死について考える。~その2 宮崎にて~

2010 年 4 月 15 日 編集長 コメント募集中

ヤツの住んでいた街の駅。雲ひとつない青空がかえって哀しい

ヤツの住んでいた街の駅。雲ひとつない青空がかえって哀しい



九州でバイクイベントの仕事がある。
またまた余談ながら、小さな会社のトップなんざなんだってやる。
編集長をいくつもこなし、営業も経理も掃除もやる。
たまたまこの週末(4/11)はバイクイベントがあり、その対象雑誌の編集長だということだ。


俺はイベントスタッフとは別行動を取り、一足先に九州宮崎へと向かった。
同時にヤツの死を受け止めなければならないのだから、これほどツライ旅はそうそうあるものではない。
羽田を飛び立ち、宮崎空港に着いた。
南国ではもう桜に葉が混ざっていて、美しさを誇れることなく、舞い散る花びらで存在を誇示している。
たった2両で走る電車に乗り、ヤツの住む街を目指した。
駅員のいない駅を降りると、果物や乾物を売る店に花がおいてあったのでひとつもらった。
すべてのアクションが自分のことながら悲しすぎる。


ロックのことしか頭になかった俺に、ヤツは知識をつけることのすばらしさを教えてくれた。
居酒屋で働いていたころ、営業が始まる前に遅い昼食を毎日のように一緒にとる。
たったの20分程度ながら、そこでヤツは毎回テーマを変え講釈をうってくれた。
「さあ、始めようか。今日は日本人について。よし、まずは天照皇大神からいってみよー」
とか言いながら、わかりやすく解説してくれる。
「あなたが好きだと言っている幕末の時代を点でとらえちゃダメだよ」
とも教えてもらった。
歴史だけでなく経済や政治にまでおよぶ講義は、今さらながら頭が下がる。
知識をまとうことのかっこよさ、すばらしさを教えてくれた人だ。


そんな日々を想い出しながら、
そしてこのことの礼を伝えていなかったことを後悔しながら、
ヤツの家までとぼとぼと歩いた。

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死について考える。~その1 思いがけない友人の死~

2010 年 4 月 14 日 編集長 コメント 2 件


おっといきなり重いタイトルだなとビックリしたでしょう。
というのも…。

副編小笠原とこのブログについての編集会議が昨日行なわれた。
「もっと人となりがガンガン出た方がいいっすよ」
うんそうだよね。
具体的にどうしようとなり
“パブリックなテーマを拾い上げて編集長なりに斬ればいい”
とのアドバイスをもらったところから始まって、コンセンサスにまで持っていった。


政治ネタはあまり無責任にはできないので
もう少しライトな話題をつかまえていかねばならないなあ。
古いもので例にすると、朝青龍くらいならいいのかなあ?
JALの問題はどうかな?
 ・
 ・
 ・
悩み尽きぬ。


加えて
「日常から何を感じたかを斬ればいいのではないか」とも。
桜の満開とか、通りかかった公園で遊ぶ子供たちの表情とか?
 ・
 ・
 ・
やはり悩み尽きぬ。


ずいぶんと長いこと付き合っているこのコーナーであるが、
人から見れば駄文であったとしても、自分のなかでのウエイトは決して軽くない。
出版社のサイトだからとか、雑誌のブランドを背負っているからとか、
もっともらしいことで逃げている部分もあるのかも知れないけれど。


「もっとラクに構えていいと思いますよ」
これも小笠原からのアドバイスだ。
だが、少なくとも情報を生業にしている自分が、
情報を発信するということには責任が生じるわけだし…、うじうじ。
ともかく、このコーナーと自分のつき合いを長くしていくためには、
やはり相当な努力が必要ということだ。


長い前置きとなってしまったが、
現段階での雑誌づくりにおいては、それほどドラマチックな出会いがあるわけでないし、
どちらかというと地味な作業の日々が続く。
企画のための議論であったり、裏を取ったり、資料を揃えたり、
人を捜したりといった、重要ながらも細々した作業ばかりだ。
なので議論したとおりなんらかの切り方で文章をつづっていくのは、悪くはない。


