ほどこの地に足を運んでいる。
が、それは初めてのときのような時間は使えず、
かつおのたたきと桂浜の景観に満足して帰るような旅ばかりであった。
今回は「昭和40年男」がちょうど一段落ついたタイミングであるのと、
あの時から15年を経た自分の視点でページをつくろうという思い、
イベントスタッフより1日前に四国入りし取材を進めたのだった。
たった1日、されど1日だ。
中身の濃い時間を過ごし、旅心を全開にして取材した。


45歳直前であるからちょうど15年である。
残念ながら雨がそぼ降る南国ではあったが、
ひとり旅のそれは風情としてとらえられる。
雨に煙る高知城がよいのだよ。


吉田東洋暗殺の地と武市半平太切腹の地の距離に、あらためて歴史の皮肉を知る。
こんな近くで、結局は偉大な頭脳を持った互いが殺し合ったことになる。
東洋さんが土佐勤皇党に斬られた現場に、ちっぽけな碑が残されている。
土佐勤皇党の党首として罪を問われ投獄され、
切腹を命じられ見事に信念を貫いた場所にも同じくちっぽけな碑があり、
そうだなあ、歩いて5分もない距離だよ。

武市半平太切腹の地

 
吉田東洋暗殺の地

吉田東洋暗殺の地



歴史博物館ももちろんいいが、
こうしてただ碑が残っている昔の事実が刻印されただけの場所もいい。
そこから自分の心がなにを読みとるかが、楽しみでもあるからね。
事実、15年前に感じたことと、まったく異なる自分の心に出会えた。
「うーん。もっともっと旅心を育てていくと、必ず違ったモノが見えてくるのだろうね、芭蕉先生」
とつぶやく自分がいたよ。


それはなにも旅に出ることだけが育ててくれるモノでもない。
日夜鍛え上げた心と、旅が教えてくれる諸々が合致して大きなうねりを生み出すのだねえ。
“日々、おおいに生きること旅なり”
はいはい、忙しいなどと甘えずに努力を続けましょうね。
俺たち社会の中間管理職だものねえ。

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大編集後記。キカイダーな表紙づくり(4)

2010 年 6 月 20 日 編集長 コメント 6 件


もちろん、このままでいくほど表紙づくりは甘くない。
むしろこもっともっと苦しむのはこからだ。
せっかくデザイナーが投げ込んでくれた情熱である。
より高い次元へと持っていきたいと熟考する。
全面でなく効果的に青を使うためにデザイナーに伝えた。
「どっかでさ、ぶった切ってみてよ。上下とか、たとえば真ん中から割って“キカイダー”とかね」


ついにでたーっ、キカイダー。
そして出てきたのがホントにキカイダーだ。
大爆笑!!!!!!!

これもやりたかったなあ。でもさ、ビックリ仰天したのも本音だ


さすがにこれはなんの本だかわからないが、現場にいる自分としてはものすごく楽しい。
アイデアがドンドンおもしろい方にいくことがだ。
ここからはあーでもない、こーでもないといくつもの表紙を作ってもらった。
全部を公開するのはあまりにバカらしいので省略するが、相当な数になったよ。


一方でものすごく悩んだのが、特集のタイトルだ。
これは完全に俺のテリトリーで、20本近く書いたよ。
その中でいくつか組み立ててもらった。

さあさあ、皆さんだったらどのタイトルにしましたか? 人気投票開始~(笑)


が、結局最終的には元に戻した。
これも現場ではよくある話で、決して無駄ではない。
ひとつの題材でいくつもいくつも真剣に組み上げていくのは、
やっぱり仕事が上達するために重要なことであるし、
たまたま今回は戻ったというだけのことなのである。
時間の許す限り戦うのは、タイトル付けの絶対的な原則である。
昔はさあ、自分でつくった曲を見直すのが嫌いでね。
若かったよ。
自分の仕事を否定することの難しさから逃れていただけなんだよね。
でもそれができないヤツがただのタコであることは、長い仕事人生で学んだことで、
ホント指導してくれた世の中に感謝感謝だよ。


最後の最後に夏の文字の回転を無くしてもらった。
「なんかさ、強さより楽しさが前に出てるから。今回は夏をダイナミックに男らしく、だからさあ…」
さらに、西澤さんの写真を差し替えて完成したのが、今皆さんの手元にある表紙だ。
ふーっ、長かった表紙メイキングドラマでした。
また次号も大いに悩み、組み立てていくのさ。


