編集長のつぶやき

自身が昭和40年生まれでもある編集長が、超多忙を極める毎日のなかで思ったこと、感じたことを同世代へのメッセージを込めて書き連ねる。

究極の戦い。

2010 年 9 月 3 日 編集長 コメント募集中



さあ、最高傑作へ向けて最後の追い込みだ。
ここからが俺たち内部にいる人間のこだわりの見せ所なのだ。
予定どおりにいかない部分もあり、絶叫が響き渡りながらも前へ前へと踏ん張っている。
誤字脱字の確認と、全体的なリズムのチェックといった作業が山のように積まれているのだ。
仕上がった原稿を並べてみると、ここまでで気が付かなかった部分があぶり出されてくるわけだよ。
少し前にここで書いたとおり、ここにきて思っていた以上におとなしい仕上がりだったり、
その逆で暑苦しいページが続いてしまったり(全部暑苦しいという説もあるが)。
そんな仕上がりを見ながら、出来る限りのことをするのだ。


それらがすべてメドがついて初めて、編集後記を書く。
これがね、気分いいのですよ。
ふーっと息をついて、力の抜けた文章を書いていると、ああ、この仕事に就いてよかったなって。
そんな充実感と、クールダウンする気持ちで文章を書く。
さあ、その瞬間まで後わずか…。
といいたいところだが、作業はホントに山積み状態でちょっとしたパニックよ(泣)。


真価が問われる第4号は11日に書店に並ぶ。
買ってくれと頼む気はない。
ただ、俺たちの投げ込んだものを書店で眺めてほしいっす。
そして、680円の大金を払う価値があると思えたら買ってください。
来週末は書店に並ぶ、みなさんとの勝負なのだ。
恥ずかしくないものにしなくちゃね。
がんばりまーす。
というわけで、今日は短いですけど作業に戻ります。
それではみなさん、よい週末を。

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出版社として歩んだ10年。~レディスバイク誕生~

2010 年 9 月 2 日 編集長 コメント募集中

うちの社が出版事業に手を出して10周年を迎えたので、
間にいろいろはさみつつ、これまでのことを振り返りながらつづっている。


あーあ、またお正月に誓っちゃった。
そう後悔するほどの難題であったのだ、俺にとって女性誌というヤツは。
とはいえ、男が決めた以上、突き進まねばならんでしょう。
毎日のように書店に行き、女性誌のコーナーにいる人と見ている雑誌を眺めた。
やがて、女性誌といってもファッションメインでないものを参考にするようにターゲットを絞れてきた。
創刊は3月と決まり、焦りながらもドンドン自分のつくりたいベクトルを決めていくべくがんばる。


この頃、世の中を騒がせていたのは“負け犬”だった。
独身のワーキングガールたちのことをいったのだが、すごくひどい言葉だなと。
むしろ現在に続くだらしない男たちを見ていると
全然負けていない、絶対その方が幸せだよと思ったほどだ。
ピーンと来た。
ならばがんばっている、男になんかこびない女性たちを応援してやろうじゃないか。
来た来た来た。
こうなると骨格づくりがドンドンと進んで行く。
 ・女でバイクに乗るって、本質で女をわかっているからだよ。
 ・女こそバイクが似合う人生が送れるんだよ。
 ・カッコいいオンナはバイクで週末旅人になるんだよ。
落書きみたいにキーワードを並べて行く日々に入った。
 ・女の人生にバイクをプラスしよう。
うーん、いいね。
こうしてアイデアを練り込んでいった。


俺が設定したメインターゲットは22~30歳くらいの独身女性で、
仕事ができて自分をしっかりと持っているカッコいい女性にした。
その人たちの呼び方は女性ライダーとかいわずに、誌面ではオンナにした。
そこに憧れる学生とか、主婦だけど乗っているとかいう人もいて、
女性ライダー専門誌を熱望しているのはわかっていた。
だが全部カバーしようとすれば、輪郭がぼやけて売れなくなる。
もしも買ってくれても、それはその人の勝手でしょと言い切るくらい、誌面づくりからは除外したのだ。


