夢のグルメ単行本出版に向けてのシリーズ第3弾だぞー。
少しずつみなさんのディープなC級グルメが集まってきてます。
(fight@s40otoko.com)
これはホントに分厚い一冊ができる日がくるかもしれん。
つうわけで、今日も元気に3杯飯といきましょう。
今日のメニューはおでん丼だ。
こいつはわりとメジャーなものかもしれないが、念のためいってみよー。
おでんというとご飯のおかずとしてはあまり適してないが、
子供のころから大好きなメニューではあった。
それはこのすばらしい一品を開発したからだろうな。
だが、給食で食パンと一緒に出てくるのはまいったよね。
地域差はあるだろうけれど、俺たちのころはまだご飯はほとんど出なかった。
でもね、パンにどう考えてもないだろうというメニューの数々、ありましたよねぇ?
鯨の竜田揚げとかマーポー豆腐といった。
ワーストワンがおでんだった。
食パンに塗るマーガリンが、さらにひどい組み合わせをパワーアップさせ、
いつも腹を立てていたよ。
金返せーってね。
さて、作り方だよーん。
このメニューは順番を守らないと痛い目に遭うぜ、ふっ。
1杯目。
ジャガイモをつぶす。
つゆとぐしゃぐしゃ。
ご飯にかけるともうサイコーっ。
続けて2杯目。
ちょっと手間はかかるが、はんぺんとちくわぶを箸でこまかくちぎる。
細かい方がおいしいよ。
つゆとぐしゃぐしゃ。
ご飯にかけるともうやっほーっ。
続けて締めの3杯目。
ここでハイライトを迎えるわけよ。
子供は玉子を1つしか食べちゃいけなかったから、
これをトリに持ってきて大満足するのだ。
玉子の白身だけを食べ、黄身をつゆとぐしゃぐしゃ。
ご飯にかけるともう涙、涙、涙。
と、まあ玉子はメジャーなところだよね。
さあ、今夜はこれで決まりでしょう。
ずいぶんと騒いできた船舶免許の試験に、昨日ケリをつけてきた。
パチパチパチ。
前日の夜はまさに一夜漬けとなった。
もろもろの業務をやっつけて勉強にかかれたのは夜の9時で
会社に居残ってしばらくがんばり、最終電車に飛び乗って家に着くなりそのまま続けた。
はるか昔々の試験勉強を懐かしく思い起こされる。
問題集を解いて間違ったところのテキストを広げてフムフムとうなずきながら覚えていく。
覚える量に対して出題数が少ないことが予想できるセクションは、放棄して勘に頼るという戦法だ。
すべて4択だからね。
学科に光が見えてきたとき夜中の2時を回っていた。
うん、コーヒーを入れてオールナイトニッポンにちょっと耳を傾けてもう一踏ん張りという10代を、
またまた懐かしく思い起こした。
まだまだ覚えなければならないことはたくさんある。
ロープワークとトラブルシューティング、さらに実技のイメージトレーニングだ。
バイク免許の卒検もそうだったが、実技のイメージトレーニングって結構効果がある。
1人の部屋でハンドルを握った格好でブツブツ言っているのは、もしも他人が見たら悲鳴をあげて逃げるだろうな。
そのトレーニングの合間にロープワークとトラブルシューティングを混ぜ込みながらがんばる。
ロープワークは7種類だ。
ちょうちょ結びと方結びしかしてこなかった45年近い人生に
いきなり数時間で7種類が加わるのだから、ホント人生ってやつはわからない。
4時を過ぎた。
ここのところの寝不足が響いてきた。
よし、ちょっと仮眠だ~と、すぐ作戦をきりかられるのは成長の証かなあ。
6時に起きだして最終チェックしながら、でもやっぱり新聞とテレビはつけなくちゃだめで、
やっぱりこれから試験なのだからご飯はしっかり3杯食べなくちゃいけないし、
なんだか何をやっているのかわからないが、とにかくがんばっている姿勢だった。
さっ、いざ参る。
やり残したことばかりだが、もうタイムオーバーだ。
いざ、試験場へ!!!!!
