高い家具は売れるのか?

昨日はタメ年のデザイナーさんが来社してくれた。現時点で僕からリリースするのは避けるが、ちょっとおもしろい家具をデザインして、そのままメーカーとして販売していくことを目論んでいるようだ。少し前に『浅草秘密基地』に来てくれて、構想を聞いた参加者たちで、あーでもないこーでもないと構想をいじった。実際に商品を見ないとイマイチ核心を突いたことは言えないとなり、クルマに積み込んで編集部に来てくれたのだ。

ざっくばらんに語り合った。国内のモノづくりの現場はどこも同じく、グローバル化の中で価格が下がっていて、国内でつくることが困難になっている。だが細部にいたるクオリティにこだわると、国内の職人を使うことになるから、当然価格に跳ね返る。このデフレ社会で、想定している価格が受け入れられるのかが論点になった。こだわりと価格の関係はなりたつのだろうか?

グローバリゼーションが価格下落を起こしているだけでなく、販売の現場もドンドンと変化していることも難しさのキーワードだと、百貨店を例にして意見を交換した。続けて僕は、先日ボールペンを銀座の伊東屋で購入した話を持ち出した。仕事の最前線ツールを、試さないで買うなんてことは考えられないから伊東屋に行くのだと。たくさん並んだショーケースの中から、10本近くを出してもらい試し書きした上でこの1本を決めた。満足の選択であるが、ネットを覗くと当然のことながら僕の購入価格はとんでもなく高い。だがこれは1つの消費の正しいカタチであると考えている。販売店で吟味してネットで買う輩は多いし、家電量販店がショールームと化している昨今だ。決してリッチなお財布事情ではないから、少しでも安い方がありがたいのは僕だって本音だ。だが世の中には「それをやっちゃあ、おしめえよ」という事柄が多くあるはずで、今どきこんなヤツは少数派でバカなことだとわかりながらも、自分の中にあるキメごとを放棄したくない。古いヤツで片付けてはならない、本質があると思うのだがいかがだろう。

加えて、素材にこだわったり高い技術を入れこんでも、それを見る目と必要とする環境も崩壊している。考えれば考えるほどいばらの道である。かといって、ホンの一握りの金持ちだけを対象にするメーカーにはなってほしくない。ウーム、超難題を投げかけられた気分でありながらも、ワクワクしている。

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