4月から2ヶ月間続けてきた“浅草秘密基地”を総括しよう。
祭日を除いて昨日まで計8回を開催して、
来場者ゼロがぬぁんと5回もある。
「浅草っていう場所かねえ(マスター)」
「ただ呑むじゃダメなんですよ、コンテンツをなにか入れ込んでいかないと(副編小笠原)」
「俺の歌じゃーダメだってのかい(もちろん俺)」
「いやあ、そうは言ってないですけど、たとえば懐かしい歌をたくさん仕込むとか、キャンディーズとかですよ(副編小笠原)」
「んなもん聴くのはいいけど歌えるか!!」
「みんな意外とシャイなんじゃないかな(スーパー編集金子)」
なんて会話をしながら、あーでもないこーでもないと繰り返している時間の方が圧倒的に多い。
なんとなくふらっと寄れる空間にしたくて
ここのマスターに頼んで毎週月曜を提供してもらっている。
通常500円の席料を無料にしてくれてもいるのだ。
んで、タメ年同士、または近い時代の空気を吸った世代同士が
想い出話を共有したり、現在の悩みや将来についてアレコレと話し合いたいなと。
お互いがリラックスして過ごせるサロンになったらいいなと思っている。
そこにしっとりとした(ウソ)俺の歌が流れるのさ。
んで、昨日は来場者が1人。
編集部は〆切のドタバタで、迎え入れたのは俺と金子の2人なのでこのような絵になった。
千葉の市川から来てくれた、伊藤好勝さんだ。
「仕事が早く終わったもので」
と、8時を回ったところであらわれた。
懐かしい話、とくにクルマに関しては編集部金子と大盛り上がりで、
伊藤さんもスカイラインにず~っと20年以上乗り続けているんですと。
ふむふむ。
あとね、プラモデルだね。
「ガンダムってとおっていないよね」
「数名、狂ったように盛り上がっているヤツはいたけどね」
ふむふむ、やっぱり同じ現象なのだ。
「校内暴力、ひどかったよねー」
「仮面ライダーカードのスナック棄ててたよねー」
「ミラーマンの主題歌、いまでも歌えるよ」
合唱。
想い出ばかりじゃない。
こんな企画をやったらいいとかまさにラフな編集会議であり、
互いに傷のなめあいもあったりと、楽しい時間はアッという間に過ぎていった。
〆切が気になり、あまり酒には手を付けられなかったが
来週は印刷所に投げ込んだあとなんで、はっちゃけるぞー。
シャイなみなさん、ぜひ気軽にお越しください。
8時から11時までは、必ずいるようにしてます。
さあ、みんなどんどん仕上げてよー。
もうお尻に火がついているよー。
発売日が11日で、問屋さんへの納品日が中2日の8日で
印刷時間と印刷所に突っ込むためのデータを仕上げる時間を考えると
うん、もう時間はほとんどない。
社内外の人たちがみんなそれぞれの原稿と闘ってくれている。
ありがとう、がんばろー。
職柄上仕方ないが、俺は実に様々な仕事を兼務している。
原稿に集中したいこのタイミングだとかなり苦しく感じることが多い。
午前中は原稿を書く手がよく動くので
締め切り時は極力仕事を入れないようにしている。
だが、この時間帯は諸々の連絡ごとや打ち合わせ電話が多い時間帯でもある。
セールスの方々も熱心な時間帯である。
よーし、乗ってきたー、と書き進めていると
「○○さんからお電話です」とか
「アポは取っていないそうですが、○○さんがみえてます」と。
断るわけにもいかないからトホホと対応する。
とくに5月は新人研修なんだろうね、つぶらな瞳で
「名刺交換だけでもさせてください」
なんて回ってくる営業マンの多いこと。
わかるんですけど、こっちゃー締め切りだっての。
キレるわけにはいかないから対応していると、あっという間に午後に突入だ。
夕方の4時頃までは原稿を書く手は遅くなる。
この時間帯は、たまっている仕事を片付けるのだ。
経理関係の仕事や打ち合わせに出かける。
書類のチェックなんかもこの時間帯に片付ける。
社内の打ち合わせがある場合は夕方にして、
晩飯を食った後の7時くらいから朝方までが勝負だ。
始業が9時なんで5時までには寝るようにしているが、
この時間帯は外からの連絡も雑誌にまつわることがほとんどで、
集中力が途切れることなくがんばれる。
こうして少しずつ前進させていき、なんとか発売日には書店に並ぶのだ。
酒が大好きな俺であるが、この時期は一滴も呑まない。
いや、呑めないといった方がいいか(今日は浅草秘密基地だけどね)。
何日も続く、究極の休肝日を過ごすことになるのだ、あー健康(?)。
でね、無事すべてを入稿して呑むビールは
初めて呑んだときの味を思い出すのですよ。
これがたまらん。
次の雑誌づくりを考えながら、
そして今回の仕事を振り返りながら呑むビールは毎度大きな感動を運んでくる。