俺の大海原への旅の一歩が始まった。
冒頭は嘘だね、落ちたらまたここに来なければならないのだから。
発表は後日なので、この続きは本誌にて。
さよなら、さよなら(古っ)。
まずは一昨日土曜日にイベントに参加いただいたみなさん、
ホントにありがとうございました。
整理して本ブログや次号で紹介したいと思います。
さて昨日、ある人物のライヴ(?)を見てきた。
創刊号で取材させてもらった三味線奏者塚原が出る演奏会だ。
(高校時代の同級生だから呼び捨てです)
長唄というカテゴリーになる彼の世界を、久しぶりにじっくりとのぞいてきた。
生で聞くのは今回で3回目である。
今回の演奏会はいくつもの新作が発表される場である。
長唄というカテゴリーは歌舞伎にとってのサントラだと教えてもらった。
歌舞伎と同じだけの長い時の流れを経て、今に受け継いでいるのだ。
そこに現代を生きる者たちが新しい風を吹き込む。
伝統ある世界というのは常にこうして革新を吹き込んでいくから
いつの時代も支持されていくのだろう。
言葉にすると簡単だが、それは相当な努力や苦悩があることだろう。
歌舞伎もしかり、落語もしかりだ。
革新的なものには、その時代だけからしか支持されなかったものもあっただろう。
時代時代で関わった人間たちが、本気の試行錯誤を繰り返してきたのだ。
なんだが仰々しい前フリになったが、
そんな世界にいるヤツが誇らしかったりもする(本人には絶対言わないが)。
出番は2曲でひとつは彼のオリジナルである。
大きい小さいは別にして、まさに伝統と革新がせめぎ合う革新の部分を
ヤツがになった楽曲ということになる。
ワクワクしながら演奏を聴いていた。
“和の世界”っていいなあ。
なんだか自分の中の日本人が自然と騒ぎ出しているよう。
思想とか歴史とかじゃないところの、受け継がれてきた感性のようなものかな。

長唄の演奏会に参加してきた

ヤツが作曲に参加した曲だ
やがて出番がやってきた。
掃除の当番でほうきを振り回しながら
スティーヴン・タイラーだといっていたヤツとは思えない、凛々しい姿がちょっと笑える。
この曲、まず詞にビックリさせられた。
ペガサスだの、カーテンだのカタカナバシバシなのである。
読み進めてもわかりやすく、J-POPとまではいかないまでも
ちょっと個性的なシンガーだったら取り上げられそうな言葉でつづられている。
そこにヤツが付けた曲も、現代のエッセンスがちりばめられて、
でもしっかりと邦楽していてとてもおもしろいというのが感想だ。
長唄に精通しているわけでないので的確な表現が見つからないが、とにかくおもしろい。
プログラムにヤツのコメントが出ていた。
「日本の空ではなく、どことなく中東の雰囲気で、とのことでしたので、
和の音階だけでなく、異なった音を入れて工夫してみました」
うんうん、なるほどなあ。
そして次の出番はこの日の最終曲で21人が舞台にズラリと並んだ。
塚原はリード三味線(?)を務めた。
うん、カッコイイぞ。
曲のフィナーレは唄全員が歌い上げた後、
感動的なメロディを楽器全員で奏でるというカタチで幕を閉じた。
些細な経験ながら、長唄の世界でこうした盛り上がりというのは始めてだった。
いいねぇ、いいねぇ。
ヤツの活躍と邦楽の奥深さでお腹いっぱいにして、
ニコニコ顔でオフィスへと戻る俺だったのさ。
あっ、そうだ。
今日は浅草秘密基地だ。
(なんてワザとらしく言ってみる)
みんなみんな来てね。
次号で取材させていただく予定のタメ年現役ボクサー・西澤ヨシノリ氏。
取材の打ち合わせと挨拶をかねて彼を訪ねてきた。
「タメ年で、現役ボクサー?」
そう、??でしょ。
