本日、発売でーす。
パチパチ。
ずぇったいに、書店に行ってください。
「俺の今の実力はこれです」
前号もそう思えたつくりになったうえ、今
回スケールアップできてこのセリフをはけるのはホントにうれしい。
反省点や失敗がないといったらウソになるけど、
それを完全に凌駕する熱があふれているのは、きっと感じ取ってもらえるはず。
この場で買ってくださいとは言いません!!
書店で手にとって680円の価値があるのかを、
じっくり品定め(汚しちゃダメだよ)してからレジに運んでください(書店さんゴメンなさい)。
それでもし、価値を感じられずに家に持って帰らなかったとしたなら、
このサイトや編集部宛にご意見を寄せてもらいたいです。
もちろん、買ってくれたのなら、ぜひ感想をお願いします。
今日は、書店を周りながら、かわいい自分の分身を見守りながら過ごします。
もしも立ち読みしているとき、
背後から期待に満ちた視線を感じたらきっとそれは私です。
ホッホッホッ。
怪しい魔術でレジに運ばせるのよ。
ホッホッホッ。
では、清き680円をよろしくお願いします。
一昨日、出来たての『昭和40年男』の第2号が手元に届いた。
ズッシリと重い(そう感じる)完成品を丁寧に頭からめくっていく。
うん、確実に1号より進歩している、
格段によくなったと思える仕事を出来たことがうれしい。
苦労した日々がすべて報われる気がした。
だが、買ってもらえるかどうかは、書店で決まるもの。
昭和40年、もしくはそれに近い年に生まれた男たちにとって、
財布を開く価値があるかどうかの判定がくだるのだ。
自分がよいと思ってつくったものではあるが、
人によってまったく評価が異なることは言うまでもない。
完売か? 全然売れないか?
前号にもまして、極端な評価をもらうだろうつくりを目指して、
出来映えも狙ったとおりだ。
この辺の解説は発売日以降にちんたらやろうと思っているが、
よくコントロールできたと自画自賛したりしている。
その晩、何十本の夢を見ただろうか。
できあがったはずなのに夢の中ではまだ作っていて、
議論を繰り返したり、ドジを踏んだり、
そのたびに目が覚めて「ふーっ」となるのだ。
ヤレヤレ。
よくよく考えたら手元に届いてから今日までの3日間が、
もっとも幸せなのかも知れない。
だってね、明日からは書店の棚という厳しい現実をのぞき見しながら、
一喜一憂する日々になるのだ。
いや、きっとたくさん売れて、読者のみなさんから多くの声が届いて、
もっと幸せになる。
そう信じてはいるものの、こればっかりはねぇ。
今夜は取材協力いただいた方と乾杯する予定なんで、
笑いに包まれたまま眠りにつくけど、明日は朝から書店挨拶回りだ。
目指せ50店で、ガリガリ行きまっせー!!