そこでいきなり“死”かよ。
でもね、昭和40年男にとってはどんどん密接なテーマになっていませんか?
実は最近、こんな死に出くわしたんですよ。


1月も下旬に差しかかったこと、1通のハガキが届いた。
聞いたことのない女性が差出人で一瞬戸惑ったが、
宮崎に住む友の女房からだった。


“主人は去年の5月に亡くなりました。生前は大変お世話になりました”


簡単につづられたハガキだった。
宮崎と東京という距離ゆえ、ここ数年は会えずに互いに年賀状のやりとりだけになっていた。
“こっちに来ることがあったら会おう”
と、やはり互いに書き添えていた。
今年、ヤツから年賀状が届かなかったことを
別段気にかけることもなく過ごしていたところに、先のハガキが返事として届いたのだ。


ヤツは昭和37年生まれの3歳年上ではあるが、
かつての職場の同僚だ。
同じ居酒屋で働いていたのである。
俺はバンドでやっていくことを決意し、高校を卒業するとその居酒屋で稼いだ。
ヤツも生涯の仕事を見つけるまでの暫定期間のようなものだった。
そんな腰掛け同士のふたりだったが仕事には一生懸命で
店をよくするための議論を欠かさず、共にぶつかりながらも邁進したすばらしい友だった。
互いの夢に向けて歩み出し、別々の職場となったが
時折会っては議論や意見交換に花を咲かせていた。
が、ヤツが九州に住まいを変えてからは
ほとんど会えずに年賀状友達になってしまっていたのだ。


そこに突然、まったく理解できないことを知らされたわけだ。
悲しさというよりも、まったく飲み込めず、どうにもならなかった。
しばらくの時間を経て、春に九州でイベントの仕事があるから
そのときに焼香に行きたいと手紙を出した。
やがて連絡が入り、詳しいことはうかがったときに聞かせてもらうことにしたのだが、
ガンだったとのこと。


やっぱりヤツは死んだのだ。

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  1. Coo
    Coo
    2010 年 4 月 14 日 11:47

    こんにちは。
    重い話ですが、身近に感じています。
    仕事をし始めたときの先輩方で51歳を迎えた人がいないんですよ。
    それはもう見事に次から次へ。
    自分はあと桜の花が咲くの何回見られるんだろうね、と思ったり。

  2. 編集部員
    編集長

    生きるということが本当にすばらしいと思うことって“なにか”の裏返しだったりします。ケガや病気で苦しんだとか、それこそ身近な人の死だったり、人間とはつくづく愚かなもの。でもだからこそ、頑張れたりもする。ありきたりですが、後悔しない日々をお互いすごしていきたいものですね。

浅草秘密基地 第2回は?

2010 年 4 月 13 日 編集長 コメント 4 件

ジャジャーン。
やってまいりました、月曜日恒例の浅草秘密基地の会場浅草フィガロです。
というわけで、熱気に包まれた会場のレポートをつづります。


先週はね、第1回目ということもあり
シャイでよい子の昭和40年男たちは遠慮してしまった。
今日こそはとのぞんだ第2回目、俺は立ち食いそばをかっ込み7時過ぎに会場に着いた。
見事なほどの激しい雨と、4月にしては珍しいほどの寒さの東京地方である。
しかし、きっと熱き男たちが集結して
熱い熱い議論でこんな夜をぶっ飛ばすことになるのだ。


編集長は今夜も絶好調!

編集長は今夜も絶好調!


開始の8時を待ちながら入念なリハを続ける俺の喉は絶好調だ。
よい子のみんなに最高の歌をプレゼントするのさ。
おっと、フライイングだぜ、さっそく扉が開いたよ。
「いらっしゃい」
そこには前号ライターとして本づくりに参画してくれ、
ライティングはもちろんだがその秀逸な編集テクニックに、
次号からエディターとして絡んでくれることになった(長い紹介だな)金子さんだった。
 「まいどー」
 「今日はたっくさん集まっちゃうよ」
 「ひとまずビールください」
なんてビールが運ばれてくると続けて副編小笠原の登場だ。
店内を見回し苦笑いする。
 「え~っ、またこの3人ですか~」
 「バカ者、縁起でもないこと言うな! まだ8時だろうが!! これからジャカジャカ集まるんだよ!!!」
 「そっ、そっ、そうですよね。ひとまずビールください」
ふたりはグラスを合わせ、宴をスタートさせた。
取り合えず飲み始めてはみたものの…

