編集長のつぶやき

自身が昭和40年生まれでもある編集長が、超多忙を極める毎日のなかで思ったこと、感じたことを同世代へのメッセージを込めて書き連ねる。

東京の空。

2010 年 7 月 19 日 編集長 コメント 3 件


みなさん、三連休を楽しんでますか?
全国的に晴れたところが多かったようで、よかったですねぇ。
そんなもん関係ないわいという声がアチコチから聞こえてくるようで、
もちろん俺も休みなく働いてますよ。
昼食で外に出ると、オフィスが浜松町ゆえ観光客であふれている。
連休モードというか夏休みモードというか、そんな笑顔の親子連れを見るとちょっぴりうらやましくも思うが、
この仕事だものしょうがないよと言い聞かせている。


東京は空がきれいな3日間だったよ。
青が濃くて、昨日はそこに筆書きのような雲が浮かんで、それはそれはきれいだったねえ。
俺たち昭和40年男にとって、子供の頃の東京の空はそれはそれは汚かった。
星なんかほとんど見えなかったし、夕焼けもなんだかドヨーンとしていた。
光化学スモッグなんて毎日のように発生していたから、誰も避難なんかしなかったもの。
空だけじゃなく川もヘドロだらけで夏は臭かったなあ。
今住んでいる街は多摩川の下流の土手沿いで、ずいぶんときれいな水の流れになっていて
この時期は子供たちが泳いでいるくらいだ。
それも小学校が奨励しているというのだから驚く。
時間をかけて汚してしまったものも、努力すれば必ず回復する。
地球温暖化だってきっとブレーキはかけられるはずだ。
仕事の休憩のたび空を見上げては、その濃い青さに見とれながらそんなことを考えてます。


街が休日モードのうえ、人の少ないオフィスのせいかのんびり文章になってしまったが、こんな日もあるのさ。

お知らせ。
今夜は会場である『FIGARO』が祭日のためお休みなので、浅草秘密基地は無しです。
来週は、鈴鹿8時間耐久レースの取材で、こんがりと焦げて皆さんの来場をお待ちしています。

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  1. 風親父
    風親父
    2010 年 7 月 19 日 16:05

    毎度、風親父です。
    今朝7時頃、舞鶴道で事故を起こしているバイクを見ました。
    Tシャツで走っていたらしく上半身が血まみれでした、昨日書いたばかりなのに・・・。
    反対側車線だったので何もできなかったですが、無事であって欲しいものです。
    ただ、一つ気になったのが同じグループの人(?)が勝手に誘導して反対側車線に車を誘導していたこと、正面衝突しかけました。
    高速道路ですよ、素人がそんなことをして良い場所では無いはず、それに「ガンメタ」のジャケットを着て、あの色って道路と同化するんですよね、轢かれます。
    交通を遮断して申し訳ない気持ちだったのでしょうが、二次災害で混乱を増長させるのはやめましょう。
    とにかく、事故には気をつけて楽しく走りましょう。

  2. 風親父
    風親父
    2010 年 7 月 19 日 16:08

    そうそう、今回は日帰り3連発だったのですが、8月の休みは3泊4日で富士山に行く予定です。

  3. 編集部員
    編集長

    上半身血まみれですか(悲)。事故は自分だけでなく、周囲の人間にもものすごく痛いものですよね。俺も何人か亡くしてますので…。

音楽と雑誌。

2010 年 7 月 18 日 編集長 コメント 2 件


先日、シンガーで作家としても活躍する友人、こうじろうと酒を呑んだ。
さまざまな話が展開されていく中で、かなり真剣に議論したのが音楽の未来である。
ご存知の通り、CDが売れない。
いろんな要因があるが、無料化への流れが止まらないことも大きいだろう。
先日坂本龍一さんが、
「音楽コンテンツの無料化の流れは仕方ない。
でも、3,000円のCDにはお金を出さないけど、その3倍もする公演には足を運ぶ」
というようなことを新聞紙上で語っていた。


