最終日。

2010 年 6 月 3 日 編集長 コメント 4 件

最後の闘い
本日、編集作業の最終日だ。
ゼイゼイ。
第3号の制作現場もいよいよカウントダウンのはずなのだが、
まだ原稿を書いている人間がいる。
こらーっ、なにやっとんじゃい!!
なんて俺もこの原稿を書いていたりするけどね。
みんな疲労と寝不足でフラフラになりながら、
それでも少しずつ作業を前進させているといった状況だ。


なんど迎えても〆切ってヤツはスゴイ状況になるけど、
これが決まっているから踏ん張れるのだ。
 「北村君、好きなだけ時間をかけていいから、いいものを作ってくれよ」
こんな発注をされたらフィニッシュしないまま、いつまでもいつまでも流れていくだろうな。
だってね、原稿なんざ見直していると何度でもなおしたくなるし、
レイアウトだってもしかしたらって考え込んでしまう。
見直しているうちに、企画そのものに飽きてしまうなんてこともあるだろうし。
ギュッと凝縮された時間の中で、強い方向性に引っ張っていく力が生まれてミラクルをおこすのだろう。
〆切とはそんな集中力の源でもあるのだ。
と、ぐたぐた書いていながらにして、ものすごく焦っている自分が可笑しいな。


最新号が皆さんの街に届くまで後8日だ。
6月11日の発売日を楽しみにしていて頂戴。
というこことで今日はこの辺でサイナラサイナラ。

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  1. こうぞ
    こうぞ
    2010 年 6 月 4 日 00:50

    最終日ですかー。がんばれー。

  2. 編集部員
    編集長

    ありがとうございます。なんだかたった一言でも繋がっている読者さんがいるというだけで、睡眠不足がぶっ飛びますよ。がんばりまーす。

  3. 2010 年 6 月 4 日 11:18

    お疲れさまです。

    締切日、深夜の妙なハイテンションモードが大好きです。
    私も10年ほど前に、3日間会社に泊まったことがありました(笑)

    発売を楽しみにしています。

  4. 編集部員
    編集長

    すみません、返事が遅れました。元同業者ということでしょうか? 今回の泊まりは3日間どころじゃありませんでしたよ(泣)。次号は泊まりなき〆切を目指すのじゃー、って無理だろうな。

この~、たぬきがっ!

2010 年 6 月 2 日 編集長 コメント募集中


昨日の昼は、カツ丼が食いたくなった。
たまに猛烈に食いたくなるでしょ。
〆切を迎えた脳からなんの物質が分泌されているかはわからんが、
なんだか食うことだけが救ってくれる気がするのだ。
そば屋のセットでガツンといきたい。
「冷やしたぬきとカツ丼のセット、そば大盛りでお願いします」
よくある遠慮がちの量でなく、ここはキチンと1人前のそばに
やや小振りではあるが、1枚のカツを使ったカツ丼が仲良く並ぶ。
これでそばを大盛りにすると、大満足なのさ。


出てきた出てきた、会いたかったよカツ丼ちゃん。
そしてそばを口にして我思う。
3食そばが続いてる。
しかも、全部たぬきだ。


昨日の昼はこの街で一番気に入っているそば屋、
布屋更科で冷やしたぬき大盛りをいただき、
そのまま吉野家へとはしごして、並つゆだく卵とよどみない動きでかっ込んだ。
夜は浅草秘密基地に行く前に腹ごしらえと、
なにげなくもう一軒のこの街のお気に入りである、更科に入った。
店名は一緒だが、前者は老舗の江戸そばの店で後者は大衆店である。
ここは普通にうまいうえ、量が大満足なのである。
少し気温が下がったためか、なにげなく選んだのは温かいたぬきそばの大盛りだった。
このとき、とくに2食続いたことを意識することなく、美味しくいただいた。