おまけ。
西澤さんの写真入れ替え前の色校正紙を、8月7日の宴で放出します。
この紙は印刷作業に入る直前の試し刷りで、コストもかかっている貴重なもの。
しかも、最終的に変更が入っているということは、『昭和40年男』がメジャーになったら
もう何百万円の価値になるだろうな(ちょっと嘘)。
でも、レアものには間違いないのでお楽しみに。

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  1. こうぞ
    こうぞ
    2010 年 6 月 20 日 21:49

    この赤×青キカイダーがよかったなあ。

  2. 編集部員
    編集長

    笑っちゃいますよね。でもキカイダー過ぎです。強烈なキャラだったのですね。

  3. Coo
    Coo
    2010 年 6 月 20 日 21:51

    こんにちは、確かにキカイダー色だっ。編集やってた頃はキンアカ表紙は廃刊のサインと言われてたので、当時見てたらビックリしてたと思います(^_^;) 離れて随分経つので感性がずれてしまったのだと思うのですが、青地に赤文字は汚く見えるのと、何が書いてあるか判別しにくいので好きではないです。タイトルは、「夏は少年にかえれ」みたいな方が良かったかな、サンダルに半ズボンみたいな服装を大人がしてもまぁまぁ許されるのはこの時期だけなんで。

  4. 編集部員
    編集長

    おーっ、さすが。「夏は少年にかえれ」来年はこれでいきます(笑)。

  5. FIGARO
    FIGARO
    2010 年 6 月 20 日 23:23

    夏号発売、おめでとうございます!
    編集の裏話、生々しくて面白いですね。
    毎週月曜日の「待ち人来たらず」の願いも少々天にも通じてきたみたいで・・・
    40代の男性のバイブル本になることを祈っています。

    お疲れさまでした。
    では、また明日!(^^)!

  6. 編集部員
    編集長

    本日もよろしくおねがいします。少しずついい方に向かっている気がするのは俺だけでしょうか? がんばります。

大編集後記。キカイダーな表紙づくり(3)

2010 年 6 月 19 日 編集長 コメント募集中


いやいや、長文になってしまった。
お付き合いいただけいている皆さん、ありがとう。
長々と前提を語らせてもらったうえで、今回の作業過程をドーンと公開しましょう。


デザイナーから一発目の表紙案が送られてきたときは、まず俺自身がビックリした。
夏だから青という単純な発想が元かもしれない。
ここでの瞬間的な俺の心の言葉は。
「あーあ、わかってないな。白地だよ、うちは」

???

さあさ、これほど多くの時間を使って、しかも情熱的に語ってきた俺でさえ、
現場ではこんな勘違いをするのですよ。
もっとも憎むべき言葉の固まりだ、この台詞は。
「うちは…」なんて固めてしまうことをもっとも嫌っているはずなのに、
しかもデザイナーなりに考えて考えたうえでトライしたものに、
瞬間的に自分のベクトルと外れたというだけでわかってないなと
切り捨てようとしたこと。
はー、私バカです、愚かです。
約5分かかってそんなことに気づき、じっくりと見返すことにした。


“アリ”かもしれない。


そんな想いに変わったのはやはり5分ほど眺めてからだろうか。
副編の小笠原を呼ぶ。
「いいかあ、いくぞー」と思わせぶりにかまえ、パッと見せた。
やはり瞬間的には大いなる違和感を感じたことだろう。
だが、俺なんかよりよっぽど回転がいい。
約数秒で「ありかも知れないですね」と来た。
もちろんこのままという意味ではなく、ベクトルとしてだ。
こうした破壊もありなのではないかと。
「ふっ、さすがだ副編」と心がつぶやき、うれしくなった。
ヤツは自分に言い聞かせるように「売れないでカッコいいとかはいいっすから」とつぶやいた。


なぜキカイダーへと進化していくのだろう?
それには思わせぶりにもう1日引っ張るダメダメな俺である。
明日へとつづく。


俺を悩ませ、だが、新たな勝負へと誘ってくれた貴重な第1案だ。このブログを見ている人しか触れられないお宝ビジュアルである(笑)

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大編集後記。キカイダーな表紙づくり(2)