辰吉丈一郎選手の話題でご存知かとも思うが、
日本のプロボクシングのルールでは36歳が上限とされている。
10歳近く下で制度上の引退を余儀なくされるという現実のなか
昭和40年生まれで世界のベルトを本気でつかもうとしている男である。
海外でなら抜け道があるってことで、海の向こうで挑戦を続けていて
つい先日の4月24日もオーストラリアで
WBF世界ライトヘビー級世界チャンピオン決定戦に挑んできたばかりだ。
結果は残念ながらTKOで負けてしまったとの情報だけを得て、
今回ライティングを担当する高橋と出かけたのだった。
高橋 「なんか聞きづらい気もしますよね?」
オレ 「そうだよな、この年齢での挑戦は一戦の重みが違うだろうなあ」
高橋 「練習再開していますかね?」
そう、会ったこともない人に電話でズケズケ聞くわけにはいかない。
ましてやこうした微妙なタイミングなわけだから、
とにかく会って目をあわせて話さなければというのが訪問の一番の理由だ。
残酷なようでもあるが、西澤さんが今どんな心境なのかによって
企画を考えなければならない。
電話でないというだけで、ズケズケと裸足で入っていくことには変わらないが
雑誌づくりにはとても重要なプロセスなのだ。
ある意味ひどい話でもある。
人に元気を与える雑誌づくりの現場では、
もしかしたら人を傷つけてしまうかもしれないのだから。
「こんにちは、今日はお時間ありがとうございます」
すごく目のきれいな人で、話が進んでいくと心配はすっ飛んだ。
世界のベルトを必ず巻くと言うではないか。
それだけでなく、今は育てるというモチベーションも大きい。
若い人だけでなく自分たち世代にも教えたいと語る。
事実、訪問したのは彼のレッスン現場は、中高年も多く通っているという。
俺たち世代ががんばらなければ、次の世代がダメになる。
だから彼はボクシングを伝えるのだと語る。
まるで俺の鏡を見ているかのようなセリフに感動し、危うく涙だったよ。
2年前に尊敬するシンガーのシオンさんをインタビューしたときを思い出した。
目が澄んでいて、自分がこれから歩んでいく路を自信を持って語る。
それは本気で信じている道であり、自分を鼓舞している部分も少なからずあると思う…。
とにかく前へと進もうとしている姿勢が痛いくらいビシバシと浴びせられる。
まーた元気をもらっちゃったな。
次号の掲載をお楽しみに!!
あくまで予定ということになるが
なんと『昭和40年男』がテレビで紹介される。
パチパチ。
日テレの昼の情報番組『DON!』で取り上げてくれるとのことで、
副編の小笠原が何度か対応しているという状況で、俺もさっきコメントを提出した。
パチパチ。
創刊号が各方面で取り上げられたが、
2号目となるとネタとして弱まってしまうのか騒ぎが小さい。
そこに来てテレビというのはすごくうれしい。
なんてったって広告宣伝費がほぼゼロなのだから、
こうして取り上げていただくのは格好のPRになる。
だから質問にはよーく考えて丁寧に答えた。
結構なボリュームがあり、手間がかかるのだががんばった。
いつもは取材する側であり、質問はできる限り保険をかけるというか、
多方面から切り込む。
でも実際には使わない部分もたくさんあるのが事実である。
それはよーくわかっているのだが、受ける立場になると
全部使ってほしいと願ってしまうカワイイ俺なのさ。
予定では5月11日ということなので、ビデオをまわしておこう。
もしも見られる方がいたらチェックしてみてくださいね。
あっ、そうそう今夜はイベントだ。
(なーんてワザとらしく言ってみる)
ドカーンと盛り上がっていきましょう!!