浅草秘密基地終了後の深夜に事務所に戻って原稿を書き、
朝方寝袋にもぐり込み、始業ギリギリまで寝ていたから朝食は抜きで、
おおいに減った腹がカツ丼を求めたのだ。
と、こういう流れで冒頭に戻る。
いただきま~す。
うっ、待てよ、夕べはたぬきそばだったなあ。
でも今日は冷やしだからいいか。
うっ、待てよ、昨日の昼は冷やしたぬきだったなあ。
おいしくいただいてはいるものの、ちょっぴり切ない気分の俺なのさ。


昔々、関西の方から「天かすで金取るんか、東京は」とお叱りを受けたことがあるが、
エビの香りがかすかにする揚げ玉がそば出汁に溶けたのは最高にごちそうなんだけどなあ。
揚げ油にごま油を足しているそば屋さんだとなおイイね。
それにしても〆切間際で究極の精神状態のなかだからかな?
3食連続で選んでいたのは、大好きだからなのかな。
ああ、たぬきそば。


参考。
東京港区大門にほど近い布屋更科は老舗さんで、
そば職人マンガ“そばもん”にちょくちょく出ているよ。
若干高めではあるが、最近のブームで高級料理なっちゃったお調子者そば屋とはひと味違う、
庶民的な江戸そばを貫いているので、お近くに来た際にはぜひ立ち寄ってみてください。

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浅草秘密基地、大盛況!!

2010 年 6 月 1 日 編集長 コメント 2 件

カンペーイ!

4月から2ヶ月間続けてきた“浅草秘密基地”を総括しよう。
祭日を除いて昨日まで計8回を開催して、
来場者ゼロがぬぁんと5回もある。
 「浅草っていう場所かねえ(マスター)」
 「ただ呑むじゃダメなんですよ、コンテンツをなにか入れ込んでいかないと(副編小笠原)」
 「俺の歌じゃーダメだってのかい(もちろん俺)」
 「いやあ、そうは言ってないですけど、たとえば懐かしい歌をたくさん仕込むとか、キャンディーズとかですよ(副編小笠原)」
 「んなもん聴くのはいいけど歌えるか!!」
 「みんな意外とシャイなんじゃないかな(スーパー編集金子)」
なんて会話をしながら、あーでもないこーでもないと繰り返している時間の方が圧倒的に多い。


なんとなくふらっと寄れる空間にしたくて
ここのマスターに頼んで毎週月曜を提供してもらっている。
通常500円の席料を無料にしてくれてもいるのだ。
んで、タメ年同士、または近い時代の空気を吸った世代同士が
想い出話を共有したり、現在の悩みや将来についてアレコレと話し合いたいなと。
お互いがリラックスして過ごせるサロンになったらいいなと思っている。
そこにしっとりとした(ウソ)俺の歌が流れるのさ。


んで、昨日は来場者が1人。
編集部は〆切のドタバタで、迎え入れたのは俺と金子の2人なのでこのような絵になった。
千葉の市川から来てくれた、伊藤好勝さんだ。
 「仕事が早く終わったもので」
と、8時を回ったところであらわれた。
懐かしい話、とくにクルマに関しては編集部金子と大盛り上がりで、
伊藤さんもスカイラインにず~っと20年以上乗り続けているんですと。
ふむふむ。
あとね、プラモデルだね。
 「ガンダムってとおっていないよね」
 「数名、狂ったように盛り上がっているヤツはいたけどね」
ふむふむ、やっぱり同じ現象なのだ。
 「校内暴力、ひどかったよねー」
 「仮面ライダーカードのスナック棄ててたよねー」
 「ミラーマンの主題歌、いまでも歌えるよ」
合唱。


想い出ばかりじゃない。
こんな企画をやったらいいとかまさにラフな編集会議であり、
互いに傷のなめあいもあったりと、楽しい時間はアッという間に過ぎていった。
〆切が気になり、あまり酒には手を付けられなかったが
来週は印刷所に投げ込んだあとなんで、はっちゃけるぞー。


シャイなみなさん、ぜひ気軽にお越しください。
8時から11時までは、必ずいるようにしてます。

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  1. 2010 年 6 月 3 日 17:12

    ご無沙汰しています。
    大阪のoguraです。

    定期発刊おめでとうございます!
    もう、データ入稿は済みましたか?
    お疲れ様でした!