2010 年 6 月 18 日 編集長 コメント募集中

表紙づくりのメイキングドラマである。
というわけで(なにが)、いつかつくってみたいという野望があるのよ、
まったく文字が入らない表紙を。
まっ、雑誌に置き換えると誌名は入れなければ流通しないけれど、
特集「?」とメチャメチャ大きな文字で入れるとか。
こんなのめくってみたくなるじゃない。
そこにいたるには、時代を十分に読んだ上でのクリエイティブワークでなければならない。
的確に判断を下せるジミー・ペイジのような頭脳を持ってね。
うーん、やっぱり大変だな。


それとやはり、ある程度メジャーな存在にならなければあまりカッコイイモノでない。
“レッド・ツェッペリンⅣ”と一緒で、あそこまでいっていた彼らだからカッコよかったわけで、
たとえば新人バンドがデビューアルバムでやってもカッコ悪いじゃない。
もしも、それでも勝負に出るなら相当のアートワークが必要だったり、
莫大なプロモーション予算があるとかね。


とにかくいろんな意味で、流れの中にいい表現があるわけだよ。
『昭和40年男』はなにかやりそうだな、という期待感みたいなものを
抱いてもらえる存在に育てていき、さらにメジャーになれれば
とりあえず手に取ってくれる。
今とは違う遊びができるようになる。
やっぱり究極の表紙、じゃなくジャケットなんだよね“レッド・ツェッペリンⅣ”は。
いつか見てろよー。


そんな野望を持ちながらもベタベタな表紙を毎度送り込んでいる俺です。
これがつまらないというわけではまったくなくて、
これも今の自分たちに流れている時代や書店という流通拠点や
様々なことを考えながら、今できることを練り込んでいるのだから、
思考としては最大限がんばっているのよ(その程度かというご指摘はあるでしょうが)。


雑誌タイトルもベタベタ、特集タイトルもベタベタな表紙の目的は
もちろん読者のみなさんに手に取ってもらうこと。
なんてったって無名ですし、プロモーション予算もないから。
昭和40年生まれ、またその周辺がターゲットというものすごくせまい雑誌でありながら、
この3号目リリース時点でターゲット内の知名度はおそらく1%に満たないどころか、
もう一桁下かも知れないと想定してつくっている。
だっからね、今はまず手にとってもらうことが表紙づくりの勝負である。
それにはベタベタと呼ばれても、わかりやすい方がいいのです。
俺だってデザインを学んだ時期があるわけだし、
それを見る目を日々鍛えている自負はあるから、つくりたい方向性とか基準は自分の中にあるよ。
でもね、それだけでのモノづくりはマスターベーションに過ぎないのだ。


文字量が多くなってしまうのも、挑んでいる勝負のせいだね。
夏には興味がなくても肝臓だったら手に取るかもしれない。
そう思うとどうしても入れたくなるのは理解してもらえるのではないかと。
ホントにカッコいいのは泥まみれになってでも勝ちにいくロッキーだったりするでしょ。
書店というリングの中で、ダサダサかもしれないけれど
自分たちの今をつかんで精一杯の勝負を挑むこと。
そこに男の美しさがあるわけだよ。
“レッド・ツェッペリンⅣ”だって、後に神格化されてはいるけど、
当時のジミー・ペイジはものすごく悩んで、そのうえレコード会社のお偉いさんから
ものすごくいじめられたかもしれない。
決してスマートにだけ片付けてつかんだ栄光だとは思えないわけだよ。
それをでき上がったうえでの表現だけを切り取って、
ああいうカッコいい表紙にしようとかいうヤツが世間にはたくさんいる。
「これだっさいっすよ」ってね。
ちゃんちゃらおかしいぜ。


でもね、幸いなことに我が『昭和40年男』の核にいる連中は、
そんなことを100も200もわかっていてくれる。
そんなすばらしい仲間が綴るページなのだから、少しでも多くの人の目に触れさせたい。
編集長としての俺の責務なのだ。
そのもっとも残酷に評価をされてしまう第1ラウンドが、表紙なんですな。
堂々巡りですが、真剣になる気持ちは理解してもらえるでしょうか?