会場で待ってまーす。
先日、次号夏特集のチャレンジ企画のひとつである「ボート編」の取材で
ヤマハのボートスクールに行って来た。
まずは免許を取るところから企画スタートということだ。
午前中が学科、午後が実技で1日たっぷりと学ぶのである。
学科は要点をまとめてくれ、あとはテキストを使って自習で試験に備える。
レベルとしては原付免許程度のものなので
がんばりさえすればなんとかなるだろう。
が…、問題は実技だ。
信じられないでしょうが、俺はクルマの免許を持っていない(恥)。
つまり、クルクル回すハンドルをこれまでろくに握ったことがなくて
これがものすごくイタイ。
バックなんてどこに行くかわかったもんじゃないし
「クルマの運転と変わらないでしょ」
なんて指導されても、意味がさっぱりわからん。
曲がろうとすると体を傾けてしまい、なぜか内足に体重かけてるし(バイク乗り)、
もう全然ダメなんすよ。
もう一人の編集部員と2人セットで教習を受けたので、
ハンドリングセンスの悪さが自分でも身にしみてわかる。
こうも違うのかと。
もともと運動神経がよくないうえ、さらに不器用なので
なにごとも血のにじむ努力をしないとできないタイプなのだ。
今回もそれをあらためて気がつかされただけのこと。
だが、今回の場合は血のにじむ努力ができないまま試験日がやってくるのだ。
さらに仕事の絡みの企画でもあるわけで。
うーっ、ヤバイヤバイヤバイ。
合格率は9割を超すというが、このままでは確実に少数派の仲間入りだ。
試験当日まで、イメージトレーニングでしか努力できないというのがつらい。
ちょっと甘く見ていたことを深く後悔し、反省している俺だ。
ふーっ。
スクールそのものはとても楽しくて
クルマの運転をしているひとならまず問題なくクリアできるだろうから、
次回の俺のページを見てぜひトライしてほしい。
とにかく、もしも試験に落ちたとしても
ありのままのページをつくる予定なので、
チャレンジの結果は本誌を乞うご期待!!
がんばりまーす。
ゴールデンウィークお疲れさまでした。
休めなかった人もたくさんいることでしょう。それはそれでお疲れさまでした。
今日はどんより気分で仕事に向かっているた方も多いだろうな。
なあに、2日間がんばれば土曜日はお楽しみの第2回読者ミーティングじゃないですか!!
荻窪のルースターノースサイドでみんなが来るのを待っています。
(くわしくはコチラ)
タメ年というおもしろく、そしてなぜか強いつながりを、このイベントを通じて感じてもらいたい。
そして雑誌のテーマでもある、日本を支える俺たちの元気を互いに感じ合いたい。
もしも苦しいことがあったなら、できれば吐き出してしまいたい。
それでホンのちょっぴりかもしれないけれど軽くなったらいいな。
などなど、心通うあたたかい夜にしたいと思っています。
もちろん、面倒なことは何もナシで騒ぎたい!なんてのも全然OK!
ぜひぜひお気軽に参加してください。
1人での参加でもまったく“のーぷろぶれむ”だよーん。
前回同様、いくつかのバンドメンバーも終結してくれることになり、
何曲かの俺たちにとって懐かしい曲の演奏を披露します。
バンド単位での参加もOKなので、「我こそは」という方はぶっ放してほしい。
弾き語りもジャンジャンかかってきなさい。
もちろん、聴くのが専門だって全然OK!