そうしてでき上がった世界は、
L+bikeというロゴマークで雑誌名自体はレディスバイクとし、
女性の人生にバイクをプラスする提案をするというものになった。
ヘッドコピーにはプラスバイクでリフレッシュ! 負けないオンナのバイクスタイル誌とした。

うん、我ながら完璧だね。
こうして見事に復活したレディスバイクは、やったね廃刊寸前時の5倍以上の売り上げを記録した。


この創刊も苦労したのはもちろんだが、
ターゲットを自ら創出していくというものとしては、画期的な手法だったような気がする。
それまでとはまた異なる感性を身につけちゃった瞬間だね。


続くぜよ

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出版社として歩んだ10年。~女性誌進出~

2010 年 9 月 1 日 編集長 コメント募集中

うちの社が出版事業に手を出して10周年を迎えたので、
間にいろいろはさみつつ、これまでのことを振り返りながらつづっている。


ついに禁断の果実(!?)に手を出す日が来た。
出版社になりたくて、というか自分たちで出版したくて買った会社が持っていたのは
『レディスバイク』という女性ライダー向けの本だった。
その頭文字を取ったLとBがそのまま会社名になっていて、エルビーマガジン社と名乗っていた。
前社長に敬意を払い、そのままの社名を使っていたのだった。
そのせいで、というわけでもないが
『レデイスバイク』は意識の片隅にいつもあった。
いつか復刊させたい。
休刊は廃刊じゃねえぞーってヤツを見せてやりたいと、
今ひとつ意味不明な意地があった。
だが、悲惨ともいえる休刊を俺は横で見ていたから、
絶対に成功するはずがないとそのまま片隅に追いやっていたのだった。


ある日スタッフから「LBの復活はありじゃないですか?」と
いきなり核心をつかれたのは2004年の夏のことだった。
確かに、女性の消費が元気だと世間では騒ぎになっている。
男性より女性が元気で、それはライダーの増減を見ても理解できることだった。
だがカンタンに手を出せないのは、バイクとはいえ女性誌というところだ。
このスタッフからの言葉で「ありじゃないですか?」は
そのまま「つくれますか?」と聞いているのである。
まったく自信はなかった。
女の子は大好きでも、女の子の気持ちなんかわかりゃしないし、
わかろうともしない俺がつくれるはずないじゃないか。
でも間違いなくニーズもマーケットもある。
それと日に日に挑戦したくなっている自分がいることに気がついた。
書店に行くと自然と女性コーナーに行ってしまうのだ。
だが、分厚い本にこれでもかと詰め込んであるコンテンツ量を見てはため息をつき帰ってくる。
でも以前思った気持ちで「タンスタを成功させれば天下が取れる」と同じような気持ちになっていくのであった。
これで女性バイク雑誌までつくれたら天下が取れる。
タンスタの成功では取れなかったが、これを成功させれば
いよいよ女性生活情報誌やファッション誌に進出して、スーパー編集長になれる。
いよいよ天下取りのときが来たのうと戦国武将のような決定をしたのは、2005年のお正月だった。


余談だが、お正月がなかったら俺の新規チャレンジは格段に減っていることだろう。
大概の事業が、寝坊して登りきってしまった初日の出を前に「やるぜよ」と誓ってしまうのである。
悶々とした日々を超えて、このお正月は誓ってしまった。
「北村明広、女性誌元年ゼよ。やるぜよ」と。
こうして壮絶なる戦いの火ぶたが切って落とされたのだった。


続くんだもんね。

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ある兄弟の物語。

2010 年 8 月 31 日 編集長 コメント募集中


ふーっ、8月31日だねぇ。
このなんとも悲しい気持ちはなに?
この原稿の山はなに?
もうこの件に関して多くを語るのはやめよう。


世話になっている兄弟がいる。
東京の大田区蒲田というデンジャラスゾーンがしっくりと似合う、どこから見ても不良な2人だ。
 「おい、お前よお、こっち先やってくれ」
 「っるせえなあ、コッチだって立て込んでるんだよ」
と、どっちが兄貴だかまったくわからん言葉が飛び交う。
18歳のころから出入りした当時としてはまだ珍しかった
イタリアンレストランのオープンキッチン内。
忙しい店を切り盛りする兄弟2人が実に格好良かった。
そのカウンターに座り、サントリーホワイトのボトルで
見たことも聞いたこともない料理をつまみに酔っぱらう。
自分なりに背伸びしていたと思う。