取り合えず飲み始めてはみたものの…



俺は…、参加者が来るまで酒は呑まずに待つ。
記念すべき一人目と乾杯するのだ。
というわけで先週はこのバーにいながら一滴も呑めないうちに、
傷心を抱えて家路についた。
ふっ、ミネラルウォーターが五臓六腑に染み渡るぜ。


音楽談義に花が咲く。
金子さんは俺なんかよりずっと詳しく、
とくに昨日は国内のミュージシャンの変遷を詳しく解説してもらった。
ここのマスターも相当な音楽通で、かたよりまくった俺なんかより金子さんと話が合う。
それにしても、昭和40年男(彼は39年だが、ここら辺の年代ということで)にとって
音楽というのは大きな存在だなあ。
金子さんはギターもベースもこなすプレイヤーでもあるわけだし。


話はドンドン盛り上がっていくものの、心は時間の経過とともに下がっていく。
来ない、あなたは来ない。
9時を過ぎるとマスターが言った。
 「こんな天気の日は出歩かないから。しょうがないよ」
 「そっ、そっ、そうですよね」
でも俺は、もう少しだけビールのオーダーを引っ張った。
ふっ、ミネラルウォーターが膀胱を刺激するぜ。


10時を過ぎても誰も来ない。
 「こういうのもいいですよ、なんかおもしろい記録じゃないですか。
 大成功に向かっているんですから。ひとつの笑い話ですよ」
おっ、いいこと言うねえ、さすが小笠原。
外を見ると雨は激しさを増していた。
 「マスター、ビールをください」
10時30分、この日をあきらめた瞬間だったが、大成功に向けての乾杯の瞬間だった。
3人の大バカ者が2週連続で『昭和40年男』の成功を夢見て語っているのだ。
このビールがまずいわけはない。

編集長「今日もダメか…」

編集長「今日もダメか…」

金子「きっと雨のせいですよ」

金子「きっと雨のせいですよ」

マスター「寒かったしさ」

マスター「寒かったしさ」




来週こそ、きっとくる。
じつはね、来週月曜日の4月19日は俺にとって特別な日なのだ。
この日に盛大なイベントになれば、この2週のことを笑い飛ばし、あっぱれになれるのさ。
待ってるよー、みんな!!!!!!!

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  1. ぬいぬ
    ぬいぬ
    2010 年 4 月 13 日 20:55

    ごめんなさい編集長。8時まで迷ってたんですけど…行きたかったんですけど、雨が…。

  2. 編集部員
    編集長

    ホント? その気持ちがうれしいッス、十分ッス、涙ッス。でもね、2週連続で誰も来てもらえなかったというのはちょっぴり残念だけど、もともと“お店”みたいなモノにしようと思っていたんですよ。「あーあ、ドタキャンくらったよ。しゃあない、浅草秘密基地でも顔出すか」って感じのモノになればいいなと。だから逆に「この雨じゃ、かったりいな」も全然ありです。ともかくメッセージありがとう。

  3. bluekim
    bluekim
    2010 年 4 月 14 日 10:27

    ♪あ し〜たが あるっ あし〜たがあるっ あし〜たがあ〜るぅ〜さぁ〜
    それでは、フィガロ様へ向かう前に、上野〜浅草をめぐる観光ツアーを企画しましょう(途中立ち呑みつき)。
    みなさん月曜日は有給よろしく!