と、その日をイメージして今日もがんばろうと自分に言い聞かせているのでした。
チャリンコ企画と小型船舶企画で自分の写真をいやというほど見せられている。
見ながら原稿を書いている。
2次元に封じ込められるというのは残酷なもので
どう見てもおっさんだし、どう見てもカッコ悪い。
ふーっ、とため息をついてばかりいるから、原稿を書く手もあまりスムースでない。
ふーっ。
役者さんやミュージシャンの取材現場で思う。
通常インタビューを先にやって、その後にフォトセッションとなることが多い。
みんなポーズと表情とかを持っていて、カッチリ決めるのだ。
1枚切ると次のポーズ、また次と流れるように作っていく。
手がね、さりげなくまた大胆に動くのですよ。
そんな仕草されたら俺惚れちゃうよってね。
3次元の中で見ているとちょっとやり過ぎかなと思うことが、
2次元に封じ込められるとさりげなく仕上がっているからあら不思議ってね。
みんな自分の写り方を研究しているんだねえ。
バイクの走行シーンを撮影するときも
「もうちょっと倒し込んでください」
とかね、注文するんですよ。
んな倒して走らねーよってくらいでも、写真としてはちょうどよかったりする。
そんな現場を長年見続けてきたのに、自分でやってみるとこうだものなあ。
なんだか情けなくもなるが、タメ年本としてはリアリティだけはあると思うよ。
普通にカッコ悪いおっさんという意味でね。
そんな原稿を手放すのも、今日いっぱいだな。
さっ、書いた書いた。
いやあ、鳩山さん、困りましたなあ。
5月中と言ったからこのタイミングでやっつけたのですか?
大マスコミによる県民感情の取り上げ方にもかなり偏りがあるようで、
本来なら取材にすっ飛んでいきたい。
『昭和40年男』では、ある題材に鋭く切り込んでいくジャーナルページも作るべきだと思っている。
とくに今回の問題は紙媒体のよさがもっとも出る問題だもの。
正直な話、まだ走り出したばかりの雑誌に予算は少なく
やりたいことをすべて実現できない悔しさもある。
でも、それは産みの苦しみであって決してネガティブな気持ちではない。
新しいことを少しずつ開拓していくワクワクする感じも味わっているし、
事実、いろんなトライも少しずつだができている。
今回の夏特集で、戦争体験者の取材ができた。
東京空襲と広島の原爆、2人の被災者である。
雑誌として、また著者たちのイデオロギーは加えず、
聞いたことを次世代以降に語り継がれるような記録ページにしようというもので、
連載も視野に入れている。
なんて、自分としてはとてもやりがいのあるページを入れることができたのだ。
雑誌がたくさん売れて、広告もドバドバ入って、
予算が少しずつ増えて新しい企画にどんどんチャレンジできる。
いいスパイラルができてくればとがんばっている今の段階は
ホント負け惜しみでなく楽しい日々だ。
そして冒頭に戻るよ。
自民党の安部さんの時代あたりから、我が国の政治機能は低下の一途である。
民主党だけが悪いわけでない。
国民感情対策に政府が踊らされていて、
まともに仕事ができなくなっているというかわいそうな面もある。
あおり立てるようにワイドショー化された報道番組も、
ある意味政治機能低下の一役を買っているように思えてならない。
今、最重要課題として取り組まなければならないのは、外交でしょう。
これほど緊張感がある世界情勢のまっただ中で、
外交能力が著しく低下しているというか、
仕事ができていない状態なのはかなりヤバい。
北朝鮮はお隣ですよ。
そこに鳩山さんがベクトルの外れた発言を覆いかぶせていく。
まずいよね。
国内のことでいったら、少子高齢化の中での将来を見据えた
教育水準の向上でしょう、今すぐやらないといかんのは。
俺たちの時代のように、どこまでも日本が登っていく時代だったら、
教育なんざ少々軽視していてもどうにかなった。
事実、どうにかなっていたけど、これからはそうはいかないものね。
俺たちだってもっともっと働かないといかんようになってきたし。
少々わがままなお願いといえば、景気対策もしっかりやってほしいですな。
という3点が、機能低下している政府のおかげで、どうも逆行してしまっている。
その現場をキチンと『昭和40年男』たちに伝えて、
本質を見い出してもらって社会に役立ちたい。
ぬぁんてことを思っている今日この頃っす。
くどいようだがまだまだ予算のない俺たちなんで
今はみんなの声が助けてくれるとも思っている。
沖縄の皆さん、リアルな声をぜひ編集部に届けてください。
全国の皆さん、一緒にジャーナルしましょう!!