ストーンズにほれ込み、バンド活動にも全力で取り組んでいた当時。
実は日本のロックにもすてきな存在を見出していた。
とくにRCサクセションはライブにも何度か足を運んだ。
そして懐かしい再開もすることになる。
ヴォーカリストとしての萩原健一だ。
キヨシローと並び、日本語を歌うという意味ではものすごく影響を受けた。
ショーケンが好きだという情報を得て、越路吹雪も聴いたほどだったから。
ちなみに、キヨシローが挙げるミュージシャンはキースとかぶるので、
ほとんどが知っていたからね。
役者としてのショーケンにあこがれたあのときと違って
今回は将来目指す世界の大先輩だ。
前よりもずっとずっとあこがれた。
同一人物ながら違う目で見た。
唯一無二のヒーローとなったのだ。
ならばと買ってみた松田優作については
うん、悪くはないのだがヴォーカリストとして評価するにはいたらなかった。
俺にとってはなんだかキースのヴォーカルのような聴き方をした。
そしてもう1人、アーニキーの水谷豊はね。
熱中時代でさんざん聴いています。
歌謡曲のお兄さんですね。
とにかくこうして、ついに日本のミュージシャンからヒーローを見つけた。
ローリング・ストーンズへと傾倒していった俺は、
絶対的なヒーローであるキースがニヒルに笑い、
ジャック・ダニエルをラッパ飲みして、ギターをひっかく。
そんな姿に震えた。
日に日に、早弾きでソロをとるという行為さえもがかっこ悪く思え、
ストラトやレスポールを一生懸命弾くスタイルから離れていった。
テレキャスター(もちろん激安コピーモデル)を手に入れ
薄っぺらな音でリズムを刻むことや、
ブルースのフレーズをいなたく弾くことに自分のスタイルを見出してしまったのだ。
せっかく上手になったギターなのにテクニック向上を封印して、
たったひとつの音がどこまで魂を揺さぶるのかという、
高校生にしては大バカやろーな方向へと磨きをかけたのである。
これが俺の失ってしまったものであり、得たものでもある。
歌にハマっていったことも別の次元で大きな現象だったといえる。
ロックやソウルの好きなヴォーカリストで、
ギターを弾きながらしかもうまいというミュージシャンは少なく、
専念した方がいい歌になるという気持ちが芽生えていた。
でも、キース・リチャーズはヒーローの第一位なのだ。
でも、自分の気持ちはヴォーカリストであり、
やっぱりギターも捨てられないというわけのわからん俺がいた。
でも、でも、でも…。
しかし、こんなグチャグチャした時間は運命的に解決へと向かった。
ギターから一歩引くことをすんなりと決意できたからだ。
それは高2の秋に学園祭のゲスト演奏に呼ばれたセッションで
あるギタリストと出会ったことによる。
どうひいき目に見ても、俺より格段にうまい。
それにキャラも完璧なギタリストなのだ。
バンドマンガの名作である『気分はグルービー』のバンド
“ピテカントロプスエレクトス”のギタリスト、稲村とうりふたつなのだ(知らないよね)。
ちょうどメンバーが1人、また1人と抜けていき、6人いたメンバーは
半分のトリオにまで減っていた頃だった。
これは神が与えたチャンスに違いないと、俺はヤツをバンドに誘った。
高2の10月3日、放課後の俺は交渉に当たった。
また、忘れられない日が加わったのだ。
稲村じゃない、藤元直樹という今は天国にいる天才と俺は
一緒に音楽を紡いでいくことになった。
「オイラと組まないか? 儲けようぜ どうだい乗らないか? よーこそー(by RCサクセション)」な気分でバンドに誘い、
見事にヤツのハートをゲットしたのだった。
ヤツの加入が、バンドを飛躍的に加速させた。
キースという絶対的なヒーローがルーツとする音楽ということで、
黒人ブルースやソウルにも惹かれていった。
古くて黒っぽい音楽やチェスレーベルのブルース盤を買い漁り、
激動の音楽シーンに背を向けた格好になってしまった。
ここからの俺が掲げるヒーローには
あまり共感を得られないだろうが、名前だけさらっていこう。
オーティス・レディング、レイ・チャールズ、ハウリン・ウルフ、
ジャニス・ジョプリン、ザ・バンド(とくにロビー・ロバートソン)、サム・クック、
ライトニン・ホプキンス、ジョン・リー・フッカー、マディ・ウォーターズ、
ニール・ヤング、ボブ・ディラン、マジック・サム、ジョニー・ウィンター、ピーター・ウルフ…etc.