うん、勝手なことばかり書いているけど本音だよーん。
でも、もうこの熱量に自分自身がやられそうなので、明日へと続くのだ。

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大編集後記。キカイダーな表紙づくり(1)

2010 年 6 月 17 日 編集長 コメント募集中

表紙は雑誌の顔であることはいうまでもない。
これまでのこのブログで何度も書いてきたが、
今回の表紙づくりに絡ませて熱い想いをお届けする(いらねえよってか)。
まずは前提の話からお付き合いいただこう。


究極の表紙は“レッド・ツェッペリンⅣ”のジャッケットだ。
いきなりトートツな話だが、あのアルバムジャケットには、
曲名はおろかバンド名にいたるまで、ひとつの文字も印刷されていない。
だから発売当初はアルバムをどう呼ぶべきなのか、
すなわちタイトルがなかったとのことで、後に“Ⅳ”に落ち着いたそうだ。
それまでの3枚で大きな成功を収めた彼らであったが、
3枚目に関しては1、2枚目の絶好調ぶりからは少々様子が違っていた。
なんてったってリアルタイムじゃないからこの辺は文献頼りで情けないが、
確かに1枚目、2枚目と流れを追って聴いていくと、
3枚目への期待は相当なものだっただろうことは容易に想像が付く。
その大きさに対しては、やや小振りな作品かもしれないな、フムフム。
まあ、リアルタイムで聴いたわけでない俺にとっては、
十分にすばらしい作品なのだが。


そんな状況を踏まえてなのか
最高傑作を創ろうとした彼らの意気込みは相当なものだったのだろう。
“天国への階段”に象徴される、ディテールにまで神経を張りめぐらせたような音づくりは、
それまでの3枚を過去のものにするのに十分値するクォリティだ。
もちろん好き嫌いでいえばこの4枚は多いにファンたちの議論を盛り上げるものだが、
変態的なこだわりという意味では過去の3枚とはあきらかに異なる存在だ。
そんな気合いと世界の頂点にいるという自負、
ロック自体がアートとしてその進路を見いだしたかのような時代の流れ、
など上げたらきりがないほどの様々な要因が絡まり合ってのうえに、
自分たちという存在そのものを俯瞰でとらえて主張を練り上げた。
「俺たちのアルバムに文字なんかいらない。なぜなら俺たちはレッド・ツェッペリンなのだから」
同時に「売れるから好きなことをやらせろ」とでも言っているかのようだ。


レコード会社サイドは猛反対したといわれる。
そりゃそうだ。
1枚でも多く売りたいのは当たり前。
わざわざ誰の作品だかわからなくするようなことに賛成するはずがない。
だが、ジャケットを含めた決定権がツェッペリン側にあり、
結果的にはこの文字のまったく入らないジャケットはリリースされ、
話題が話題を呼び大成功したというストーリーだ。
 「ツェッペリンはアートにまでこだわった」
 「商業的価値を無視して自分たちを貫いた」
この一件はこんな評価も得たのだった。
もちろん作品ありきでのセールスだったことはいうまでもないが、
ジャケットというヤツは雑誌において表紙に相当する、ものすごく重要なモノだ。
とくにこの時代は。


レッドツェッペリンの中心人物であるジミー・ペイジという人は、
とても頭のいい人である(断言)。
ジャケットにいっさいの文字を入れないという表現にいたる背景には、
実は彼の中にしっかりとしたマーケティング・ロジックがあったと思う。
先に述べた通り、自分たちの価値や存在そのものを俯瞰して的確につかみとっていた。
そのデータを組み合わせて巧みにマーケットインした結果であり、
それが得意な人なんだと俺は常々主張している。
だからあれはアートワークを利用した、上質の“クリエイティブ”だったのだと。


そんなジャケットがなぜ俺の表紙づくりの究極なのか?
ちょっとね、この話長くなるから少々小出しにさせてもらって、明日に続くのだ~。

すばらしいアートワークだよ。もちろん作品としてもロック史を変えた1枚である








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カメルーン戦の裏側で。

2010 年 6 月 16 日 編集長 コメント 4 件


まずはお詫びから。
公共(?)の電波(???)を用い、自分の曲の営業なんかしちゃったことを
深く反省しています。
反省はしていますが今後もやるのでよろしくお願いします。
これね、マイクを立てていないんですよ。
まるっきりの生歌で、それをこうしたビデオにするのは
とても無理があることなんですが、まっ、雰囲気だけでもとやってしまいました。
いずれ、キチンとレコーディングしたものを上げますので待っていてください(笑)。