    来週は秋葉原へ出張なので、時間を作って秘密倶楽部?。。。笑)に参加したいです。

  2. 編集部員
    編集部員

    データ入稿は今夜がヤマです。ホント申し訳ない進行になって肩身が狭いッス。
    浅草秘密基地ですっ(笑)。ぜひお越しください、お待ちしてます。

締め切りの日々。

2010 年 5 月 31 日 編集長 コメント募集中


さあ、みんなどんどん仕上げてよー。
もうお尻に火がついているよー。
発売日が11日で、問屋さんへの納品日が中2日の8日で
印刷時間と印刷所に突っ込むためのデータを仕上げる時間を考えると
うん、もう時間はほとんどない。
社内外の人たちがみんなそれぞれの原稿と闘ってくれている。
ありがとう、がんばろー。


職柄上仕方ないが、俺は実に様々な仕事を兼務している。
原稿に集中したいこのタイミングだとかなり苦しく感じることが多い。
午前中は原稿を書く手がよく動くので
締め切り時は極力仕事を入れないようにしている。
だが、この時間帯は諸々の連絡ごとや打ち合わせ電話が多い時間帯でもある。
セールスの方々も熱心な時間帯である。
よーし、乗ってきたー、と書き進めていると
「○○さんからお電話です」とか
「アポは取っていないそうですが、○○さんがみえてます」と。
断るわけにもいかないからトホホと対応する。
とくに5月は新人研修なんだろうね、つぶらな瞳で
「名刺交換だけでもさせてください」
なんて回ってくる営業マンの多いこと。
わかるんですけど、こっちゃー締め切りだっての。
キレるわけにはいかないから対応していると、あっという間に午後に突入だ。


夕方の4時頃までは原稿を書く手は遅くなる。
この時間帯は、たまっている仕事を片付けるのだ。
経理関係の仕事や打ち合わせに出かける。
書類のチェックなんかもこの時間帯に片付ける。
社内の打ち合わせがある場合は夕方にして、
晩飯を食った後の7時くらいから朝方までが勝負だ。
始業が9時なんで5時までには寝るようにしているが、
この時間帯は外からの連絡も雑誌にまつわることがほとんどで、
集中力が途切れることなくがんばれる。
こうして少しずつ前進させていき、なんとか発売日には書店に並ぶのだ。


酒が大好きな俺であるが、この時期は一滴も呑まない。
いや、呑めないといった方がいいか(今日は浅草秘密基地だけどね)。
何日も続く、究極の休肝日を過ごすことになるのだ、あー健康(?)。
でね、無事すべてを入稿して呑むビールは
初めて呑んだときの味を思い出すのですよ。
これがたまらん。
次の雑誌づくりを考えながら、
そして今回の仕事を振り返りながら呑むビールは毎度大きな感動を運んでくる。


と、その日をイメージして今日もがんばろうと自分に言い聞かせているのでした。

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自分の写真。

2010 年 5 月 30 日 編集長 コメント 2 件


チャリンコ企画と小型船舶企画で自分の写真をいやというほど見せられている。
見ながら原稿を書いている。
2次元に封じ込められるというのは残酷なもので
どう見てもおっさんだし、どう見てもカッコ悪い。
ふーっ、とため息をついてばかりいるから、原稿を書く手もあまりスムースでない。
ふーっ。


役者さんやミュージシャンの取材現場で思う。
通常インタビューを先にやって、その後にフォトセッションとなることが多い。
みんなポーズと表情とかを持っていて、カッチリ決めるのだ。
1枚切ると次のポーズ、また次と流れるように作っていく。
手がね、さりげなくまた大胆に動くのですよ。
そんな仕草されたら俺惚れちゃうよってね。
3次元の中で見ているとちょっとやり過ぎかなと思うことが、
2次元に封じ込められるとさりげなく仕上がっているからあら不思議ってね。
みんな自分の写り方を研究しているんだねえ。