  4. 編集部員
    編集長

    いい歌ですよね。カラオケでよくやります。上野~浅草あたりってホントすばらしい。生まれが三ノ輪そばなので、どっちも同じくらいの距離で今日はどうする?ってノリで遊びに行ってました。みなさん有給よろしく(笑)。

肝臓をいたわろう。

2010 年 4 月 12 日 編集長 コメント募集中


『昭和40年男』編集部に安穏の日などない(ホントか?)。
すでに6月11日発売号の編集会議はスタートしているのだ。
今回も多数の特集を全力でつくり、みなさんをお腹いっぱいにするのだ。


予告にも入れたとおり、健康シリーズでは“肝臓”を取り上げる。
ここは毎号、副編の小笠原が担当するのだが、
毎回驚愕の事実を楽しそうに俺に言う。
たちが悪いことに、いつもお前はもうダメだとの脅しをこめる。
「やっぱり酒はよくないんですよ」
うん、キチンと晩酌するようになった日からもうずいぶんと経つし、
深酒は得意技のひとつだ。
「でもさ、つぶれないし強いから大丈夫」
「強い弱いはぜ~ん(引っ張って)ぜん、関係ないッス。量の問題なんですよ。まっ、まだ下調べの段階ですが」
と、こんな具合だ。


雑誌というのはつくる人間の個性がにじみ出てくるものだと思っている。
なので『昭和40年男』を読んで、
きっと俺が大酒呑みであることはなんとなくばれていると思う。
でね、そんなニオイがたくさん出ている雑誌が好きなんだよね。
…と、逃げたところでどうにもならない。


この日はまだ方向性程度の編集会議だったので
核心に迫る恐ろしいことは聞けていないが、
ひょっとしたら第3号ができた瞬間に酒を断ているかもしれない。
さあ、あなたならどうする?

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浅草秘密基地だよ。

2010 年 4 月 11 日 編集長 コメント 2 件

明日は第2回『浅草秘密基地』の開催だ。
ウン、先週の日曜日はどんな仲間と会えるかが楽しみで仕方なかったのだが、
こんな結果だった。
でも大丈夫。
きっとシャイで義理人情あふれる昭和40年男たちのことだから、
「第1回目は相当な参加者でごった返しているだろう」
と心配してのことだろう。
だからね、明日は遠慮しないでいいのでバンバン参加してください。


浅草という場所は観光地としては立派なところだけど、
夜は意外なほど閑散としている。
そんな街のギャップを感じながら、
浅草寺あたりをぶらついてから8時を過ぎたらフィガロへGo。
フードも置いてあるけど、ちょっぴり高いから
お腹には少し入れてきた方がいいかもしれません(マスターゴメンなさい)。
せっかくだから老舗の店で軽い食事を取るのもいいでしょう。


つうわけで、明日の夜は浅草に決定。
たっくさんの意見交換と、俺のすばらしい弾き語りで楽しい夜を過ごそうじゃないの。
ねっねっ、みなさんどうぞヨロシク。


なんか、先週誰も来なかったことを引きずっている気がする俺なのさ。

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  1. bluekim
    bluekim
    2010 年 4 月 12 日 10:30

    先週は毎度のごとく酔っぱらってもうしわけありません。今日もおじゃまします。
    みなさんもぜひお立ちよりください! 何なら私と下町ディープめぐり呑みしてから繰り出しますか。

  2. 編集部員
    編集部員

    私、小笠原も行きますよ! お待ちしてますので皆さん、いらしてください。

第2号の制作現場を振り返る。~もったいない精神~

2010 年 4 月 10 日 編集長 コメント募集中

『タメ年のスゴイやつ』(P6~9)に掲載した
杉本哲太さんのインタビュー記事についての現場だより、その2回目である。


ずいぶん長い前置きになったが
俺は杉本哲太さんのインタビューを担当することになった。
めでたしめでたし。


この日の肝は、演じるということへの俺の正直な疑問へと、インタビューをしながら変化していった。
というのもすごく真剣に応えてくれるものだから、
ずいぶんとズケズケと入り込んで、後半には対談に展開していけた。
当初の狙いとは異なるのが、これだから現場は楽しい。
ラッキーだったのはちょうど前日に、彼がナレーターを担当した番組の再放送があって録画したこと。
2月の日の出はまだ遅いこの時期に、
外はもう明るくなっていたのだが、ここでわずかな睡眠を選ぶかビデオを見るかが悩みどころ。
少しでも寝てスッキリとした頭でいくという選択ももちろんあり。
しかも役者としての人生を聞きにいくのに、
ナレーターの仕事だからそれほど重要ではないと判断して、さあ少しでも寝ようとしたのだが…。