俺たちも激論である。
だんだんと酒の力に押されてしまい、笑い話へと完全移行するまでに
そう時間はかからなかったが、とにかくライブ力を磨いていくことは
世の中の流れに沿ったことであることだけは間違いないとのコンセンサスを得た。
(がんばりますので8月7日の宴にはぜひ足を運んでください。
こうじろうもミニライヴを予定しています)


デジタル化において、音楽業界は我々雑誌の世界よりもずーっと先輩で、
いまだ過渡期ではあるもののずいぶんと方向性や考え方はまとまってきている。
雑誌業界も遅ればせながら、ここ数年は大騒ぎになっていて、
どう切り開いていくかは紙媒体にたずさわるすべての者の課題であり、
すでに革新的な技術や方法論もずいぶんと生み出されてきている。
さきのデジタル・パブリッシング・フェアでは、
そんな先駆者たちのプレゼンテーションの数々にふれることができ、
意識改革を急がなければならないことを突きつけられた。


本質の所では音楽も雑誌も変わらない。いいモノを創ればいいのだ。
ただ、そこにどう対価が付けられていくのかのしくみそのものが、ガラガラと崩れている。
悲観する気はないが、多いに焦りを感じている。
単純に本やCDを売って、10年20年前のような対価へと盛り返していくということは120%ない。
むしろどんどん低額化、無料化へと突き進んでいくことだろう。
そこで勝負しなければならないのだから、ねっ、焦るでしょ。


出版だけに限らず、デジタルの世界、いや、世の中そのもののスピードが
加速の一途をたどっているから、1日1日の進化が必要とされている。
その積み重ねで、5年とか3年とかでなく、1年後にどこまで変わっているか?
焦りつつも、自分自身が毎日プログに原稿をあげて、
さらにつぶやいているなんて1年前の自分には想像できなかったことだ。
全力で突き進んでいこうと思う。

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  1. BLACK BROS
    BLACK BROS
    2010 年 7 月 18 日 20:24

    いつの時代もイイものは売れる。
    ただそのイイものは”花”と同じでいつまでも咲いていない。
    その花が枯れる頃にはあの花、この花、そんな花と世に乱立し価格破壊も進んで末期状態。

    だけど必ず頭のイイ奴が現れて枯れない”華”を世に提供し
    完全な終焉となる。

    この度、夏のボーナスが十万円台だった使われ踊る木偶の一人ごとナリ。

  2. 編集部員
    編集長

    うーん、鋭い一人ごとですなあ。でもね、俺はいいモノは永遠に咲き続けると思っちゃってる脳天気であります(笑)。

海は汚い?

2010 年 7 月 17 日 編集長 コメント 2 件

Twitterにて『昭和40年男』が梅雨明けをお伝えしてから、もう4日も経つからねえ。
夏生まれで夏男を名乗る俺だが、この尋常でない暑さにはいささかまいる。
明日は今日どころじゃないと予報されているし、うーむ、鰻でも食うか。


あっ、そうそう夏男で思い出したよ。
俺さあ、今月の31日が誕生日だからさ、みんな祝ってあげてね(笑)。
予定では、北海道のイベントへと向かうクルマの中で45歳を迎えます。
東北道をひた走り、
青函連絡船で『津軽海峡冬景色』と『函館の人(この曲タメ年っす)』を歌い、
道内に入ってもわりとしびれる距離を走り、
ケツの痛みをかかえながらイベントをこなすのだ。
そのイベントが8月1日なので、30日から日付が変わる直前に出発して、
31日はほとんど移動という誕生日なんだよーん。


さて、トートツですが本題です。
先日、人から聞いた話であるのだが、現代の若者たちは約半数が海嫌いなんだって。
えーっ。
夏男としては信じがたい話じゃないの。
びっりして検索してみると、あまりキチンとしたデータは引っかからなかったが、
それらしいコメントはいくつも上がっていた。
汚いとかベタベタするとか暑いからだとか。
えーっ。
そりゃあバイクには乗らないだろうな。
ギターも買わないだろうな。
SEXもしないだろうな。
ブツブツブツ、うーん。