「あきひろぉっ」と、2人とも俺のことをそう呼ぶ。
この“ぉっ”の余韻が不良っぽい。
2人とも兄貴のように付き合わせてもらった。
やがて店は面倒な権利問題に巻き込まれて解散した。
すごく寂しかった。
その後、兄貴の方は一流ホテルを転々とし、
ここ近年は京都のどでかいホテルのレストラン部門総シェフを務めていた。
弟の方は仲間と一緒に小さな店を切り盛りし、
俺が会社を始めた数ヶ月前に下北沢に自分の店をオープンさせた。
双方ともに俺を料理で泣かせたことがある、すごい料理人たちだ。


順調にいっていた2人にここ最近変化が起こった。
この不況もあるだろうが、兄貴は去年一杯でホテルをクビになった。
詳しい理由を聞けるほど図太くはないが、57歳であるのだから想像には難しくない。
東京に戻って働き先をさがしていると聞いたのが3月頃だった。
弟の方から電話が鳴ったのはつい先日のことだ。
 「あきひろぉっ、店たたむことにしたよ」
 「えーっ」
9月の10日までの営業で店を閉め、雇われシェフになるという。
ここ近年、経営は苦しいと聞いていた。
そりゃぁそうだよ、280円で牛丼が食える時代に、
激戦地の下北沢で1,000円以上するひと皿を出し続けているのだから。
味はもちろんいい。が、時代は残酷なほど変化していて、
同じような価格帯でのバリエーションはすごく増え、選択する側にとっては
ここで食う予算があればパラダイスである(腹いっぱい食って、ワイン呑んで5~7千円)。
また、予算を捻出する気になれないほど安い店が増えた。


もっと言えば、外食が好きな年代というか、そういうことを趣味にできるような連中は、
この不景気で外食しづらくなっているのではないか。
こんな感じ。
 外食好き
  ↓
 アクティブ
  ↓
 仕事ができる
  ↓
 不況下でがんばらなくちゃ
  ↓
 外食どころじゃない。
飲食店にとってあらゆる意味で厳しい時代が続いている。
「家族もいるから安定した収入が欲しい」とも言っていた。


ちょっとガッカリしていると、今度は兄貴の方から電話が鳴った。
「店を出すことにした」とのこと。
先日、オープン予定地のそばに行くことがあり、陣中見舞いに寄った。
タオルを被った大工さんが暑い中、汗を流してがんばっている…、ってマスター(ニックネーム)だった。
「おう、よく来たな。まあ入れよ」
大工さんも2人働いているが、どう見ても頭領はマスターだ。
ものすごく似合っていて、ホテルで長い帽子を被ってさっそうと歩いていたのとは別人のようだ。
でもね、男としてはあこがれるよ。
「この椅子よお、俺がつくったんだよ。できるだけ安くあげたいからな」
安くだけじゃないよ、この人。
あきらかにオープンを楽しんでいる。
奥さんと2人でさまざまな作業を続けているのだった。
57歳にしてこのパワーは見習いたいね。


2人ともにオープンは9月中旬ながら、内容はずいぶんと異なる。
だが俺としては、世話になった兄貴分たちの再出発を精一杯応援したい。

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さらば、夏休み。

2010 年 8 月 30 日 編集長 コメント募集中


今日の暦を見ると、なんだか胸がザワザワするよね。
いまだにあの小学生時代が鮮やかにフラッシュバックしてくるからだ。
山のように積まれた手付かずの宿題を前に、母親からの叱責の声が雨あられと降り続く。
輝きを放った7月20日の午後へと気持ちが逃げようとする。
と同時に、なぜ早い段階でもっとがんばらなかったのだと後悔したりしてみる。
とにかくいろいろな想いが交錯しながら7月20日へといったん飛んでいき、
現実へと少しずつ戻していく。
来年こそは7月中に宿題をすべてかたずけるという、
そんなもんが実現するはずなどずぇーったいにないのに、
この時だけは決意を強く固めるのだった。