昨日書いた”新店”ができる以前の話だ。
区役所にある公園(そのまんま区役所公園と呼んでいた)で遊んでいると、
カンカンという音とともにものすごく汚くて小さい婆さんが引く屋台が近づいてくる。
その音を聞くと、子供たちは遊びを中断してその屋台へと向かう。
「カンカン婆が来たーっ」と。
屋台には子供にとって魅力的な食べ物がわんさか積んである。
水飴やミカンジャム、ソースせんべいなどの定番に
焼きそばや玉と呼んでいた変化球ものまでさまざまだ。
焼きそばは、蒸したそばにキャベツと揚げ玉、ソースをかけたもの。
”玉”は最中の皮に揚げ玉を盛ってソースをかけたものだ。
誰が見ても不衛生に見えるであろうルックスで、
ほとんどの子供たちは親から購入を禁止されていた。
が、子供たちにとっては宝の山であり、そんな言いつけをまもるはずがない。
そしてこの婆さんが典型的な下町チャキチャキ系で、とにかくすぐ怒る。
でも大声でよく笑う。
怖いけど親しみのある存在だった。
ここでも男たちはギャンブルに走る。
型抜きと寒天だ。
型抜きはご存知の方も多いことだろう。
ピンクの板に薄く刻まれた絵にそって割り、その絵を完成させるというもの。
寒天はミルクせんべいに薄く切った赤い寒天がのせてあるものが出され、
これを細いストローで吸いながら、婆さんが出題した絵を描くというものだった。
絵心のない俺には型抜きでないと勝負にならなかった。
両方とも婆さんのジャッジで判定され、食べ物に交換される。
もっとも低い評価がミカンジャムだった。
「残念賞ミカンジャム」という言葉は、
俺が通う小学校では日常普通に使われる言葉だった。
紙芝居の発展形なのだろうか?
地域差もあるだろうけど、俺たちの時代は紙芝居がほとんど来なかった。
幼少のころ、極々たまに来たときはすごくうれしかった記憶がある。
でもね、カンカン婆の想い出を人に話すと
ほとんどそんなのなかったと言われるのだが、みなさんいかがでした?
ちなみにあのころだと、豆腐屋さんもチャリンコで笛を吹いて走っていた。
魚屋さんも屋台で移動していた。
店舗を構えるのは今も昔も大変だったのだ。
でも今ほどうるさくないから
とりあえず屋台を引いちまえってことだったのだろうか?
俺に記憶の中にある、美しい昭和の風景だ。
先日ここで駄菓子についてふれた。
あれこれと思い出す中で、駄菓子屋という俺たちにとって
きわめて重要だった社交場について
アレコレ記憶の旅に出たのだった。
舞台は東京は下町、荒川区の区役所周辺である。
まだ小学生低学年のことだった。
行動エリア内の駄菓子入手経路は
果物屋さんの店頭、パン屋さん、専門店(駄菓子屋さんだね)の3つだった。
やはりなんてったって専門店が魅力的。
他の2店にはない駄菓子屋ならではのものがあるからだ。
あんこ玉やイカものなどに代表される
一つ一つがパッケージされていないまさに駄菓子と呼ぶにふさわしいメニューが並ぶ。
さらにダラダラと過ごせる雰囲気を醸し出していて
子供たちにとっては重要なコミュニティだった。
仲間たちとあれこれ言いながら本日の一品を選ぶのは
大人の階段を登るうえで重要な時間だった。
が、ここは婆さんがよろしくなかった。
なんだか陰気で怖いのだ。
それと家からちょっと遠かったのも、俺にとってはやや難ありだった。
たまに利用する果物屋とパン屋はさっと買って食べることだけが目的で、
今の俺たちの暮らしに置き換えると
呑み屋に行くのと発泡酒をコンビニで買って帰るのと
同じくらいの差がある。
何年生のときだったろうか、突然の黒船来襲に
近所の子供たちは色めきたった。
専門店でありながらおばちゃんが優しくて、
広い店内にはベーゴマやプラモデルがそろい、ゲーム機まで設置されていた。
駄菓子のラインナップも豊富な、スーパー専門店の出現であった。
その店のことを俺たちはこう呼んだ。
新店と。
発音は“しんみせ”だ、念のため。
これまで以上に長居が出来る新店は、子供たちの心ばかりでなく
財布の中身もわしづかみにしたのだった。
ゲーム機はクリアすれば30円の引換券が出てくるため
一攫千金を狙う男たちが列を作った。
周囲の猛者たちが覗き込む緊張の中で、クリアを目指す。
が…、玉砕することの方が断然多い。
イカもあんずも買えずに家路をたどるのことも、少なくなかった。
新店にはほぼ必ず友達がいて
約束をつくらなかった日もここに行けば楽しい時間が過ごせる。
小学生のホンの短い間だったが、ここで過ごした時間はとても大きい。
注ぎ込んだお小遣いにしめる割合も相当なものだっただろう。
というわけで、新店は俺たちの暮らしを激変させたのだが、もうひとつすごい存在があった。
屋台で移動しながら子供たちの財布を襲う、カンカン婆だ~(つづく)。
さあ、佳境に入っている次号創刊第3号の制作の現場便りだよーん。
昨日は早見優さんのインタビューに出かけたのだ。
パチパチ。
彼女はひとつ下の昭和41年女なんですよ。
なぜ彼女に登場を願ったのか?