今どきのと片付けるのは好きじゃないけど、
それにしてもここまで来ているのかと思ってしまったわけだよ。
俺のまわりにだって海が嫌いというヤツはいるよ。
でも半数ということはそういうレベルじゃない。
あきらかに世の中が大きく変化しているということだ。
ここをターゲットにしてなにかを作り込もうとするときには
こうした劇的な変化をつかまないとうまくいかないだろうな。


俺たち世代にとってなにかと不可解なことが多いですが、
俺たちだって大人からそう言われていたわけだしね。
悲観してもしょうがないよね。
がんばりましょうね。
と、“ね”を3連発するほどビビっている俺です。

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  1. 風親父
    風親父
    2010 年 7 月 18 日 18:31

    この3連休バイク三昧の風親父です。
    昔からの癖で日帰りツーリングは5時頃出発、16時頃帰還で2日間走っています。
    近頃のバイク乗りは「出が遅い」「軽装で走っている」「音楽を聴きながら走っている」など、時代が変わったのを感じています。
    昨日今日の暑さは異常なくらいですが、今年新調したメッシュジャケットは涼しいので結構楽しんでいます。
    32年乗っていても暑さには慣れませんが、昔は革ジャンを着て走っていたことを考えると快適です、ただTシャツやビクスクの短パン姿のライダーにはちょっと驚きです。
    ジャケット・パンツ・ヘルメット・手袋など涼しくて安全なものがいっぱいでているので、頑張って着て安全に走ってほしいものです。
    などと、すっかり爺バージョンに入ってますが、明日はどこに行こうかと考えて地図とニラメッコ中です。

  2. 編集部員
    編集長

    うらやましいなあ、3日使ってツーリングかあ。思えば泊まりツーリングに何年行ってないだろう。疲れた体を温泉に浸してビール呑んで地図を広げて明日のことを考える。うーん、行きたいっす!!

マッちゃんの寿司。

2010 年 7 月 16 日 編集長 コメント 2 件

バイトと音楽に明け暮れていた18歳の頃、バイト先のすぐそばに汚いけど安い寿司屋があった。
今考えるとずいぶんと背伸びしていたなと思うのだが、初めてひとりで呑んだ店である。
すし職人とカウンター越しにつきあう楽しみを覚えたのだった。


松岡さん、通称マッちゃんは多くの客から愛されていて、彼を目当てに訪れる客が多かった。
気さくな人でギャグをバシバシ放ちながら握り、でもその手は早い。
研究家に言わせたらたいした職人ではないだろうが、
そもそもそのレベルでジャッジできる俺ではないのだから関係ない。
いつも安く楽しく食わせてくれるマッチャンが大好きだった。


大阪へ音楽修行に旅立つと伝えるとすごく喜んでくれた。
夜行の電車で行くその旅立ちに、折り詰めを持たせてやるから立ち寄るように言われた。
俺は遠慮した。だってねえ、ファンの多いマッチャンのもっとも忙しい時間に、
ただで握ってもらうのはちょっと躊躇するでしょ。
修行を終え帰ってきて報告に行くと、すごく喜んでくれうれしかった。
と同時に「折をこしらえて待っていたんだぞ」と聞き、申し訳ない気持ちにもなったのだった。
その後、何件か店を移ったけど、いつもその度追いかけた。
一時、高級店に入ってしまい、気軽に行けないという時期もあったが、20年以上のつき合いを続けていた。
が、突然姿を消した。
店に聞いてもどこの店に移ったのかわからないという。
そもそも、電話番号の交換をしていたわけじゃないから、こうなると連絡のつけようがない。
5年以上がたち、もう会えないと諦めてかけていた。


ある日、若手の寿司職人で仲良くしてもらっている堀ヤンと酒を呑んでいた。
一軒目が終いで次に行こうとなり、安い寿司屋でおもしろい職人さんが握っているからと
誘われるままにのれんをくぐった。
するとびっくり。マッちゃんが握っているじゃないですか。
もうね、涙ぐんでしまったよ。
途切れかけていた18歳からのつき合いが、またつながった瞬間だったのだ。
「お互い歳をとったね」と笑うマッちゃんは、あの日のまんまの職人さんで、
相変わらずギャグをバシバシ言いながら握る。


いやあ、人生っていいものですなあ。

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  1. 2010 年 7 月 16 日 12:19

    マッちゃんsan、お元気でなによりです!!