そんな状況下でも夏の少年はとことんバカだ。
明日があるさと親の目を盗み出かけると、
同じような思考回路の猛者たちがいつもの場所に集結していて、
互いの進捗状況を確認しあい、傷を舐め合うように刹那な快楽を共有するのだ。
翌日は確実に遊べないという意味で、8月30日は実質的な夏休みの最終日となる。
めいっぱい遊び家に戻れば、鬼の形相になった母親が「手伝わないからね」とお決まりのセリフで迎え、
夕食の食卓に会話はなく逃げ出したくなる空気が漂い、
さっさと食事を終わらせて一応机へと向かうのだった。
というのが毎年繰り返された今日、8月30日であり、
ハイライトを迎える明日、8月31日は1年でもっとも嫌いな日として
今日よりもっとザワザワしたものを連れてくる。


っていうか、今も一緒じゃねーか。
あれもこれもと山のように積まれた〆切への作業と、
自分が担当するページの原稿書きもまだまだたっぷりと残っている。
8月31日は、45歳になってもあの頃と同じように地獄を連れてくるのだ。
しかも本日8月30日は浅草秘密基地に行っちゃって多いに楽しんでしまうわけだから、
あの夏の日に缶蹴りに興じた自分とまったく同じ状態なのである。
進歩のない自分にもうイヤになるほど呆れかえっている、やれやれ。


しかし、宣言したとおりこのまま進めば間違いなく最高傑作である。
それが俺を、そして同じように闘っている同士たちを突き動かしてくれるエネルギー源である。
もうちょっと、ギリギリの自分を引き出してやろうと思う。
最高に美味いビールを呑む日まで、後数日だ。

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出版社として歩んだ10年。~カスタムピープル創刊~

2010 年 8 月 29 日 編集長 コメント募集中

うちの社が出版事業に手を出して10周年を迎えたので、
間にいろいろはさみつつ、これまでのことを振り返りながらつづっている。


出版をやったことない会社が、出版コードを取得するために
大変な苦労があったことは述べてきたとおりだ。
ところがこの業界は不思議なもので、1冊やってしまえばあとはわりとラクなのである。
臨時増刊という方法で増殖させていくのだ。


わかりやすくいうと、現在『昭和40年男』は
『タンデムスタイル』の臨時増刊での出版を繰り返している。
臨時増刊とは、持っているコードと同一ペースで出すことのできる
権利のようなものだと思っていただければいい。
『タンデムスタイル』は、当時隔月発行だったため
年に6冊の別ブランドでの本を出すことができる。
ここでテストを繰り返していきながら実績を出していけば、独立したコードを取得できるのだ。
余談ながら『昭和40年男』が今考えている作戦としては、
来年の3月発売号から隔月発行にして、それから2~3年の実績を積んで
コードを取得したいと考えている。


社内で『タンデムスタイル』に臨時増刊をぶら下げると発表したのは秋のこと。
社内からアイデアを募り『カスタムピープル』という雑誌を作ることとなった。
翌年2001年7月が創刊のターゲットとなり、準備に入った。。
この雑誌もまた、自分にとっては始めての試み満載だったのだ。
まず第一に、ベースとなる企画が自分じゃない。
社内の、とくに営業サイドからの要望だった。
バイクにとってカスタムというのは大きなマーケットがあり、
そこを対象に営業できる自社発行の雑誌がほしいという。
プラスして、これからも続いていく分野だから会社にとってもメリットがデカイ。
うん、どちらかというとビジネス思考から入った雑誌ともいえなくはないけど、
できあがったものがキチンと読者にとって有益なものになっていればいいのだと取り組んだ。