実は昭和57年の特集をつくっていて
アイドル全盛というセクションに掲載しようというわけだ。
俺たちが16~7歳の頃、ハワイで元気に過ごす普通の女の子は
突然スカウトされて日本の芸能界に入った。
いやねえ、話を聞いてつくづくすごいと知ったよ、芸能界は。
ああ、よかった、俺はアイドルの道に進まなくて(笑)。
早朝から深夜まで、全国を引き回される毎日を
元気と笑顔でこなした日々を過ごしたそうだ。
休みなんかない。
いきなりハワイから東京に生活の場を移して、そんな毎日をこなした。
10代のもっとも楽しい時期を、仕事に打ち込んだ彼女の人生は
俺のような凡人にはなかなかイメージできない。
強くて暖かい人だね。
そして、気づかいが細やかで豊かな人だった。
たった1時間とちょっとのインタビューではあったが、
人柄がにじみ出てきてバシバシ伝わってきた。
若い頃の苦労は、その後の人生をいい方に導いていくのだね。
今は家族と仕事を両立させていて、インタビューは家族のことにも及んだ。
きれいな彼女から出てくる家族の話には、違和感を覚えるほど
アイドルそのままだった。
よく食べることとよく呑むことが元気の源と笑う。
そのために体を動かしたり努力をするそうだ。
うーん、いいねえ。同感同感。
たくさん呑むために体を動かすという格言が、俺の人生に加わったのだった。

デビューから5作目のヒットシングル。ここから忙しさが加速したそうだ。うん、懐かしいね。

前号の誌面に掲載した談慶さんのインタビューだ。
昨日は立川談慶さん(2号の特集で取り上げている)が編集部に来てくれた。
最近ものすごく忙しそうで、現在ブレイク中といった談慶さんは
まさにタメ年のスゴイやつである。
打ち合わせたのは、次号から1ページものの連載を持ってもらおうというもので、
きっとおもしろいモノになるから乞うご期待だよ。
彼も昭和40年に生まれ、育ったことに
誇りというか自信を持っていて、話をしていてホントに楽しい。
とにかくお互いの持っているものを惜しまず出し合いましょう、
まわりを巻き込んでいくようなパワーを全開でがんばりましょうと、そんな話に終始した。
前号が手に入らなかった人のためにちょっと説明すると、
慶応大学卒業後ワコールに入社して3年を経てからこの道に入った。
俺たち世代には多大なる影響を受けた立川談志の門を叩いたのだ。
以来、なんと9年半におよぶ前座時代を経て、現在は真打ちとしてがんばっている。
たぶん不器用な人だ。
俺もなにをやるにも人より時間がかかるのでよくわかる。
でも、時間がかかった分だけ修得したときは大きな力というか、厚さが出てくると信じている。
だから無駄だと思えるような地道な修練も頑張ることができる。
お付き合いは、たまたま本を見かけた彼の方からコンタクトを取ってきてくれて、現在にいたる。
落語家であるから、楽しいこと、可笑しいことが大好きな彼と話しているのは実に心地よい。
昨日は短いながらそんな充実した時間を過ごし、またまた元気になった俺なのさ。
こんな風にどんどん昭和40年男たちでつながっていって、
閉塞感のある社会を元気にしていきたい。
これも「昭和40年男」を立ち上げた大きな要因で、
それをまさに実践してくれている談慶さんの存在は大変うれしい。
みなさんもこのコミュニティに気軽にエントリーしてください。
待っています。

嫌がるところを無理やり撮影 by 副編・小笠原
今日になってやっとこさ足の痛みが少しだけラクになってきた。
昨日までは激痛だったからね。
でもね、手足の指がまだしびれたままなんよ。
極寒の雨の中を感覚がないまま何時間も走って、
やっとこさ旅が終わって温めたらものすごく痛くて、