  2. 編集部員
    編集長

    先日、副編の小笠原を連れて行ってやったら喜んでいました。昔は髪の毛が長かったとか、よくがんばっていたなんて褒めてもらったり。あんなことこんなこと…。

戦争を知らない子供たち。~世界の平和を願う~

2010 年 7 月 15 日 編集長 コメント募集中

戦争に対してリアルに感じ始めたのは、皮肉なことにロックが引き金だった。
ジョン・レノンの叫びやウッドストックに興味を持ち、掘っていくようになった。
そこをキッカケにして我が国の歴史を紐解いていきながら見聞を広げていくうちに、
親父やお袋が教えてくれたこととどんどん結びついていった。
今の仕事に就いたことや、これまで長いこと音楽を続けてこられたことは、
そのころにつちかった平和を願うテーマが中心にビシッとあるからだろう(アグネスじゃないっすよ)。


原爆ドームに行き、知覧にもいった。
瀬戸内海に浮かぶ大久野島(毒ガス兵器を開発していた島。戦時中は地図から消されていた)という小さな島にも行った。
台湾では総統府を訪ね、日本統治下の話に涙を流した。
沖縄の悲しい歴史も取材を繰り返した。
「県民に対し、後生、特別のご配慮していただくことを願う」との言葉を残して自決した、
沖縄海軍司令官であった大田実少将(後に中将)の存在には号泣した。
こうした経験を経て、どんどん自分の考えが固まっていったのだった。


俺たちは諸先輩方と比べると、声を大にしてイデオロギーを叫んだ世代ではない。
学生運動やフォークゲリラといった、ああいうかたちでの熱いエネルギーの発散経験はないだろう。
どちらかというともう少しワガママというか個人主義というか、
せいぜい暴走族みたいに不満をぶちまけるといった行動だった。
それはそれでエネルギーは込めたものの、ずいぶんとナンパである。
豊かさの象徴なのかもしれない。
だからね、若い頃にさぼった分、今がんばろうよ。


ただ、俺の持論は俺のために練り上げ、そして愛する者たちへと伝えていくものであり、
『昭和40年男』の誌面で語っていくものではないと思っている。
今回連載を決めた「俺たちの知らない遠い夏の日」のようなページをつくり、
記録として残していくことが『昭和40年男』編集長としての使命なのかなと。
皆さんが練り上げる戦争論の、手助けになればと思う。
もちろん俺自身にもきっと血肉になっていくことだろう。
やはりナンパ者なのかもしれないが、あの戦争に関してとやかく論争を続けるよりも、
各自が自分というバランスの中で思想を練り上げていき、
それを自分の愛する後世へと伝え、またその下へと連綿とつなげていくことがもっとも重要な責務なのではないか。
2度と起こらないこと、世界中が平和を目指すことを目標にコミットしていく世代なのではないかと思っている。


戦争というテーマですからいろんなご意見あると思いますが、
お付き合いいただきありがとうございました。
またちょこちょこと綴ると思います。


追記
今思えば死んでしまった親父にもっと体験を聞いておけばよかったと悔やんでいる。
テキストにしてキチンと残しておけばよかったなと。
ご両親がご健在の方々はぜひ記録してください。
また、「俺たちの知らない遠い夏の日」では取材対象者を捜しています。
思いあたる方はぜひご一報いただけるとうれしいです。