バイクの走行シーンを撮影するときも
「もうちょっと倒し込んでください」
とかね、注文するんですよ。
んな倒して走らねーよってくらいでも、写真としてはちょうどよかったりする。


そんな現場を長年見続けてきたのに、自分でやってみるとこうだものなあ。
なんだか情けなくもなるが、タメ年本としてはリアリティだけはあると思うよ。
普通にカッコ悪いおっさんという意味でね。
そんな原稿を手放すのも、今日いっぱいだな。
さっ、書いた書いた。

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  1. 風親父
    風親父
    2010 年 5 月 30 日 08:48

    毎度、風親父です。
    今日は朝早く目が覚めたので「編集長のつぶやき」を最後(最初?)まで見せて頂きました。
    とっても近い感性にさすが「1960年世代」(かってに言い換えて申し訳ないです)と感動するとともに、よく似た経験をされていることに驚きました。
    詳しいことは割愛させて頂きますが、ますます楽しみな HP・雑誌になりました。
    ちなみに当方も小型船舶免許を持っています、仕事関係で昭和の時代に取らせてもらった「4級」がいつの間にか「2級」になり、さらに「特殊」「特定(車で言うところの2種免許)」までついています。
    更新講習よりもステップアップの試験が安かったので1級にステップアップしました。
    欲しくて取った免許ではないのであまり使ってないですが、と言うと欲しくて取った方々には怒られますが。
    先日自動車の免許を更新したら今までの「普通免許」が「中型免許」になっていて、何の免許にしても早く取った方が得と言うのを実感しています。

  2. 編集部員
    編集長

    毎度どうもです。全部読まれたのですか? うれしいやらくすぐったいやら。意外と船舶免許を持っている方多いのですよ、自分でチャレンジしてみて思いました。次号で結果発表です。

俺たちの使命。

2010 年 5 月 29 日 編集長 コメント 4 件

いやあ、鳩山さん、困りましたなあ。
5月中と言ったからこのタイミングでやっつけたのですか?
大マスコミによる県民感情の取り上げ方にもかなり偏りがあるようで、
本来なら取材にすっ飛んでいきたい。
『昭和40年男』では、ある題材に鋭く切り込んでいくジャーナルページも作るべきだと思っている。
とくに今回の問題は紙媒体のよさがもっとも出る問題だもの。


正直な話、まだ走り出したばかりの雑誌に予算は少なく
やりたいことをすべて実現できない悔しさもある。
でも、それは産みの苦しみであって決してネガティブな気持ちではない。
新しいことを少しずつ開拓していくワクワクする感じも味わっているし、
事実、いろんなトライも少しずつだができている。


今回の夏特集で、戦争体験者の取材ができた。
東京空襲と広島の原爆、2人の被災者である。
雑誌として、また著者たちのイデオロギーは加えず、
聞いたことを次世代以降に語り継がれるような記録ページにしようというもので、
連載も視野に入れている。
なんて、自分としてはとてもやりがいのあるページを入れることができたのだ。
雑誌がたくさん売れて、広告もドバドバ入って、
予算が少しずつ増えて新しい企画にどんどんチャレンジできる。
いいスパイラルができてくればとがんばっている今の段階は
ホント負け惜しみでなく楽しい日々だ。


そして冒頭に戻るよ。
自民党の安部さんの時代あたりから、我が国の政治機能は低下の一途である。
民主党だけが悪いわけでない。
国民感情対策に政府が踊らされていて、
まともに仕事ができなくなっているというかわいそうな面もある。
あおり立てるようにワイドショー化された報道番組も、
ある意味政治機能低下の一役を買っているように思えてならない。


今、最重要課題として取り組まなければならないのは、外交でしょう。
これほど緊張感がある世界情勢のまっただ中で、
外交能力が著しく低下しているというか、
仕事ができていない状態なのはかなりヤバい。
北朝鮮はお隣ですよ。
そこに鳩山さんがベクトルの外れた発言を覆いかぶせていく。
まずいよね。