さて本題。
一昨日のワールドカップは熱かったねえ。
でもね、あの日本中が注目する試合の裏で、
また、そぼ降る雨の中を浅草秘密基地に駆けつけてくれた方々がいるのですよ。
初参加は杢師(珍しい名前だよね、もくしと読むそう)さんと、
前回初参加で2週連続の中村さんに、
ホントにレギュラーと化して3週連続参加となった伊藤さんに、
俺の幼なじみのタクロウと4人が駆けつけてくれ、
迎え撃つお馴染み編集部3人との楽しい宴となった。


昨日の話題の中心は、クルマだった(泣)。
男の子がクルマに興味を持つころ、ただストイックに音楽と
女の子のケツばかりを追いかけていたので、
クルマなんぞ興味の対象どころか、免許すら持っていない(恥)。
今回のキング・オブ・ナンパ車の編集作業にもまったく参加できなかったという、
情けない俺なのさ。
だからこの話題はヘラヘラ笑いながら眺めていた。


入っていけて盛り上がった話題は、まずスポーツバッグだね。
そうそう、みんなあのデッカイバックで登校していたねって。
 「なんてったってアディダスでしょう」
 「マジソンでしょう」
 「プーマもあったね」
色とりどりのスポーツバックを持ち通行していたカワイイ姿を、
ここにいるおっさんたちからはまったく想像できないことはいうまでもないだろう。
だが、そんな頃があったのは事実だ。
今の若者たちに見せたい光景だね。


もひとつ盛り上がったのは、偽ブランドだ。
中国も驚愕の偽ブランド時代を日本も歩んでいたのだ。
HITACHIにTがひとつ多い、HITTACHIはこれハイタッチと読むのでしょうか。
SANYもあった。
偽ブランドではないけれど、エレキギターの通販を中心として展開したブランドの
トムソンやハリーへも話題はすすんでいった。
うん、やっぱりね、同じ時代の空気を吸った男たちの話は尽きないのだが、
そこは「昭和40年男」読者ミーティングの特性上(?)、
ただの懐古だけでは終わらないのだった。
気持ちよくポジティブシンキング話へと展開されて、心地よい時間が流れていく。
やっぱり楽しいな。
ドイツとイタリアの話題も多いに盛り上がる俺たち世代なのだった。


途中弾き語りのコーナーでは
“カムトゥゲザー”や“ハブ・ユー・エバー・シーン・ザ・レイン”と古いナンバーをかまし、
キヨシローの名曲“いい事ばかりはありゃしない”をはさんで、
またまた営業もちゃっかりと、オリジナルの“仕事を終えて”の4曲で終了した。
11時前後を境に皆さんカメルーンへと向かったのだった。
杢師さんが唯一、最終電車間際まで残ってくれ
ギター談義に話を咲かせ、12時半頃宴は終了した。


なんとなくイイ感じがつかめてきた“浅草秘密基地”は、
読者さんであれば年齢性別関係なく参加してもらえる
ゆる~いイベントなので、みなさんどうぞお気軽に。


ところでね、先週話になったアメフト文化のように、
スポーツバック文化も全国区ではないのでしょうか?
ぜひみなさん、教えてください。

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  1. もくし
    もくし
    2010 年 6 月 16 日 19:02

    終電まで結局ズルズルいてしまった「もくし」です~(汗)
    HITACHI に「‐」がついて HI‐TACHI 
    です~(笑)
    広告の印刷では「‐」見えなくて・・・
    思わず整理券をもらって購入してしまった~(笑)

  2. 編集部員
    編集長

    終電に間に合ったようですね。また遊びに来て下さい。

  3. けめこ
    けめこ
    2010 年 6 月 16 日 23:39

    おつかれさまです♪

    数日ぶりに遊びに参りましたら、なんと
    まさかの編集長の歌声!?

    ドラマ「Mother」を観て、ひとしきり泣いたあと、
    グッとテンションが上がりました!
    度肝を抜かれた恵比寿の迫力のライヴ(歌声)を思い出します、はい。

    それはそうと・・・
    来週も秘密基地は開いているんですよね?
    行っちゃいますけど、いいですか?