こういうときに出てくるのが“もったいない”精神なんだよね。
せっかく違う角度での仕事のビデオがあるのにもったいない。
寝る時間を削れば、もっと杉本さんのことを理解できるかもしれないのにもったいない。
とにかく、いい仕事につなげないともったいない。
こうしてどんどん“もったいない”気分が盛り上がってしまう。
で、結局眠い目をこすりながら見てみると…、これ大正解で、彼の仕事の深さを知った気がした。
タイミングよく言葉を映像に乗せていくリズムがいい。
リズムというより、日本的な“間”に近いかな。


演技という翼をもがれた役者が、
あれだけ演じきれるということを知ったのといないのとでは、
このインタビューはずいぶんと変わっていたと思う。
実際、このインタビュー中にナレーションの印象に残った部分をいうと、
そこにすごくこだわったとの返答をいただけた。
「わかるんものなんですね」と。
偉そうに書いてきたが、準備に費やせる時間も捻出できる量は限られている。
インタビュー時間もこの日2時間越えで付き合ってくれたが、
人生を書かせてもらうには十分とはいえない。
こんな制約というか歯がゆさがつねにつきもので、
そのせいにすればカンタンにどこにでも逃げられる仕事ですよ、俺たちの仕事は。
だからね、少しでも読者のみなさんに突き刺さるものがつくれたらと思って
もがいていなければ、バチがあたるよね。
なにより自分自身が気持ちよくない。


演技について、役者という生き方について実に真剣に応えてくれた。
そしてインタビューでもっとも盛り上がりを見せたのは、
健康診断にいかない酒好きというところかな(笑)。
「俺もあんなもの行きません」と、大いに盛り上がった現場だったのだ。
眼にすごく力があって、また機会があったらその秘密をえぐれるようなインタビューがしたいなあ。
それと、酒を酌み交わしたらきっと楽しいのだろうなと。
いつかチャンスがあればじっくりと語り合いたいものだ。

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第2号の制作現場を振り返る。~権平兄さんの話が聞きたい~

2010 年 4 月 9 日 編集長 コメント募集中

第1号でライオンズの渡辺久信監督を取り上げた連載企画
『タメ年のスゴイやつ』(P6~9)の現場をお届けしよう。


トートツだが、編集長とはいえやっぱり原稿は書きたい。
もちろん何本かは担当しているのだが…。
2月初旬のこと、副編小笠原とこんな会話が繰り広げられた。
 「杉本さん、取材OKが出ました」
 「おっ、やったな。龍馬伝も話題だし巻頭でいこう」
 「誰が書きますか?」
しばし沈黙。
書きたい。
パチパチと性能のよくない頭を動かして計算する。
書きたいが2月9日インタビューという日程はかなりキツイ。
資料を揃えてそれらに目を通して出演しているビデオを見たりという事前の時間と、
録音された2時間のインタビューを文字に起こす作業を経て、
最終的に美しい(ホントか?)原稿にしていくというのは
実作業としてかなりの時間が食われる。


説明しよう。
編集長という仕事は〆切が近づけば近づくほど細々とした作業が増えていく。
全体をまとめ上げるクリエイティブワークが山積みになるのだ。
と言えばカッコはイイが、実のところ雑用めいたことが次から次へと押し寄せてくる。
休みがないのはもちろんで、睡眠時間ももう削れないところに来ている。
作業のスピードで時間を捻出しなければならないというひどい状態なのだが
“書きたい”気持ちが強いライターの自分と、
ここからの作業にできるだけ集中して
雑誌全体のクオリティをあげていきたいという編集長の自分が、
とっくみあいで格闘している。