また、今回は前回よりもおしゃべりタイムを増やして
参加者同士の交流を盛り上げたいなと思っています。
俺ね、自分でいうのもなんだけど、音楽に対してけっこうまじめなんですよ。
自分の生きてきた中でずっと真剣に対峙してきた。
ひとりぼっちになってもずっと続けてきたし
大切な友を失ってしまったりと逆に音楽によって悲しみを背負い込んだりもした。
そんな音楽を裏切りたくないってね。
だから1回目のときは正直とまどいみたいなものがあった。
音楽への冒とくなんじゃないかとか悩んだりして。
でも、来ていただいたみなさんに少しでも喜んでもらいたいという気持ちや
「主催者がうだうだいってんじゃねー」と
自分自身に活を入れてやってみたのですよ、前回のセッションは。
やってみてわかったよ、音楽は音楽なんだって。
プレイが始まって自分がそこに集中して入っていけば、それはちゃんと自分の歌なんだってね。
いやぁ、この歳になって気がつくこともまだまだあるものですなあ。
2回目となる今週末もガツンとぶちかましまっせ。
当日の数十分のリハだけでここまでやれるってのを、どうだ~ってね。
それにしても、集まってもらえるのかなぁ?
浅草秘密基地の方は4週連続で参加者ゼロという
不安にさせられる材料があるからねえ。
まっ、あっちはイベントというよりも
「いつも誰かいるからフラッといってみようかな」
という、お店みたいなものを目指しているので
長い時間をかけてつくっていければいいかなというものだけど、
こっちは“集めたい”という気持ちなんだよ。
先に挙げたように目的もしっかりとあるわけで、誌面でも展開したい。
ルースターの社長であり、前回は俺と一緒にMCまで手伝ってくれた
佐藤さんのあたたかい協力に応えたいしね。
とにかく、盛り上げたいのですよ。
つうわけで、明後日の土曜日は荻窪に出かけましょう!
最後の晩餐について語り合ったり考えたりしたことある?
俺はね、絶対に湯豆腐だね。
もう一品許されるなら、マグロの赤身の刺身だよ。
我が家の食卓事情はシリーズ第1回で軽く触れたとおりだ。
おかずはメイン1品勝負の日がほとんどで、あとはせいぜい漬け物くらいである。
1品でご飯を3杯かっ込むのには相当な工夫がいるが、湯豆腐の日は楽勝だった。
将来、湯豆腐の店を出して、このうまい丼で大儲けできるとまで思っていた。
大人になった今も、湯豆腐はもっともお世話になっているメニューだ。
作り方だよーん。
鍋に昆布を敷く。
鰹節としょうゆとネギが入った湯飲みを真ん中におく。
豆腐を入れゆらゆら程度の火加減で待つ。
豆腐が浮いたら湯飲みのネギとしょうゆでいただく。
野菜を入れるのはヤダ。
具は豆腐と塩鱈(これは厳密に言ったら湯豆腐じゃない)のみだ。
そしていよいよ湯豆腐丼の作り方だよーん。
浮いた豆腐3切れをぐしゃぐしゃする。
軽く湯を切りネギとしょうゆを混ぜる。
ご飯にかけたらいただきます。
もう最高なのだ。
育ち盛りのころはこれでバッチリ3杯飯だったもの。
豆腐は8等分に切るから1丁以上食べることになり、タンパク質もガツンと取れる。
鍋は冬の食べ物なんて偏見はいけませんよ。
早速今夜は湯豆腐で一杯呑って、締めに湯豆腐丼を楽しんでみてください。
サイコーだから。
明日、5月5日は端午の節句、子どもの日ですなあ。
俺たち世代だと子どもがもう大きくて
一緒に祝うのはちょっとなあという方も多いのでしょうか?