    子どものとき、裏山に作った秘密基地には
    フタのないやかんとか、壊れたラジオとか、なんだかくさい毛布とか
    みんなで意味もなく、持ち寄りましたが、
    もういい加減大人なので、手ぶらで参ります。

    8月の宴もすでに予定に入れていますので、
    どうぞよろしくお願いします。ひひ。

  4. 編集部員
    編集長

    秘密基地は毎週月曜日にあなたのお越しを待ってます。とくに女性の参加はうれしいっす。待ってますよ~。

大編集後記。夏特集を振り返る(4)

2010 年 6 月 15 日 編集長 コメント募集中


午前中の講習では、大きな不安をかかえる結果となったが、
午後の実技で不安が大幅に増幅された。
む、むずい。
後方確認を忘れる。クルマの免許を持っていないから、ハンドルを回した経験がほとんどない。
問題が山積である。
着岸なんかとうとうたったの1回も成功はしなかった。


すべてのカリキュラムが終了し、受講した4人に励ましの言葉をくれる教官だ。
「今日の教習を見る限り、たぶん4人とも大丈夫ですよ」
と言ってくれたが、俺と目を合わせようとしないのは気のせいではないと思う。
試験はこの一週間後だ。
不安を抱えながら仕事の合間にテキストを開いた。
ロープをカバンの中に入れ、所かまわず縛る姿はちょっと見方を変えれば変態だな。
わかってはいるが、今は企画を進行させることが重要だ。


格言。
「ページづくりとは人格や人間の尊厳とは無縁である」


何日かはバイクで船舶向け後方確認を練習しながら通勤した。
試験前日はヤッチーと実技のイメージトレーニングを行なった。
そうして迎えた当日は、試験場についても直前までテキストを広げていたのだった。
ところが、学科試験が始まるとわりとカンタンにこなしていけた。
これはたぶん大丈夫だろうと、教室を後にしたのだった。


さあ、ここからは問題の実技だ。
なにせ教習時にはボロボロで、
とくに最後に行なわれるセクションである着岸は一度も成功したことがない。
その他にもバックで目標の方向に進むのが苦手で、
ハンドルというやっかいなものの操作に手こずった。
それにバイクはバックしないのである。
近年味わったことのない緊張でのぞんだのだった。


が、奇跡的にうまくいった。
前日のイメージトレーニングが効いていて、
ノーミスとはいわないまでも教習時よりずっといい。
Go Go Go!!と調子に乗った。
そして最後の難所である着岸である。
これも奇跡的に完璧な出来映えでキマった。
「やったぁ!! こいつは合格間違いなし」
心が叫んだ。


が、油断大敵なのである。
浮かれ気分で下船の際に、なんと川へと落ちそうになる失態を演じてしまったのだ。
なんということだろう、油断以外のなにものでもない。
この失態がどう影響するか?
不安の中で過ごす日々だった。
なんせ落ちれば企画はボツだ。
試験そのものは追加料金で受け直すことができるが、
秋に小型船舶の免許を取ってもあまりおもしろくない。
このタイミングで4ページを新たに企画して、
しかも〆切に間に合わすことがどのくらい困難なことかと苦しい日々を過ごした。
が、ご覧の通り見事合格できたよ。
めでたしめでたし。


このチャレンジはいろいろと考えさせられたよ。
まずね、物覚えが悪くなっている。確実にね。
ロープワークなどの手を使うものも、学科の内容も、
昔の頭にスイスイ入っていくイメージとはかけ離れた自分がいた。
仕事や音楽など、自分の持つ世界は年齢とともに進化している。
より高いレベルへと昇華しているのは確実なので、
これほど自分がダメになっているとは信じがたかったよ。
応用力のおかげなんだよね、巧くなっているのは。
まったく未知のものに対しては、
驚くほど劣化している自分に気付かされた感じだ。
それが一番の収穫かもしれない。
新しいことにチャレンジするのは、
きっと脳や自分自身にものすごくいいのだろうなということが、
身をもって体験できたからね。

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大編集後記。夏特集を振り返る(3)