もうひとつは、明確な競合誌があること。実はこれがでかかった。
これまで手掛けた3誌は、どれもいい言い方をするとエポックメイキングなものばかりで、
広くバイク雑誌という意味では競合になるものの、
出るたんびに“なんじゃこりゃー!!”という騒ぎを起こしてきたのだが、このときは明確に参入なのである。
これはこれでエネルギーがいる。
競合はあるのだけど、俺たちワールドを炸裂させなければならず本当に苦労した。
企画立案上も“あっち”を意識しないといえば大うそつきになる。
そんなややこしい苦労を重ねながらであるが、無事に自分たちの世界観をつくりあげて創刊にいたった。
『タンデムスタイル』の創刊から1年と3ヶ月、クレタの雑誌が書店に2冊並ぶようになった瞬間だ。


あれから9年が過ぎた『カスタムピープル』は、現在3代目編集長ががんばっている。
俺がつくったときに苦労した表現だったり、企画だったりも一部残りながら、
今らしい本になって書店に誇らしげにならんでいるのさ。
今では競合誌のことをまったく気にすることなく、
自分の路をゆく雑誌にまで成長したと自画自賛できるほどになったのだ。
創刊から堅調な数字を出し、社としては2つめのコードを取得できて、さらに月刊にまで育ったのである。


続くよーん

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出版社として歩んだ10年。~大成功への路~

2010 年 8 月 28 日 編集長 コメント募集中


うちの社が出版事業に手を出して10周年を迎えたので、
間にいろいろはさみつつ、これまでのことを振り返りながらつづっている。


俺にとって3作目の、そして会社の出版事業としては処女作となる『タンデムスタイル』は、
過去2作のような華やかなデビューという状況はつくり出せなかった。
版元のプレッシャーなのか、肩に力が入っていたのは否めない。
それと描きたい世界観に対する実力が伴っていないことが、
本をわかりづらくした部分も否めない。
ほぼ同じスタッフで俺がタクトを振っても、
すべてが同じような成功を収めるわけでない。
当たり前のことだが、そんな結果を知ることとなった。


とはいえ、これまでにまったくないタイプの雑誌を送り込んでいるのだから、苦労はつきものだ。
3作目ということで、自分自身の期待と社の期待が大きすぎたというのに対しての苦戦であり、
創刊誌としては決して落第点ではなかった。
発刊を繰り返すごとに評価はジワジワと高まっていき手応えを感じ始めた。
と同時に、こいつを大成功させたら俺たちは天下を取れる
(まったぁ、大げさなんだから)とまで思うようになった。
これほど難しいテーマを持った新しいものでマーケットをつくれたら
何をやったって大丈夫でしょうという、
イマイチ説得力はないものの自分自身は大まじめにそう考えるようになっていった。
こんな口癖にもなっていた。
「タンスタ成功させりゃ、天下が取れるぜよ」と。
小さなことから骨格に近い部分まで、毎号毎号手を加えた。
そう、一番の問題は自分を含めて実力不足なのだ。
だったら若いのだから向上させればいいと、
難しい企画を厳しくスタッフたちに伝えていくと、徐々にだがレベルアップが図れていった。
同時に俺自身がバシバシ磨かれていった。
「大成功」とまではいかないが、「成功」というレベルまでいくのにそう時間はかからなかった。
特集タイトルだけ見ても野心作が多い。
 “バイクで遊ぶ夏がやって来た”
 “たかがバイクになぜハマる?”
 “バイクジャンキーな理由”
 “運命の1台を手に入れる”
などなど、これらはタイトルの重要性も強く認識するものとなった。
懸命になってつくっていると、自然といいものへの感覚が身に付いていくのだった。


新ジャンルのものが登っていくのはおもしろいもので、
これまでの2作と全然違う曲線を描いた。
緩やかだが右肩上がりを続け、やがて曲線は弧を描き上昇を加速させていく。
丸3年を経たころには社内に大成功宣言を出した。
ものすごい勢いを肌で感じながら、それはそのまま部数や周囲の評価となって結果に現れた。
「石のうえにも3年」という言葉を身をもって体験でき、
3年はひとつの目安として重要な期間であることを胸に刻んだのだった。