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戦争を知らない子供たち。~親父の生まれ年~

2010 年 7 月 14 日 編集長 コメント 2 件


昭和40年男にとって親父の生まれ年は、
ホンのわずかな年でものすごく大きな転換がある。
うちのように戦争に行けなかった世代から、
ほんの少し上だと特攻隊から命からがら戻ってきた父親かもしれない。
もう少し上でエリート軍人だったかもしれない。
下だと昨日まで白だったものが黒に変わった教育を受け、
さらにもっと遅いと始めから戦後教育を受けたという親父を持つ者もいることだろう。
それぞれに大きく異なる戦争論があるだろうし、
子供たちには一切語りたくないという親父もきっと数多く存在することだろう。


俺の誕生日に、戦艦大和のプラモデルを買ってきて一緒に作ろうとニコニコしていた親父。
零戦はすごかったんだと、日本の技術力の高さを誇らしげに語る親父。
昭和7年生まれの男がすべてそうではないだろうが、
少なくとも戦後教育にどっぷりの親父だったらずいぶんと俺の仕上がりが違っていたことは間違いない。
だからといってあの戦争を全面的に肯定したり、またその逆でもない。
少しずつでも知識を付けて常に自分の意見を練り上げているつもりで、
こんな親父のすばらしい教育を受けていてなんですが、俺は右でも左でもなく中央だと言い続けている。


8月15日には靖国神社へ行く。
「ほらやっぱり、あなたは右なんだ」
そうカンタンにやっつけるのは、もう昔の人たちに任せましょう。
いい加減に朝日新聞も考えた方がいいと思うな、なんだかやっぱり昔の人だなと感じてならない。
俺たち昭和40年男は戦争を知らないし、戦後も知らない。
だからこそ、やらねばならないことを考えていきたいと思うのだ。
すくなくとも短絡的に右だ左だと叩き合うような、バランス感覚のない世代ではないものね。


ふーっ、続くよ。

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  1. キンノスケ
    キンノスケ
    2010 年 7 月 14 日 12:25

     私の父は戦争バリバリ経験者。
    陸軍だったので(?)生還し、私を設けてくれましたが
    私は一人っ子故、40thの中でもポツンとしてます。
    考え方がおかしいみたいです。私はそれなりに
    人の話をちゃんと受け入れているつもりですが
    話にならんとよく斬られてしまいます。
    これは、ひょっとして戦争知ってる父を持つこと
    関係ないかしら、、、、、、、、、、。

  2. 編集部員
    編集長

    よく斬られますか? どのようなご意見かまではわかりませんが、きっと貴重な話を受け継いでいるのでしょうね。聴かせてもらいたいものです。

戦争を知らない子供たち。~親から教えられたこと~

2010 年 7 月 13 日 編集長 コメント募集中


昭和40年近辺生まれのスタッフたちが集まっての呑み会のこと。
各自の戦争観を熱く語り合った。
今回の夏特集の最後に入れた「俺たちの知らない遠い夏の日」を連載にして、
雑誌としてもキチンと戦争に向き合っていくことを宣言したから、そんな話の展開となった。
イデオロギーの根底にあるものは、戦争体験を親からどう伝えられたかが大きな要素だろう。
昭和40年付近の男たちにとっては、きっとそういうことになると一同頷いた。
そのうえでの熱い議論である。


俺の親父は昭和7年生まれで、お袋は16年生まれだ。
小学生の頃、2人から戦争の話をよく聞かせてもらった。
親父は自分が戦争に行けなかったことをいつも悔やんでいた。
我が家ではあの戦争が間違いだったとはされず、
大国に立ち向かっていった勇猛な大和魂と教えられた。
「ああ、また言ってるよ」
そう聞き流していたことも多いほど、しょっちゅう語っていた。
それでも大切なことを伝えようとする姿と熱が記憶に強く残っている。
もう2度が戦争は起こってはならない。
だが世界中では戦争がなくならないとも教わった。


お袋は戦争というより戦後の話だった。
もののない時代のことを話した。
いもばっかり食べていた。
脱脂粉乳のまずさや、シラミ駆除のためのクスリを頭からまかれたと。
でも、その中で皆たくましく生き抜いたことをよく語っていた。
子供心には、どちらかといえばお袋の話の方がおもしろく思った。
自分と同じ歳くらいのときにそんな経験をしていたのだと、心に刷り込まれている。
戦争を知らない子供に、なんとかその悲惨さと日本人の心みたいなものを
2人ともに教えようとしてくれたのだろう。