2010 年 6 月 14 日 編集長 コメント 2 件


夏特集の体当たりチャレンジで、小型船舶免許に見事合格となった俺だが、
その裏には血のにじむような努力の日々があったのだ。
バイク雑誌を担当する編集部員の谷田貝(やたがいと読むがヤッチーと呼ぶ)が
「企画で小型船舶の免許を取るんですよ」
と聞かされた瞬間だった。
それ、夏企画にもってこいじゃないの。
聞けば10万円かからず、2日間で取れて合格率は9割を越えるという。
つまり、至極カンタンなものと判断される。
「俺もやる、昭和40年男の特集で」


すさまじい節約取材となった。
写真は俺がヤツを撮り、ヤツが俺を撮れば時間的にも経費的にも助かる。
つまり、取材経費は安くつく。
トントン拍子に企画実施が決まったものの、
2日間で取れるクイックチャレンジコースは日程が限られていて
〆切に対してかなりタイトではあった。
が、とにかくギリギリで滑り込み合格を決めて
実際に海に出るロケまでなんとか組めるというタイミングではあったのだ。
覚悟を決めて申し込み、数日後に教材が届いた。
クイックコースは予習をしておけと書いてあったが、んなもんは当然無視だ。
そんな時間があったら、原稿を書きたい。
とにかくタイトなのだよ。


「教材開きました?」と、ヤッチー。
「んな時間はない。第一、合格率9割越えだろう。アホじゃあるまいし」
「ロープワークとか、結構面倒ですよ」
「んなもんは今から覚えたって忘れるワイ。前日に詰め込めば十分」
と、耳を貸さずに教習日を迎えたのだった。


受講者は4名で、二組に分かれて講習と実技を受けた。
幸い俺とヤッチーは同じ組で、撮影しながら受講する。
まずは午前中の講習からだ。
初めて開く教材。
初めて聞く海の世界のルール。
???
ちんぷんかんぷんじゃないの。
3時間の講習を終えて
「ここに900題の問題集がありますから、これを全部やれば大丈夫です」
900題?
1題3分×900題=2,700分=45時間=まるまる2日間?


へっ? んな時間あるわけない。
そうか、1題30秒でやればいいんだ…って無理だろうなあ。
ヤバイヤバイヤバイ。
不安いっぱいで土手を眺めながらおにぎりを頬張っている写真が、本誌に掲載されている。
かなりなめていたなあ。

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  1. 風親父
    風親父
    2010 年 6 月 15 日 21:46

    こんばんわ、風親父です。
    谷田貝さんて「タンデムスタイル」に出てくる、失礼、編集の方ですか?。
    色々知っている方の名前が出てきて楽しいです、所でボートって曲がるときの感覚とかバイクに似てますよね。
    飛行機のパイロットもバイクに乗る人が多いと言うのはやはり感覚が似ているからなんでしょうか。
    スキーのレーサーがモトクロスをやるなんて言うのはモロにですよね。
    「昭和40年男」の最新号をみて、今年の夏はボートに乗りに行ってみようかなどと考えています。

  2. 編集部員
    編集部員

    そのとおり。よくご存知ですね。クレタ通!
    ボートに乗ったらぜひ感想などお送りください。

ネズミ講式昭和40年会(仮) 。

2010 年 6 月 13 日 編集長 コメント募集中

カンパーイ。記念すべき第1回ネズミ講式昭和40年会が始まった

カンパーイ。記念すべき第1回ネズミ講式昭和40年会が始まった


一昨日の発売日のこと、俺はある会を発足させた。
タイトル通りの恐ろしい組織である。
プレイベントとなったのは、もう2ヶ月前にさかのぼる。
この雑誌をキッカケに仲良くなった落語家の立川談慶さんと、
その知人であるスーパー広告マンのサイトウさんとの呑み会である。
 「タメ年同士の呑み会は楽しいよね」
 「もっと集めてドンチャンやろう」
 「じゃあ次は発売日に、各自友達を連れてくるというのはどう?」
と、次回の開催を6月11日に決め、千鳥足の3人は別れたのだった。


そして一昨日、懐かしのプロレスラー、キラー・カンさんの店“カンちゃん”で
第1回「ネズミ講式昭和40年会(仮)」を華々しく開催したのだ。
増えた増えたよ8匹のネズミたちは、どこまでも盛り上がる。
焼酎のボトルが次々と空いていき、いかに自分たちが踏ん張らなければならないのかを
再確認し合ったのだった。
この会は昭和40年1月から昭和41年3月生を対象としているが、
もっとゆるい縛りの会や趣味をテーマにしたものなどいくつも生みだしていきたい。
そのすべてに俺が関わるということでなく、
『昭和40年男』という雑誌を中心としたコミュニティを利用して、
小さなコミュニティが次々と誕生していくというイメージだ。
バーチャルでない“リアル”な数々集いが、この日本を元気にしていく。
全国各地に会が発足していき、ジョイントで遊んだり出張のついでに顔を出したり。