「クレタも終わった」とまで揶揄された『タンデムスタイル』は、
二輪雑誌の台風となって業界内外に風を起こした。
まあ、業界内の評価なんざ初めからどうでもよかった(だいぶ落ち込んでいたけど)が、
手のひらを返すとはよく言ったものである。
おもしろい経験をしたと思う。
業界内の声を無視して読者目線を大切にして作り込み、
ジワジワと成功へと向かいやがて大成功と呼べる評価を手に入れたのだから。
一部であるが、業界人というやつがいかに無責任で保守的なものかということを、痛いほど感じた。
前にここで書いたことがあるが、表現の世界に“普通”という言葉はないと思っている。
それは『タンデムスタイル』のときにイヤと言うほど聞かされたからでもある。
俺の表現に対してあきれ顔で「普通のバイク雑誌は~」などと言う輩の多いこと多いこと。
そんなヤツに限って自分で工夫して創出するセンスがないから、「普通」で武装するのである。
かわいそうな話であるから同情できればいいのだが、
そんな了見は持ち合わしちゃいないから、そうした人たちが今も大嫌いなままだ。


あれっ、でも大成功したら天下取るんじゃなかったっけ?
天下どころか、いまだに汗まみれで本をつくり歌っている自分だねえ。
まっ、こんな誤算は仕方ないのだ。

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続・台割表が完成したぞ。

2010 年 8 月 27 日 編集長 コメント募集中

近しい方々からご指摘があり、急きょ続編を書くことにした。
というのも、台割が美しいとか言われても
なにを持って美しいのか、最高傑作に近づいたのかわかんねーとのことだ。
うんうん、確かに。
詳しく解説しちゃうよー。


俺にとっての本づくりのベースは、青春をかけて(笑)取り組んだ音楽活動である。
本当に懸命になり培った精神が仕事の根底にあり、
それを持ってして才能や能力の無さをなんとかカバーして、本づくりの末席にしがみついている。
そして本づくりは1本のライヴを作り込むようなものととらえている。
(だから『This is it』は大泣きだった)
各企画が1曲単位ということですな。
いいイントロがあってサビの完成度が高く、構成にメリハリがあって…などなど
いい曲を仕上げるための要素はそれぞれの企画においても一緒。
いい写真とタイトルで冒頭にインパクトがあり、
本文はグイグイと引っ張り込むように読ませてくれ、
エンディングもバッチリと企画主旨が伝わるように、など。
まさに曲と一緒でしょ。
そんな曲同士の個性を考慮して、まずは並べていくことから台割表の作業は始まる。


そうやっていい楽曲をそろえることはもちろんだが、
野球で例えるところの4番バッターだけじゃダメなのはもちろんのこと、
強弱やメリハリ、リズムといったさまざまな要素を入れ込んで
セットリスト(曲順)を組むがごとく構成を組む。
さらにどこにおしゃべりを入れて、ドラムソロを入れて、
メンバー紹介を入れて、照明をどうするか、などの演出までも考えていく。
それらの要素を全部書き込んだ台本が台割表なのですよ。


ただし、ライヴなどと違っておもしろいのは、
現段階でそれぞれの曲(各企画ね)の完成型がつかめていないことである。
想像に基づく部分が多々あるのだ。
写真とタイトル、デザインはほぼそろっているけど、原稿が仕上がってない記事もある。
最終的に仕上がった、たった1つの企画が全体に影響を及ぼして、
ほぼ半分近くの順序を入れ替えるなんてこともある。
そんなのカンタンじゃんと思われるかもしれないが、
もう印刷に入れる直前まで仕上がっているところでページを入れ替えるというのは、
たとえばノンブルと呼ばれるページ数の表示だったり、目次を作り直したりとそれは大騒ぎになる。
俺の場合、台割段階での完成度が高いほど、そうなる可能性が高くなるのだ。
そりゃそうだ、スゲエノリノリのダンスナンバーのはずが
でき上がってみたらバラードだったとしたら…どうする?
違うダンスナンバーに差し替えるなんて余裕はないから、
バラードになってしまった曲をうまく入れ込んで構成しなおすしかない。
つまり、自然と大幅変更になってしまうのだ。
もちろん、ダンスナンバーがバラードというのは極端な表現で、
もうちょっと緻密というか繊細というか(ちょっと汗)、
実際にはタイトルのベクトルとか、写真やキャッチコピーのトーンとか、
デザインのテイストとかそんなところだよ。