こうしたルーツ探しをしながら
音楽への見解を深めていくのは、
ロックにハマって以来の常套手段(前述のクイーンからイエスのように)となった。
ところが、このキースから深いところへと旅立ったおかげで
得たものだけではなく、失ったものも存在したのだった。
プロになると誓い合ったあの日から、俺たちは練習を続け、
やがてオリジナルを引っさげライブハウスで演奏するようになり
ホールやライヴハウスを借りて自主イベントも積極的に仕掛けた。
高校時代は音楽の指向がものすごいスピードで変化していった時代で、
ハードロックとプログレに夢中になっていたのに、
いつの間にかエアロスミスに傾いていった。
歌にのめり込んでいったことも大きな要因だな、
スティーヴン・タイラーがヒーロー第一位に君臨したのが高1の後半だった。
さらに、ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトンといった
ギタリストのつくり出す世界を再確認すると同時に、
フェイセスやローリング・ストーンズのような
シンプルでストレートなロックにもどんどん惹かれていく。
(フェイセス時代のロッドはヒーローなんよ。アトランティック・クロッシング以降がアイドル)
ハードさがロックの中で邪魔な存在に思えてきて、
もうプログレなんてステーキの上に寿司のっけて
上からホワイトソースとチーズをたっぷりとかけてオープンで焼きました…
くらいのオーバーさを感じた。
そしてヒーローの座もスティーヴン・タイラーにかわり
キース・リチャーズが君臨したのだった。
ギタリストの姉ちゃん経由で
ロッド・スチュワートのコンサートに行くことになった俺。
生まれて初めてのコンサートだった。
武道館の後ろの方で席はよくなかったが、オープニングから興奮した。
そのオープニングナンバーであった“自由への翼”は早速コピーして
その後オープニングに使ったくらいだもの。
歌に目覚めかけていた俺の気持ちを
加速させるのに十分な出来事だった。
“今宵焦がれて”での会場中の大合唱には胸が熱くなり、
ライヴで目の前で演奏された“アイム・セクシー”も最高にかっこよかった。
このときから今にいたるまで
好んで聴いているシンガーであるロッド・スチュワート。
だが、俺にとってヒーローなのかというとちょっと違う。
不思議な感覚で、俺にとってロッドはアイドルなのだ。
絶対にこの人にはなれないのである。
俺はいったいなにを言っているのか、
ジミー・ペイジにだって絶対になれないよ。
いやー、そうなんだけど、
1%もかぶるところがないというか、
完璧なスターなんだよね。
ブルースっぽさやカントリーっぽさとか、
歌うためのベースがしっかりあって、
華やかな存在でしかも歌がうまい。
完璧すぎてヒーローを超えてボーっとしてしまうのよ。
金髪のアイドルなんです、永遠のね。
だからだな、先日の来日でも迷った上でチケットを取らなかったもの。
繰り返すが、中1のとき突如としてロックに目覚めた俺。
クイーンに続き自分で買った2枚目のLPレコードは、
ロッド・スチュワートの“スーパースターはブロンドがお好き”であることは前述したとおりだ。
トラ柄の衣装をまとって歌う“アイム・セクシー”が、
沢田研二が100倍かっこよくなったように見えて買ったのだ。
だが、評価としてはどちらかといえば失敗だと感じた。
それでも“アイム・セクシー”を始めとして、
“ダーティー・ウィークエンド”や“シャドウズ・オブ・ラブ”など
好きな曲は存在したし、ラストの“うちひしがれて”は
何度も涙を流したほど好きな曲で
いまでもロッドのベスト3に入れている。
だがバンドとして参考にするようなアルバムでなく、
どちらかというと聴くためのミュージシャンだった。
だが突然、ロッドを見直す日がやってきた。
高1の時にロッド・スチュワートの来日公演があったのだ。
バンドのメンバーで唯一ロッドファンだったギタリストのひとりから声がかかった。
「姉ちゃんがチケット取れるらしい」
出たーっ、姉ちゃんいるヤツ文化ーっ!