そんな教育を受けていながら、
テレビでたまに流れていた戦争の映像にリアリティを感じることはなく、
ただ大昔の出来事だと思っていた。
世界中で戦争がなくならないといわれても、どこかリアルに感じることができなかった。

これ長くなるだろうな、続く。

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4作目への重圧。

2010 年 7 月 12 日 編集長 コメント募集中

次号の制作がこれまでになく順調に進んでいる。
自分にのしかかっているプレッシャーがそうさせているかもしれない。
だってねえ、なんつったって次号はデビューから数えて4作目となるんですから。


レッド・ツェッペリンの4作目といったらあなた、あの“フォー・シンボルズ(レッドツェッペリンIV)”でしょ。
ツェッペリンの作品を論じるのはとても楽しくて、これが最高傑作というのは異論反論あるでしょうし、
一晩中議論できるほど秀逸なものばかりだ。
ただ、“フォー・シンボルズ”がロック界に与えた影響はものすごく大きくて、
ロックそのものの価値観を変えた存在であることは間違いない。
それと、レッド・ツェッペリンというバンドが本物のモンスターと評されるようになったのは、
この作品であることは誰もが認めるところでしょう。

LED ZEPPELIN IV



そして、俺たちがリアルタイムで大好きだった、ミュージック・ライフ風にいうと
御三家であるエアロスミス、キッス、クイーンも4作目はすごいことになっている。
エアロスミスは初期の最高傑作“ロックス”を完成させ、
キッスは“地獄の軍団”で『デトロイト・ロック・シティ』や『ベス』、『ドウ・ユー・ラブ・ミー』などの名曲の数々を生み出し、
クイーンはやはりロックの可能性を広げたといっていいだろう、“オペラ座の夜”を創りあげている。
最高傑作を踏まえてその後の活動や作品づくりはよりスケールを増していった。
逆に創りあげてしまったがゆえ、その重圧からダメになるバンドもあった。

ロックス/Aerosmith

地獄の軍団/KISS

オペラ座の夜/Queen




そういうタイミングなんだろうな。
創刊号はためていたアイデアをガツンと荒削りではあるがまとめ込んだ。
2号は自分の創りたい世界観をわがままと思うほど押し込んだ。
3号は少し遊び心を加え、それまでの2作とガラッと変えてみた。
真価が問われるのが次号となる。
スーパースターたち同様に、ここで一発すごいのを送り込んで、更なるステップにしたいと思っている。
失敗を恐れず『天国への階段』や『ボヘミアン・ラプソディ』のような名曲を生みながらにして、
そんな大曲だけが浮き立つわけでなくアルバムとしてのまとまりも高い、そんなアルバム…、じゃない、4号にしたいのだ。


先日、酒の席で編集金子が言った。
「目指すのはプリウスじゃない、いつかカウンタックを創ろう」
うんうん、『昭和40年男』にふさわしいコピーだね。
それでは次号のテーマを発表しよう。
今取り組んでいるのはズバリ“力”だ。
俺たち世代がもう一歩踏ん張るための力を得るために、今なにをするべきかを共有できる一冊を目指しています。
がんばりますので乞うご期待。
アイデアや企画協力などもバシバシ投げ込んでください。

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龍馬伝考察 2/2。

2010 年 7 月 11 日 編集長 コメント募集中


ハードディスクにラクチンに録れるビデオのおかげで、
今回の大河ドラマの放送をこれまですべてを見ることができている。
自分の好きな時間に、というか夜中にじっくりみる。
大好きだからね、そりゃー盛り上がってるよ。
テレビチックなというか大河チックな脚色にやられることはしばしばあるものの、
前回の直江兼続よりはましかな。
スポットライトが当たっていたものね(笑)。