国内のことでいったら、少子高齢化の中での将来を見据えた
教育水準の向上でしょう、今すぐやらないといかんのは。
俺たちの時代のように、どこまでも日本が登っていく時代だったら、
教育なんざ少々軽視していてもどうにかなった。
事実、どうにかなっていたけど、これからはそうはいかないものね。
俺たちだってもっともっと働かないといかんようになってきたし。


少々わがままなお願いといえば、景気対策もしっかりやってほしいですな。
という3点が、機能低下している政府のおかげで、どうも逆行してしまっている。
その現場をキチンと『昭和40年男』たちに伝えて、
本質を見い出してもらって社会に役立ちたい。
ぬぁんてことを思っている今日この頃っす。


くどいようだがまだまだ予算のない俺たちなんで
今はみんなの声が助けてくれるとも思っている。
沖縄の皆さん、リアルな声をぜひ編集部に届けてください。
全国の皆さん、一緒にジャーナルしましょう!!

カテゴリー: 編集長のつぶやき タグ:
  1. Coo
    Coo
    2010 年 5 月 29 日 14:21

    ダーティペアでしたっけ? 同じ話を相対する立場でそれぞれ書くと、それぞれ正義のために闘ってるようになってたのは。人の目を逸らせるという意味では良い仕事してるのかもしれません。ろくに審議もしないで強行採決で法律通し続けてますもんね。彼のおかげで、グルーピーとかスクレーピーなんて単語を思い出しました。

    終戦間際~終戦後の新聞を見てみたことがありました。「紫外線が強いだけで威力はなく、物陰に隠れていれば問題ない」という新聞もあれば、同じ日にそれを「非人道的な原子爆弾」と書いていたものもありました。後から見ればどちらが正しい内容かも分かるし、報道管制下では前者が従った方、後者は記載は正しいが別の意図があったかもなんて思ったりもしますが、オンタイムだと何が本当か見極めるのが難しいですね。沖縄に基地が集中してるというけれど、その基地のカウントに横須賀、厚木、岩国みたいな共用基地を入れないことでかさ上げしてたり、唯一の地上戦の悲劇みたいな言い方をするとき、広島長崎の原爆や東京大空襲のような爆撃は無視してたり、恣意的なのが多すぎます。「もう知らん、お前とは別れる」と言わないとふんで人を振り回す性悪女みたいなのが目立ち、地道にやってる人は声高に言うこともないしそっとしておいて欲しいってのがバランス取るのを難しくしていますね。

    資産のある層は将来不安で使わない、若い子は勉強しようが何をしようが将来に繋がるとは思えないと言い、そして自分も歳を取るのを忘れて年寄りを優遇しすぎだと年寄り(と何十年後かの自分)の将来を不安にすると、無限ループに入ってるように思います。上杉鷹山ではありませんが、まずは自力で、無理ならご近所で協力して、それでもだめなときだけ国が手を貸すといったところで、「政府がなんとかせーや」はナシではないかと思ったりします。

  2. 編集部員
    編集長

    ありがとうございます。ホント“政府がなんとかせーや”はだらしなく思います。コメントしていただいた通り、まずは自分たちのコミニティを自らが必死になって前進させること。その連鎖がいい地域をつくり、いい国づくりにつながり、そこにすばらしい政治家たちが立ち上がり仕事にあたる。そんな理想を実現するのが困難なこととは思えないのですよ。がんばりましょう、俺たち世代。

  3. 風親父
    風親父
    2010 年 5 月 29 日 15:25

    全く、ここ数代の総理大臣ときたらボンボンばかりで、やはり変革期・動乱期にはガッツのあるハングリー精神溢れる総理大臣がグイグイ引っ張っていく必要があるのかもしれません。
    「日本丸」沈没へのカウントダウンが始まっているような気がします。
    そうそう、先日「昭和40年男」配達されまして、じっくりと読ませてもらいました。
    今までの雑誌と違いピンポイントに一世代をねらった雑誌と言うことで、5年違いの「昭和35年男」としてははまってしまいました。
    以前「ALWAYS 3丁目の夕日」という映画、現実には昭和25~27年生まれの方々の映画でしたが、ノスタルジーにどっぷりとつかったように、時間を忘れて何度も読み返しました。
    勢いで定期購読してしまいました、5年違いですが「読者宣言」します。
    近頃「風まかせ」「タンデムスタイル」「スクーターデイズ」と貴社の雑誌を中心に読んでいる風親父でした。
    次回「ラブジ」での再会を楽しみにしています。