各スタッフには多大なる迷惑をかけることになるが、
その魔法を実感することのできる人間なら当然燃える。
わからない者は努力をするしかなく、こればっかりは職人の世界なんだよなあ。
言葉では絶対につかまえられない。
だから、台割表に隠れた奥底が見えるスタッフに恵まれている俺の現場は幸せなのである。
「うん。絶対その方がいい」 「そうだろ、じゃあ行こうか」ってね。
かつてバイク雑誌における伝説の編集長と呑んでいるとき
 「北村さんてさあ、校了(編集が手を離すタイミング)前日でも台割いじるでしょ」
 「はい、なんでわかるんですか」
 「作品見てればわかるよ」
この日は当然、呑み過ぎちゃったのである。


少々脱線するが、先日の読者ミーティング『宴』で演奏したわずか4曲でも、
ベストになるように考えて組んでいる。

メンバー紹介などのおかずの位置や曲同士のつなぎ、
おしゃべりタイムもすべて台割表と同じように作り込んでのぞんでいるのだ。
リハーサル時間がないという制約はあったものの、その中で精一杯作り込むのが俺たちの仕事である。
それは音楽だろうが雑誌だろうが変わらない。
今の自分にできる限り、喜んでもらえる価値のあるものに仕上げるだけだ。


ご理解いただけただろうか?
現段階では最高傑作の準備が整ったというところ。
あとは、昨日も書いたとおり、すべての関わった人間たちの
エネルギーの結晶とするべくがんばるだけだ。
そして、1人でも多くの人間が俺が創った本だといえることを目指し、
俺は手がちぎれるくらいタクトを振る。
つうか、早く原稿書け。
(は~い、がんばりまっす)

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台割表が完成したぞ。

2010 年 8 月 26 日 編集長 コメント募集中




「台割をもっと早くください」
前号の反省会で小笠原からのセリフである。
台割表に関しては以前ここで触れた(2009年10月1718日)とおり、
雑誌づくりの設計図のようなものであり、ラフでもいいから
これを早いところあげるのは非常に重要である。
だが、日常業務が尋常な量でないうえに、〆切前の2週間ほどは
それらを後回しにして本づくりにかける時間の割合を増やすことになる。
〆切が明けると後回しにした分のまるで利子が付いたかのごとく大挙押し寄せるから、
初期段階で遅れが生じてしまい全体が遅れることになる。


冒頭の副編のセリフに戻る。
「わかっとるわい。次は発売月中に1発目を出す」
と宣言してしまった。
6月11日が前号の発売日で、すなわち6月中ということだ。


容赦なくやってくる仕事の数々をこなしながらも、俺はこの約束をなんとか守ろうとした。
3冊やって来たおかげか、外部スタッフとの連携がよくなってきていて、提案をバシバシいただける。
参加したいと言っていただける方がチラホラ現れ、これがまたいい企画を持ってきてくれる。
企画主旨を説明すると、俺の領域をはるかに超えたアイデアを出してくれる。
そんな頼もしい参加者たちにガッチリと守られ始めた気がする。
もちろん甘えてばかりじゃない。
俺も副編小笠原も、自分たちで作っている本ながら徐々につかめてきた気がする。
初期段階での最高傑作へむけて、スタートダッシュはこの上なくいい感じで切れた。


山積した業務をリズムよくこなしながら、本づくりも常に前進していくいい流れがつかめて、
6月中の約束からは少し遅れたものの7月3日に1発目の台割表が完成し小笠原に見せた。
「おーっ」
驚嘆の声を上げた彼だ。
それもそのはず、これまで数々の本を一緒につくってきた彼は
俺の仕事ぶりをイヤというほど知っている。
このペースは未体験なのだ。
「いこうぜ、最高傑作だ」
俺たちは燃えている。