今回の龍馬伝ではそこまでひどくないものの、
龍馬ファンや歴史オタクの人は怒っているんだろうな。
先週の放送では後藤象二郎に龍馬が、吉田東洋を斬ったのは自分だと言う。
うわー、すげー。
確か、武田鉄矢さん原作の『おーい! 竜馬』では武市半平太が投獄されて、
岡田以蔵が拷問を受けていると聞いた竜馬が、海軍操練所の船で桂浜にやってきて
上士どもを脅すという痛快なくだりになっていた。
今回のはそれをはるかに凌駕する、痛快なシーンだったね。
ビックリしました。


こんなのありえねえよとぼやいている方々は、見るのをやめなさい。
そもそも大河ドラマですよ。
国営放送だし、真実のように感じさせる豪華さがあるからそうさせるのかもしれないが、
大河を見て史実を知っているヤツがギャーギャー言っているのを見るたびに、
俺情けない気分になるんですよ。
そもそも、史実だって事実かってね。
あんた見てないじゃんてね。
研究を重ねている学者さんでもないくせに、知ったふりして騒ぐのはカッコ悪いことこの上ない。
司馬さんの描いた世界と一緒で、あくまでエンターテインメントですよね。
その辺をキチンと息子や後輩たちに伝えながら見ないと、
もう大人なんだからいかんと思うのですよ。


俺もさ、いつか本を書きたいなと思っている。
歴史をモチーフに表現が出来るのって最高でしょ。
そしてなにより、大好きな世界観の普及ができるのだから。
今回も福山さんのファンが龍馬さんのことを知り、
なんてすてきな日本人がいたのでしょうと司馬さんの作品に触れたり
高知を訪ねたりしたら、それだけでも国営放送の意味があるってもので、
龍馬さんのファンとしてはうれしい限りですよ。


あんなすてきな男のことを1人でも多くの人に知ってもらえて、
そしてその人が本当に興味を持ったら史実を掘り下げればいい。
大河の脚色と違いことで魅力がかすんでしまうほど、龍馬さんはやわじゃねーよ!!!!!!!
と、声を大にして言いたいのだ。
今日、混迷を極める我が国の選挙日と、龍馬伝の第一部の最終話が重なったのは
偶然とはいえさすがとか思ってしまうほど、龍馬さん狂いで馬鹿な俺です。
今夜は仕事を早めに切り上げて、龍馬伝を見てから速報にうなるつもりじゃ。
「日本の夜明けぜよ」と言えるような結果になるといいなあ。

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龍馬伝考察 1/2。

2010 年 7 月 10 日 編集長 コメント募集中


大河ドラマで坂本龍馬をやる。
このニュースを知ったときは、大げさだが“悲願達成”と思ったほどうれしかった。
龍馬は俺にとってアイドルであり、ものすごく影響を受けている人物である。
厳密にいえば、司馬遼太郎さんが書いた“竜馬”なのだが、
この物語を読んでいくとあまりにリアルに感じてしまい、
フィクションとは思えないのは読んだ方ならわかってもらえるだろう。


金八さんのススメで買ったのだが、当時は単行本1巻で見事に玉砕した。
多分退屈だったのだろう。
2度目のトライはおそらく19歳くらいで、ここでは夢中になり読破できた。
最終巻を読み終えた俺は、「なにかやらねばイカンぜよ」とメラメラと燃えた。
燃えたぎったもののそのなにかはカンタンに見つかるわけもなく、その想いは歌に託した。
「自分の歌で世界を平和にするぜよ」と歌い続けてきたが、残念ながら世界に平和は訪れていないっす。
そして今でも「自分の創ったもので世界を平和にするぜよ」と、全然龍馬さんにかなわないものの奮闘している。


奮闘しているとはいうものの、命までかけちゃいない。
あの時代の若者たちは、この国の平和のためだったり自分の信念を貫くために命を投げ出してがんばった。
自分に足らないのはそこまでの覚悟だったりするのかなと思いながら、新創刊の度に削った命を眺めながら龍馬さんに少しだけ許してもらっている。

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