  4. 編集部員
    編集長

    読者宣言ですか、なんか初めて聞いた言葉で、スゲーうれしいです。ありがとうございます。「日本丸」の沈没は、若者たちも感じ取っているようで、でもなにをしたらいいのか迷走しているようです。だから俺たちががんばらなくちゃ。日本の中間管理職ですよ、俺たち世代が。

カンカン婆。

2010 年 5 月 28 日 編集長 コメント 2 件


昨日書いた”新店”ができる以前の話だ。
区役所にある公園(そのまんま区役所公園と呼んでいた)で遊んでいると、
カンカンという音とともにものすごく汚くて小さい婆さんが引く屋台が近づいてくる。
その音を聞くと、子供たちは遊びを中断してその屋台へと向かう。
「カンカン婆が来たーっ」と。


屋台には子供にとって魅力的な食べ物がわんさか積んである。
水飴やミカンジャム、ソースせんべいなどの定番に
焼きそばや玉と呼んでいた変化球ものまでさまざまだ。
焼きそばは、蒸したそばにキャベツと揚げ玉、ソースをかけたもの。
”玉”は最中の皮に揚げ玉を盛ってソースをかけたものだ。
誰が見ても不衛生に見えるであろうルックスで、
ほとんどの子供たちは親から購入を禁止されていた。
が、子供たちにとっては宝の山であり、そんな言いつけをまもるはずがない。
そしてこの婆さんが典型的な下町チャキチャキ系で、とにかくすぐ怒る。
でも大声でよく笑う。
怖いけど親しみのある存在だった。


ここでも男たちはギャンブルに走る。
型抜きと寒天だ。
型抜きはご存知の方も多いことだろう。
ピンクの板に薄く刻まれた絵にそって割り、その絵を完成させるというもの。
寒天はミルクせんべいに薄く切った赤い寒天がのせてあるものが出され、
これを細いストローで吸いながら、婆さんが出題した絵を描くというものだった。
絵心のない俺には型抜きでないと勝負にならなかった。
両方とも婆さんのジャッジで判定され、食べ物に交換される。
もっとも低い評価がミカンジャムだった。
「残念賞ミカンジャム」という言葉は、
俺が通う小学校では日常普通に使われる言葉だった。


紙芝居の発展形なのだろうか?
地域差もあるだろうけど、俺たちの時代は紙芝居がほとんど来なかった。
幼少のころ、極々たまに来たときはすごくうれしかった記憶がある。
でもね、カンカン婆の想い出を人に話すと
ほとんどそんなのなかったと言われるのだが、みなさんいかがでした?


ちなみにあのころだと、豆腐屋さんもチャリンコで笛を吹いて走っていた。
魚屋さんも屋台で移動していた。
店舗を構えるのは今も昔も大変だったのだ。
でも今ほどうるさくないから
とりあえず屋台を引いちまえってことだったのだろうか?


俺に記憶の中にある、美しい昭和の風景だ。

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  1. Coo
    Coo
    2010 年 5 月 29 日 12:50

    こんにちは。
    うちのほうでは、「型抜き」と確か「型」と呼んでいた様に思うのですが、素焼きの手のひら大の型に粘土を押し込んでお面のようなものを作り、それに顔料の粉をかけて彩色して採点してもらうというのでした。型押しされた粘土に彩色だけをするのと、型を買い取って参加というのがあったように記憶しています。屋台じゃなくて自転車で来て、たまに紙芝居だったような気もするのですが、怖そうなおっちゃんに採点してもらうとか意味不明じゃんと近寄らなかった…(と日記には書いておいたはずですが、ホントはお小遣いが少なかったのよっ(^_^;))