そして、取材が進み企画が固まっていくたびに台割表に改良を加えていき、
昨日深夜の8月25日にほぼ最終レベルの台割表を完成させた。
あとは最終的に仕上がった原稿や写真、デザインのリズムを見ながら
若干の入れ替えが生じるくらいだ。
自分でいうのもなんだが、この台割表は美しい仕上がりである。
(うわーっ、超自画自賛だーっと赤面しつつ続ける)
これまでも、美しいと感じるほど納得のいった台割は何度か体験しているが
今回は間違いなくベストと呼べる。
45歳になって1発目の台割表がそうなったのは、
くどいようだが参加してくれた多くの人間たちのエネルギーが結晶となったからだ。
あとはこの設計図通りに誌面ができ上がれば、俺の本づくりの歴史上で最高傑作となるだろう。
その瞬間に手が届いたのだ。


とはいえ、もちろん勝負はここからだ。
この追い込みにどれだけのエネルギーを注ぎ込めるか?
どれほどのひらめきが出てきて、カタチにして押し込めるか?
時間は残酷に刻まれていき、俺の最高のオモチャを取り上げてしまう瞬間を連れてくる。
そのときをどんな気分で迎えるのか、さあ、本当に勝負だ。


3日間、いや24時間でいい。
今俺にプレゼントしてくれる人がいたらどんなにステキなんだろう。
などと情けないことを考えていないで、さっさと原稿を書きなさいってか。

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出版社として歩んだ10年。~さらばジパングツーリング~

2010 年 8 月 25 日 編集長 コメント募集中


うちの社が出版事業に手を出して10周年を迎えたので、
間にいろいろはさみつつ、これまでのことを振り返りながらつづっている。


『タンデムスタイル』の創刊は本当に苦しいものだった。
それでも世に出た幸せを味わっていると同業者からの酷評が又聞きで伝わってきた。
「クレタ(ウチの社名ね)も終わったな」と、外注さんに言われたそうだ。
「一言相談してくれればこんな雑誌作らせなかったのに」
などという、仲の良い出版社からの声も寄せられた。
近しい人間があざ笑う声が、偶然聞こえたりもした。
どれもこれも屈辱的なものだった。


そんなにひどいか?
確かにとっ散らかっている感はあるが、まったくないバイク雑誌になったと思うし
たくさんのチャレンジを試みているじゃないか。
いつか見てろよー、同業者たち。
お前らがわかってないんだよと飲み込んだのだった。
まっ、俺は業界人を気取っているヤツらに向けて本をつくっているわけじゃなく、
あくまで読者にむけてつくっているのだと、誹謗中傷に突き刺されながらも突っ立っていた。


それに、実はそんなことよりもっと大きな痛みがあったのだ。
力を込めた創刊のしわ寄せで『ジパングツーリング』の作業が追いつかなくなり、
結果的に納期遅れという事態を引き起こしてしまった。
出版社として1冊目の本をリリースしたせいで、他社の本を遅らせたことになる。
『ジパングツーリング』の版元社長に呼び出され、今後は版元でつくることになってしまった。
きわめてマズイ失態だったが、まさか取り上げられるとは思わなかった。
創刊に協力してくれた方々やスタッフ、楽しみにしていた読者を裏切ったのだとあらためて気付かされた。
自分の仕事人生の中で、もっとも大きな反省を強いられた事件の一つだった。
画期的なアイデアのツーリング雑誌は、俺の手を離れた。
悩みに悩み抜いて作ったロゴマークも、そのまま持っていかれた。
編集部員たちも去っていった。


『調子に乗るんじゃない』
このときに得た教訓は、今も心に深く刻まれている。
だが、止まっているわけにはいかない。
気持ちを切り替え、2号目の制作にかかったのだ。
しかし笑っちゃうなあ、こうして書いていて今気が付いた。
『タンデムスタイル』の第2号は6月24日の発売で、夏特集を組んでいるんだよねぇ。
10年の時間が流れて、6月11日発売の『昭和40年男』第3号で同じことやっているのはいかがなものか?
34歳の自分と44歳の自分が、誕生日直前につくった2冊を並べてみて、
やはりずいぶんと成長したものだと思えたのは、こんなにも大きな痛い目にあったからかもしれない。


続くよ。

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