司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の大ファンで
バイク雑誌で龍馬の軌跡をめぐる旅企画を実現させた俺としては、
その兄を演じる男にもちろん興味があるし、現場のテンションなども聞きたい。
 「やりたいなぁ」
 「やっちゃえばいいじゃないですか」
と、決して変態な会話でないことを断っておく。
 「巻頭ですし、やりましょうよ」
俺の中の編集長はOKを出してくれない。
当然でしょう。すでに作業は遅れているし、
引っかかっているのがこの時点で広告がゼロになることがほぼ見えてきていたことだ。
すると、これまた以前にもふれたが、
表紙まわりや企画と企画の間に細心の注意というか、作り込みが要求される。
目立つ場所だからね。
これらの原稿もつくらなければならず、
これは想定外のやっかいな作業が積み増しになったことになるのだ。
でもね、現場好きの俺が勝っちゃうんですよ。
 「うん。やるよ、まかせとき」
 「そうですか、お願いします」
これが俺の弱点でもあるし、強みでもある。
(と、言い聞かせている。だってさ、こういう自分のやり方が吉と出るか凶と出るかなんて、神様だってわからないさ)


『昭和40年男』で書くときの担当編集は、
副編の小笠原ともうひとり社内の人間に依頼している。
2人の赤入れを真剣に聞き、最大限踏ん張ることを自分に課している。
いつも「俺が現場やるときは、意見をハッキリと聞かせてくれ」とお願いしているものだから、
ホントにズケズケと言ってくれる。
でもね、こうしたプレッシャーというか重石がなくなってしまうと、
絶対にいいものが作れなくなる。
わがままで自分よがりな仕事が増えていくと、
いつの間にか最大のお客様である読者とずれてきてしまうから。
客観的に見てくれる人間の赤入れを受け止めて、
もちろん、ただ受け入れるわけじゃなくキチンと咀嚼して飲み込むことを心がけているつもりだ。


こんなことをここで書くのは買ってくれた読者のみなさんには申し訳ない話かもしれないけど、
まだまだ俺発展途上なものなので努力は怠りたくないからだ。
雑誌ができると必ず見ていただく先輩たちも存在する。
師匠みたいな人たちかな。
いつも真剣に意見をくれ、レベルの高い評に感心させられるほどの、
俺にとってはかけがいのないアドバイザーたちだね。
雑誌の完成度という意味ではこうした方々がいて、
現場には現場のお目付役がそれぞれにいることは、ホント幸せなことです。


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第2号の制作現場を振り返る。~カッチョイイぜ、兄貴~

2010 年 4 月 8 日 編集長 コメント募集中


巻末ンタビューの宇崎竜童さんの現場便りをお届けしたい。


この企画は創刊号で特集した『10年後の自分計画』の中で、
ちょうど10歳上の人のインタビューを掲載したところ評判がよかった。
そこで、あえて年齢を縛らず、僕らにとって兄貴分的な存在のみなさんに
話を聞くというインタビューを連載で始めることにした企画だ。


何人かの候補をリストアップして取材を申し込んでみたものの、
創刊号に続いて、またしても断られまくり(泣)。
そんななか、運よく宇崎さんが快く引き受けてくれたわけだが、
これが巻頭で特集した昭和50年とうまいリンクになった。
昭和50年は『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』が大ヒットした年だったのだ。
ちょっと間抜けではあるがこれは偶然で…、うん、ラッキーも実力のうちだ(苦)。


実は2年ほど前にもインタビューさせていただいたことがあり、
再会ということになった。
 「○○の際にお世話になったものです」
 「あー、あのときの」
よかった。なんとなくではあるが覚えていてくれて、
和やかにインタビューがスタートした。
この現場での俺の立ち位置はまさに編集長で、
現場にはライター、カメラマン、編集担当者として副編の小笠原までも現場にいるという
『昭和40年男』にとってはかなり豪華な布陣となったのだ。
もっともシンプルなのは、自分で写真撮って、編集して、書くというひとり取材だから
これに比べると豪華さがわかるだろう。
ま、そんな取材も実は好きだったりするのだけど。


宇崎さんはサービス精神が旺盛な方で、ドンドン笑いにもっていってくれた。
気遣いの細やかな方だなあという印象である。
記事冒頭の玉音放送が流れたから生んでもいいというくだりでも、
そんな日本がすごいことになってるときに両親もよくやったよねぇと、
まるで他人事のように笑わせてくれる。
どの話もキチンと落としてくれるから、2時間の取材中はずっと笑いが絶えなかった。