  2. 編集部員
    編集長

    おお、それ知りませんよ。すごく小さなコミュニティごとにあるんだろうな、こういうの。ああいう大人たちの理不尽な採点に、文句言いながら従うカワイイ俺たちでしたよね。

駄菓子屋のおもひで。

2010 年 5 月 27 日 編集長 コメント募集中

先日ここで駄菓子についてふれた。
あれこれと思い出す中で、駄菓子屋という俺たちにとって
きわめて重要だった社交場について
アレコレ記憶の旅に出たのだった。
舞台は東京は下町、荒川区の区役所周辺である。
まだ小学生低学年のことだった。
行動エリア内の駄菓子入手経路は
果物屋さんの店頭、パン屋さん、専門店(駄菓子屋さんだね)の3つだった。


やはりなんてったって専門店が魅力的。
他の2店にはない駄菓子屋ならではのものがあるからだ。
あんこ玉やイカものなどに代表される
一つ一つがパッケージされていないまさに駄菓子と呼ぶにふさわしいメニューが並ぶ。
さらにダラダラと過ごせる雰囲気を醸し出していて
子供たちにとっては重要なコミュニティだった。
仲間たちとあれこれ言いながら本日の一品を選ぶのは
大人の階段を登るうえで重要な時間だった。
が、ここは婆さんがよろしくなかった。
なんだか陰気で怖いのだ。
それと家からちょっと遠かったのも、俺にとってはやや難ありだった。


たまに利用する果物屋とパン屋はさっと買って食べることだけが目的で、
今の俺たちの暮らしに置き換えると
呑み屋に行くのと発泡酒をコンビニで買って帰るのと
同じくらいの差がある。


何年生のときだったろうか、突然の黒船来襲に
近所の子供たちは色めきたった。
専門店でありながらおばちゃんが優しくて、
広い店内にはベーゴマやプラモデルがそろい、ゲーム機まで設置されていた。
駄菓子のラインナップも豊富な、スーパー専門店の出現であった。
その店のことを俺たちはこう呼んだ。

新店と。

発音は“しんみせ”だ、念のため。
これまで以上に長居が出来る新店は、子供たちの心ばかりでなく
財布の中身もわしづかみにしたのだった。
ゲーム機はクリアすれば30円の引換券が出てくるため
一攫千金を狙う男たちが列を作った。
周囲の猛者たちが覗き込む緊張の中で、クリアを目指す。
が…、玉砕することの方が断然多い。
イカもあんずも買えずに家路をたどるのことも、少なくなかった。


新店にはほぼ必ず友達がいて
約束をつくらなかった日もここに行けば楽しい時間が過ごせる。
小学生のホンの短い間だったが、ここで過ごした時間はとても大きい。
注ぎ込んだお小遣いにしめる割合も相当なものだっただろう。
というわけで、新店は俺たちの暮らしを激変させたのだが、もうひとつすごい存在があった。
屋台で移動しながら子供たちの財布を襲う、カンカン婆だ~(つづく)。

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早見優さん、きれいだねえ。

2010 年 5 月 26 日 編集長 コメント 2 件


さあ、佳境に入っている次号創刊第3号の制作の現場便りだよーん。
昨日は早見優さんのインタビューに出かけたのだ。
パチパチ。
彼女はひとつ下の昭和41年女なんですよ。
なぜ彼女に登場を願ったのか?
実は昭和57年の特集をつくっていて
アイドル全盛というセクションに掲載しようというわけだ。


俺たちが16~7歳の頃、ハワイで元気に過ごす普通の女の子は
突然スカウトされて日本の芸能界に入った。
いやねえ、話を聞いてつくづくすごいと知ったよ、芸能界は。
ああ、よかった、俺はアイドルの道に進まなくて(笑)。
早朝から深夜まで、全国を引き回される毎日を
元気と笑顔でこなした日々を過ごしたそうだ。
休みなんかない。
いきなりハワイから東京に生活の場を移して、そんな毎日をこなした。
10代のもっとも楽しい時期を、仕事に打ち込んだ彼女の人生は
俺のような凡人にはなかなかイメージできない。