俺ね、小さいころこの日が大好きでね。
いろんな楽しみがあったから。
まずはなんてったって兜飾りでしょう。
4月も末ごろになると出してくれる。
1年に1回だけ飾り付けられるというのが、なんだかワクワクしてね。
逆にしまうのは寂しくて嫌だったなあ。
それと柏餅をたらふく食えること。
いくつ食べても許してくれるという、気前のよさだったのだ。
朝、近所の和菓子屋さんに行き、20個とか買ってくれてもううれしくてうれしくて。
今はまったくダメだがあの頃はあんこが大好きで、
とくに柏餅や大福などの菓子は最高ランクに位置づけていた。
こいつをいくつ食べてもいいというのは、正月よりめでたく感じていたかもしれない。
そして極めつけは親父が料理を作ってくれることだ。
なぜ子供の日なのかは定かでないが、
これもほぼ1年に1度の奇跡が起こる日だったといえる。
普段は台所になんか一歩も足を踏み入れないのだが、
彼なりにイベント感を盛り上げてくれたのだろう。
ロールキャベツとか、結構手の込んだものをつくってくれた。
お袋とは明らかに味が異なる、男の料理ワールドが展開され
お袋も「おいしいおいしい」と喜んでいるのだが、
とんでもないことになってしまった台所を片付けるのはもちろん彼女の役目だった。
さあ、お父さんたちよ。
明日は子供をめいっぱい喜ばせる日です。
とことんがんばって、気持ちよくゴールデンウィーク明けの職場へと向かいましょう。
もう20年近く昔のこと、左腕はもう動かないと宣告された。
キャンプ先で酔っぱらってマウンテンバイクを借りて
大転倒してヒジをグチャグチャに砕く骨折をした。
顔にもいくつもの傷を負い、今も跡が残っている。
とにかく大けがだった。
2つの病院に治らないと言われ、わらをもすがる気持ちで3つめの病院に行くと
「治す」と、スーパー手術を施してくれ、
ちょっぴりいびつなカタチになってしまったものの、何不自由なく過ごせるほどに完治した。
だが、それ以来チャリンコは嫌いだ。
事故を起こした下り坂なんか、大好きなバイクで走っていても嫌な気分になる。
その俺がチャリダーとして企画に参画することになってしまった。
「昭和40年男」の編集会議はホントにひどい。
とくに社内で編集にたずさわっている3人は、いじめを楽しんでいる悪い子たちなのだ。
以下、編集会議の一コマ。
「夏ですからなんか特別な経験とかした方がいいですよ」
「ふむふむ」
「空を飛びましょう」 (アホかコイツ、TOKIOじゃあるまいし)
「バンジーとかスカイダイビングとか」 (アホかコイツ、んな怖いこと誰がやるんじゃ)
「編集長お願いしますよ」
「ちょっ、ちょっと待った。俺、年齢とともに高所恐怖症がひどくなっているんだよ。第一、俺じゃなくてもいいじゃん」
「残念だなあ、僕たち昭和40年男じゃないからなぁ」
「…」
「チャリンコで北海道を走るなんていいですよね、夏の聖地」
「誰が行くのかなあ?」
「残念だなあ、僕たち昭和40年男じゃないからなぁ」
「…」
編集部では決めゼリフとして重宝されている。
というわけで、空から飛ぶのはなんとか回避できたものの、
あの日以来苦手のチャリンコは議決してしまった。
うーん、苦手はともかく、この不健康をまとって生きてきた俺が、
はたして夏の北海道の提案をしていいのだろうか?
だがこうなったら逃げも隠れもできない、やるっきゃないな。
雑誌づくりとは自分を予測もつかないところへと連れていってくれるのさ。
<追伸>
昭和40年男では本つくりを手伝ってくれる「タメ年」の方を探しています。
お気軽にメールくださいね。こうしたチャリンコ企画のモデルとか、
ダイエット企画の実験台になってくれる方とか(笑)。
わが家は今でもおでんで白メシを喰いまくります。
特に定番なのが、江東の砂町銀座で買ってくる特濃おでん。
1日じゅう店先で煮込んでいるからもうツユしみしみでものすごい迫力、
マディウォータース! な真っ茶色っす。
澄んだツユの今日びの上品おでんとはまるで異なる
超江戸前、まさに関東煮。ギョウザ揚だの激辛中華揚だのヘンタイもあり。
これがまたメシ三杯! の逸品っす。とうぜん酒にも合〜う。
うおーっ、腹減りましたよ。うんうん、関東煮ですよ。俺も小さい頃鍋を持って、近所のおでん屋に買いにいかされた事を思い出しました。