この日、俺にグッときたのは
20年近い先輩が、いまだにもがき苦しんで曲を生みだしていること、
つくりにこだわっていることだ。
これだけ名曲の数々を生みだしてきて、まだ足りないと言う。
完全無欠の名曲を生み出そうと努力している姿勢に感動しないわけがない。
いやあ、スゴイ人はドンドンすごくなるということを、また教えてもらったよ。
姿勢なんだよね。


俺にとって宇崎さんの曲というと、
P15の小学4年生通信で書いたとおり
『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』で迷子になったという、アホな経験がある。
友達3人で土曜日の休み時間に突如盛り上がったのだ。
「今日、ダウンタウンが歌っている横浜に行ってみようぜ」と。
俺の育った東京荒川区という下町とは
まったく違う世界なのだとイメージができあがっていた。
髪の長い女がウジャウジャいて、異国情緒あふれていて、
すっごくオシャレで、なんとなく不良ぽい街。
宇崎さんみたいな悪そうでカッコイイ人もウジャウジャいて、
それは小学4年生の俺たちには刺激が詰まりまくったパラダイスに思えたのだよ。


横浜を目指して電車に乗った。
これは少年たちにとって大いなる旅だったのだ。
が、行ってみるとイメージとまったく異なる、おもしろくも何ともない街並みにビックリした。
横浜駅前のデパートの屋上でゲームをやりながら「どうする?」を繰り返し、
このままじゃつまらないからと歩こうとズンズン行ったら元に戻れなくなり、
交番に駆け込んだという情けない話だ。
当時習っていた剣道の稽古をさぼり、
真っ暗になって帰った俺はこっぴどくおふくろにしかられたのさ、トホホ。
でもね、鮮明に残っているとってもいい想い出だよ。


ダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンドってどこかコミカルに見ていた印象があったよね。
『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』もそうだし『スモーキン・ブギ』とか『カッコマン・ブギ』とかね。
それをぶっ飛ばしたのが『身も心も』と『サクセス』だった。
いまだにしょっちゅうカラオケで歌うくらい(笑)。
とくに『身も心も』は弾き語りでもたまに演るくらいだからね。


“愛とは呼ばずあなたに いとしいそう打ち明けよう”
うん、宇崎さんのすばらしさは、阿木燿子さんという天才と手を組んだことも大きな要素だね。
もしそうでなければ、山口百恵さんの名曲の数々はどうなっていたことか?
引きつけあって二人三脚で歩んできた人生なんだよね。
実は2人がよく行く飲食店に友達がいて
インタビューの事前調査をしておいた。
宇崎さんは意外なことに呑まないそうで、
でも、よく呑む阿木さんとふたりでいつもすっげー楽しそうなんだってさ。
いい夫婦なんですなあ、うらやましい。


宇崎さん話のエピローグ。
実はこのページには驚愕の事実が隠されている。
以前このコーナーでふれた広告スペースの大スター、
表3がぬぁんと宇崎さんの記事で埋められているじゃないか。
おー、スゲー。
この表まわりと呼ばれる4ページ(表紙からつながる1枚の紙)は、
印刷にとりかかるのが1日早い。
ということで、1日早く終わらせなければならず、
実は大変な思いをしているのだ(って、たったの1日で騒ぐなって?)。
グチャグチャに追い込んでいる編集部にとってやっかいなページだったことはいうまでもなく、
よい子は絶対にマネしちゃいけない危険な技だということを付け加えておこう。

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第2号の制作現場を振り返る。~漫画家と担当編集の現場回想~

2010 年 4 月 7 日 編集長 コメント募集中


この3月に発行した第二号の巻頭特集では
昭和40年男が過ごした昭和50年(小学校4年生の頃)を振り返る企画を掲載した。
(この企画は連載します。次号以降もおもしろい年を取り上げるのでご期待ください)
この中で漫画誌をフォーカスして取り上げたいという意見が出て
当時もっとも元気だった週刊少年チャピオンの人気の秘密を探ろうということに。


発行元である秋田書店さんに相談すると快く引き受けてくれ、
取材には当時編集部員としてがんばっていた山田さん(現編集長代理)が担当してくださった。
(この方メチャメチャいい人で、いろいろ教えていただきました)
顔は出したくないということでメインカットの背中で登場してくれている方だ。