強くて暖かい人だね。
そして、気づかいが細やかで豊かな人だった。
たった1時間とちょっとのインタビューではあったが、
人柄がにじみ出てきてバシバシ伝わってきた。
若い頃の苦労は、その後の人生をいい方に導いていくのだね。


今は家族と仕事を両立させていて、インタビューは家族のことにも及んだ。
きれいな彼女から出てくる家族の話には、違和感を覚えるほど
アイドルそのままだった。
よく食べることとよく呑むことが元気の源と笑う。
そのために体を動かしたり努力をするそうだ。
うーん、いいねえ。同感同感。
たくさん呑むために体を動かすという格言が、俺の人生に加わったのだった。

デビューから5作目のヒットシングル。ここから忙しさが加速したそうだ。うん、懐かしいね。

デビューから5作目のヒットシングル。ここから忙しさが加速したそうだ。うん、懐かしいね。


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  1. 2010 年 5 月 30 日 21:50

    この世代で人気を博したのは「堀ちえみ」、「石川秀美」、「小泉 今日子」、そして「早見 優」ですが、プライベートも充実しながらいい大人の女性になったのは彼女だけのような気がします。
    次号の記事も楽しみに拝読させて戴きますので編集頑張って下さいね。

    P.S 北村さん、また卑弥呼で語りましょうね~(^O^)/(笑)

  2. 編集部員
    編集長

    すみません、返事がもれていますした。
    ホントね、とってもいい人でしたよ、早見さんは。
    惚れました(笑)。
    卑弥呼にはここのところご無沙汰しているので、顔出さなくちゃ。
    ブログでしっかりと取り上げていただいてありがとうございます。
    広報部長に任命します。

立川談慶さんがやって来た!!

2010 年 5 月 25 日 編集長 コメント募集中

前号の誌面に掲載した談慶さんのインタビューだ。

前号の誌面に掲載した談慶さんのインタビューだ。



昨日は立川談慶さん(2号の特集で取り上げている)が編集部に来てくれた。
最近ものすごく忙しそうで、現在ブレイク中といった談慶さんは
まさにタメ年のスゴイやつである。
打ち合わせたのは、次号から1ページものの連載を持ってもらおうというもので、
きっとおもしろいモノになるから乞うご期待だよ。
彼も昭和40年に生まれ、育ったことに
誇りというか自信を持っていて、話をしていてホントに楽しい。
とにかくお互いの持っているものを惜しまず出し合いましょう、
まわりを巻き込んでいくようなパワーを全開でがんばりましょうと、そんな話に終始した。


前号が手に入らなかった人のためにちょっと説明すると、
慶応大学卒業後ワコールに入社して3年を経てからこの道に入った。
俺たち世代には多大なる影響を受けた立川談志の門を叩いたのだ。
以来、なんと9年半におよぶ前座時代を経て、現在は真打ちとしてがんばっている。


たぶん不器用な人だ。
俺もなにをやるにも人より時間がかかるのでよくわかる。
でも、時間がかかった分だけ修得したときは大きな力というか、厚さが出てくると信じている。
だから無駄だと思えるような地道な修練も頑張ることができる。
お付き合いは、たまたま本を見かけた彼の方からコンタクトを取ってきてくれて、現在にいたる。
落語家であるから、楽しいこと、可笑しいことが大好きな彼と話しているのは実に心地よい。
昨日は短いながらそんな充実した時間を過ごし、またまた元気になった俺なのさ。


こんな風にどんどん昭和40年男たちでつながっていって、
閉塞感のある社会を元気にしていきたい。
これも「昭和40年男」を立ち上げた大きな要因で、
それをまさに実践してくれている談慶さんの存在は大変うれしい。
みなさんもこのコミュニティに気軽にエントリーしてください。
待っています。

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