当時の俺にとって外人のコンサートなんてのは果てしなく遠かった。
俺にとっても十分好きな存在だったし、
世界の頂点のライヴが見られるのはウレシイ。
その誘いに乗ったのだ。
ちょうどウイスキーのテレビCMで
“今宵焦がれて”(それにしてもなんちゅー邦題じゃ)が使われ、
ヒット中だったころだ。
教師からプロミュージシャンへと大きく夢の形が変わった俺。
高校に通うものの、完全にバンド中心の生活になった。
しかし信じられないことに、俺のバンドにはヴォーリストがいなかった。
先の中学卒業初ライヴでも1人最低2曲はやることをルールとして、
それぞれの曲で暇なヤツが担当した。
みんなできれば歌いたくなかったというのがホンネだ。
そりゃそーだよ、まだカラオケなんかない時代に
人前で歌うといったら音楽の授業くらいのもので、
その授業は崩壊していたから歌うということはほとんどなかったもの。
照れずに歌えるヤツなんかいなかったのだ。
だが、あらためてプロを目指して取り組むということで、
歌にも少しずつではあるが目覚めていく俺がいた。
もちろんギタリストが気持ちの中では第一希望なのだが、
日に日にヴォーカリストにも興味が湧いてゆく。
ツェッペリンのロバート・プラントやレインボウのロニー・ジェイムス・ディオ、
ディープ・パープルのデビッド・カバー・デイルなどの
コブシ系ヴォーカリストにハマっていったのだ。
歌い込んでいくと意外と高い声を持っていたことも手伝い
多くの曲を歌うようになった。
それとプロになる以上オリジナルをやろうということになり
俺が「きっとできる」と安請けあいで
ソングライターを担当するようになったのも大きい。
だってねぇ、そんな素人がつくった歌を他人様に歌ってもらうわけにいかないもの。
つうわけで、徐々に歌って踊れる(?)ギタリストへと
道を誤った、じゃない、あらためたのであった。
3月3日です。
♪お花をあげましょ、桃の花~♪
そうです、春ですよー、みなさん。
〆切なんてやってちゃダメーっ!!
♪出かけませんか? もうすぐは~るですねぇ、恋をしてみませんか?♪
と、現実逃避して恋をしたいくらい、
山積みとなったチェック原稿と闘う現場のみんな。
でもね、もう今日で完全に終わらせるのだ。
何時までかかってしまうかはわからないが、
明日には確実に印刷機が回り出す。
そして、8日の朝に完成した本が日本中へと旅立っていき、
3月11日は、いよいよvol.2の発売でーす。
パチパチパチパチ。
と、無事にかわいい『昭和40年男』を旅へと送り出すために、
今日は最後のひと踏ん張りなのだ。
昨日も大ハプニングが発生したよ。
「おがあ(副編の小笠原)、この○○のとこ原稿(制作に)入っているよな」
「そのはずですが」――バタバタバタ(ったりめーだろが、俺を誰だと思ってやがると心の中)
「一応確認してくれよ」
「はい」――バタバタバタ(ったく、忙しいのになに言ってやがんでとまだまだ強気の心の中)
だがしばしの時間が経ち、蒼い顔したヤツがきて言った。
「抜けていました…」
どっひゃーっ!!
明日だよ、明日で手離れしなければならないのにだよ。
どっひゃーっ!!
なんてったって、今回は取材対象人数がスゴイ。
特集タイトルは「タメ年たちのリアル」というもので、
ぬぁんと40人(40年男だからねって、あまり関係ないことにこだわったりするバカな俺です)
ものタメ年を、さまざまな切り口で取材してみたという、
ものすごく手間のかかるものだ。
だからしょうがないというわけじゃないが、
最後の最後にこういう事故も想定の範囲内なのだ(おーっ、かっこいいぞ)。
なんとか取材が仕切れたのが、
昨日夕方の6時からで、
写真などの具が編集部に届いたのが、
日が変わる直前の11時。
そして、今日午前中に原稿が届いて、
そっこーでチェックしてという進行だ。
イッツ・スリリング。
まっ、そんなトラブルはあったものの、
なんとか今日中には手を離すめどが付いた。
4日前から突如として始まったカウントダウンも今日でおしまい。
明日からはまた俺のヒーロー(音楽?)よた話を展開しながら、
今号の取材の舞台裏なんかをはさんでいくので、どうぞよろしく。
さっ、ラスト1日がんばるぞー。
待ってろよー、昭和40年男たち!!