取材は当時山田さんが担当していた漫画家と一緒にインタビューを、
ということになって紹介していただいたのが
『750ライダー』の著者である石井いさみ先生である。
『750ライダー』といえば、ホンダCB750Fourを駆る青年・早川光の青春を描いた大ヒットマンガだ。
これも昭和50年にスタートした作品である。


インタビューの現場ではいろいろな話に花が咲いたのだが、
2人に話を聞いていて、マンガというのは本当に想像通りの世界だったことを知った。
徹夜で原稿を待つという仕事に、どんな意味があるのか?
こういった殺伐とした世の中になってしまうと、
そんな大切なことの答えが出せなくなってくるのだろうな。
まず、そんなことを強く感じさせられた、かつてのコンビの会話だった。


作家を育てる編集サイドの器量とか熱量に対して
貧乏だけど志の高い作家たちというすばらしい関係が、
ああいうテンションの高い作品たちを生みだしていった…
そんな現場の話を聞けたことはうれしい。


いい時代と片づけてしまうにはもったいない。
人と人が真剣に顔をつきあわせるからできるものをもう一度見つめ直して、
そこに今のインフラとかシステムとかが絡んでいけば、
きっといい方向に行くのではないだろうか。
なんて、この日の担当は撮影だったので、インタビューの内容を楽しめる立場だ。


インタビューで強く印象に残ったのは、
本誌のショートインタビューに掲載したとおり“なにも起きない一日”というセリフ。
高校生がバイクに乗るという、憧れが強かったせいか
刺激的なマンガと思っていたけど、そんな想いで書いていたのかと。
「委員長、さぶいですね」
うーん、確かにこのセリフはなにも起きない1日を真剣に考えてつくり込んであるなぁ。


取材は、先生の仕事場のとなりにあったなにげない喫茶店で行なわれた。
まるであのマスターが出てきそうな、当時にタイムスリップしそうな店だった。
まるでなにも起きない1日を過ごせそうな、そんな店だった。

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第2号の制作現場を振り返る。~そして戦い続ける~

2010 年 4 月 6 日 編集長 コメント募集中


第2号の制作現場での出来事や想いなんぞを綴っている。
今回は第1特集である“タメ年たちのリアル”に掲載した
西田さん(P68・69)の現場から、第4回目。


取材途中に涙をこぼし始めた西田さん。
このときのヤマハが用意してくれた広い部屋には、
長い沈黙の時間が生まれた。
俺も担当者として同席した広報マン(彼も昭和40年男)も
言葉を発せずにいた。
涙が頬を伝っていく姿を、うらやましく思いながら見ているだけだった。


少し落ち着いた西田さんに、ポツポツと質問を続けていった。
市販車で世界最高レベルの走りを提供するカテゴリーでの開発現場の話だ。
技術の進化はすさまじく、その中でよそと競争しながら最高のものを作る。
最高とはすなわち性能であって、
嗜好性とかテイストとか、
そんな曖昧なもので逃げられないカテゴリーなのである。


たとえばアメリカンスタイルのバイクだと、
デザインや味付けが大きな要素になるから
失敗しても技術者にかかってくる責任は分散されたうえでのことになる。
だが、このカテゴリーでは
ユーザーもマスコミもただ一点、性能だけを追求してくるのだ。
そこでコンビを組んだのがエンジン開発者であり、2つ下の藤原さんだった。
年齢限定の雑誌だからほとんど登場させられないと伝えたのだが、
自分の仕事史を語るうえで彼は欠かせないということでの同席であった。
そして彼も西田さん同様、同じマシンの同じ年式の話で泣いた。


車体とエンジンの開発は非常に密接なもので、
とくにこういった性能主義のモデルではそうである。
寝る間を惜しんでの作業を二人三脚で進めていった。
この辺もうらやましい。
信頼できる技術者同士がお互いの技術を引き出し合いながら、
世界の最高峰を目指し達成したのだから。
「戦友ですね」と俺は言った。


今は異なる部署に移り、今も2人は闘っている。
その姿はすがすがしくあり、
やっぱり負けちゃいられねえと意識が高まった現場なのであった。

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