そうそう、こんなお誘いもいただいたので会にしてしまおうと思っている。
会社の同期で昭和40年の会があるから遊びに来てくださいと。
こんなのも喜んで出かけるよーん。
そんな活動の広報的な役割を俺たちが引き受ける。
たまに全部が集まって東京ドームでイベントを開くとかね。
うんうん、スッゲーわくわくする。


その第一歩が始まったと思うと、これは大変貴重な夜だったということになる。
毎回発売日に開催することになったから次回は9月11日の土曜日だ。
ネズミさんたちは何人に増えるかな?
楽しみなのじゃ。

63歳になるというキラー・カンさん、若いっす。「昭和40年男」を無理矢理持っていただいてチーズ

63歳になるというキラー・カンさん、若いっす。「昭和40年男」を無理矢理持っていただいてチーズ


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大編集後記。夏特集を振り返る(2)

2010 年 6 月 12 日 編集長 コメント募集中


昨日から続きでお送りしている、第3号の編集後記である。
夏の想い出セクションに入れたかった「甦る新島伝説」はボツとなったが、
逆に思った以上にうまくいって増ページしたり、
軌道修正を余儀なくされたりと、制作現場は大騒ぎの連続となった。


今回の特集を締めくくった2人の証言は、
当初ひとりあたり2~3ページで3~4人から話を聞こうと予定していた。
それが、取材にあたった武田、金子ともにうまくいったようで、
取材から帰ってきた2人は口をそろえて「4ページは欲しい」と俺を困らせてくれた。
もちろんこれは贅沢な悩みであり、うれしい悲鳴である。
ということでロングインタビュー2本となり、これは連載企画にしようかとも今考えている。


俺たちは敗戦から20年を経てこの世に生まれてきた。
すでに戦後の傷跡からは立ち直って、バラ色の幼少時代を過ごし
現在まで何不自由のない暮らしを享受してきた。
大変な思いや苦しみを抱えている男は多いが、
ベースとしては平和で活気のあるすばらしい時代を生きてきたのだ。
その俺たちが戦争について語ろうとしたところで、
なにかしらの違和感は生じてしまうかもしれない。
どんなに勉強したところで、その材料自体に湾曲した力が加わっていることが多々ある。
今回担当した2人だって異なる考え方を持ち、
じっくり話し込んだら俺ともズレが生じることだろう。
そんなデリケートで難しい問題だからこそ、逃げないで踏ん張っていこうと思う。
今、証人たちの声を受け継いでいかなければ、
あの悲惨な出来事が風化していってしまうのだから。


先日テレビで誰かが言っていた。
沖縄に日本がアメリカと戦ったという事実を知らない学生も多いのだと。
いかん。
俺たちは時代のブリッジ役となって次世代に伝えていかなくはならない。
今回の企画のおかげでその思いを強くできたのだ。
だから、こういったこういった軌道修正は大変ありがたい。


チャリンコチャレンジ企画の軌道修正も激しいものとなった。
夏、北海道のさわやかな風、青空、地平線…
と観光協会がつくったすばらしいイメージフィルムのようなページをつくろうと出かけた。
颯爽と走るおれがそのプレゼンテーターだ。
が、ご覧の通り夏の提案とはいいがたい、苦行のページとなってしまった。
さてさて、これをどう料理するかと悩んだ結果、
いまみなさんが手にしたような内容になっているということだ。
お見苦しいページではあるが、逆に勇気を得られるのではないだろうか?
あーあ、バカだねえと。
本誌にはさり気なく書いたけどね、想像してくださいよ。
早朝のビジネスホテルで、股にワセリンを塗っているタメ年男の姿を。
ガラガラとまるで音を立てているかのように崩れ落ちていく“男の尊厳”。
あー、お母さんゴメンなさい。
今度生まれてくるときはまっとうな人生を歩みますってね。


現場は予定通りにうまく進むことなんかないのである。
(不定期でつづく)

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