そのまましびれになって残っている感じだ。
まっ、大したことはないのだけど、寒さ対策をキチンとしなかったのは
北の大地をちょっと甘く見ていたよ。
毎年1月にフルマラソンの大会に出ている。
あれも3日間くらい筋肉痛は残るけど、
残り具合で考えると同じくらいのインパクトだな。
普段使わない筋肉を、いきなり3日間酷使したのだからしょうがないね。
ページを作る段階に入ったので、地図を見返したりメモを見直したりしている。
午後はカメラマンと打ち合わせの予定だ。
やだなあ、かっこ悪く写っているのだろうな。
ブログであげた3日目の写真なんか悲惨だものね。
俺ね、写真に収まるのが大嫌いで、
プライベートでも自分の写真がほとんどないくらいなんです。
今まで長いこと雑誌をつくる仕事をしてきたけれど、
仕方なく写ってしまったもの(イベントの司会とか)以外は、
誌面に登場したことがない。
それが今回被写体になったのは、企画の流れのうえで仕方なかったのと、
やっぱり雑誌の特性上のことかな。
リアルにリアルにと目指してつくっていると、どうしてもそうなるんだよね。
自分の声を録音して聞くと気持ち悪いじゃない。
写真に写ることが極端に少ない俺にとってはこれと似ていて、
見るたびに違和感とかっこ悪いなとため息ばかり。
まっ、仕方ないッスね、一般ピープルですから。
と、そんな写真の数々を見ながらの午後の打ち合わせは憂鬱だ。
いいページになるように努力はするけど、ねえ、なんてったって被写体がねえ…。
とにかくがんばります。
この体に残った痛みがいつまで続くのかも、次号の誌面で報告しますね。
ああ、アレでしょ、さんまを蒲焼きみたいなのにしてのせてあるヤツ。
と、思ったあなたはまだまだこのC級、
いや、もはやEFGを通り越えてZ級グルメの世界をわかっていない。
なんてったって、単行本にして発行しようと思っているだから(無謀な夢か?)。
昭和の食卓の話だ。
さんまがおかずになった日は、親父が喜び俺たち兄弟は落胆する。
今は年がら年中売っているが、当時は秋にしか出回らなかったから、
さんまが晩飯の主役をつとめるたびに思うのだった。
はやく冬よ来いと。
嫌いではない。
だが、子供にとってはやっぱり肉系の方がうれしい。
それと、ご飯3杯にとってのサイズの問題が大きかった。
上手にはがして2杯をかっ込むのがやっとだった。
だから1杯目は片面で食べて、2杯目はいったんかわすために
味噌汁をぶっかけたりお新香でやっつける。
そして3杯目に本日のメニューが登場するのだ。
さんま丼。
いぇーい。
作り方だよーん。
残った秋刀魚の半身をそぎ落として熱々ご飯のうえに。
お好みでワタものせる。
そしてココがポイント、大根おろしのおろし汁をぶっかける。
やや、しょっぱめにしょうゆをかける。
ぐしゃぐしゃ。
できあがり。
もうね、サイコーっす。
大人になった今では贅沢に海苔なんかかけたりするけど、
当時の我が家の食卓では海苔は貴重品だから配給されなかった。
大根のおろし汁が、さんまとしょうゆの旨味を一体にしてご飯に吸わせるのだ。
しょうゆ量がすごく重要なので慎重にね。
では、秋が待ち遠しいでしょうが、最近は6月になると北海道あたりの生が出回るし、
冷凍も悪くないよね。
ぜひお試しあれ。
みなさんのZ級グルメも大募集だよ。
ご無沙汰しています。
大阪のoguraです。
定期発刊おめでとうございます!
もう、データ入稿は済みましたか?
お疲れ様でした!
来週は秋葉原へ出張なので、時間を作って秘密倶楽部?。。。笑)に参加したいです。
データ入稿は今夜がヤマです。ホント申し訳ない進行になって肩身が狭いッス。
浅草秘密基地ですっ(笑)。ぜひお越しください、お待ちしてます。