おせち料理はいかが?

先日の『浅草秘密基地』でこの話題になった。お重に詰めてのおせちを作っている家は残念ながらなかったものの、どこも何かしらのおせち料理はつくっているそうだ。週間文春(新潮だったかな?)の新年企画で、読者の方々のお正月献立を載せるページがあり、毎度結構つらいものがある。今どきは元旦からほとんどのスーパーが開いていて、コンビニもあるからわざわざ大げさな料理なんかつくる必要がないかもしれない。加えて、家族も親族も減少傾向だから、お正月のプレミアム感がなくなってきているのだろうか。

僕は大みそかからの4連休のために1年がんばっていると言ってもいいってくらい、お正月が大好きである。料理をつくるのは嫌いじゃないから、大みそかは朝からてんやわんやの大騒ぎになる。といっても担当するのは洋食を一品で、それと元旦の刺盛りの買い出しくらいだが、夕日が沈むのを見ながら呑みたいので、とにかく朝早くからがんばるのだ。その日まであと1ヶ月ちょっとなのだね。

実家のお正月はそれはそれは盛り上がった。今に続くお正月大好き人間となった、昭和の原風景である。うちは電気屋だったから紅白歌合戦が終わるくらいまで店を開けて客を待つ。コンビニなんかなかったから、電池や電球を遅くまで買いにくる客が絶えないのだ。「ではよいお年を」と、両親にとっては何回言うセリフだろうか。店を閉めると『ゆく年くる年』が始まっていて、みかんだね。元旦から4連休となることは、年を通してお正月しかないから、ものすごいプレミアム感を味わえる。自宅の居間と店が続いているのには慣れているものの、やはりなんとなく落ち着かないもので、これが4日も閉まるのはなんともうれしかったものだ。加えて楽しみはおせち料理で、仕事の合間をぬってがんばるお袋の姿にいつも感謝していた。なんてったって、昭和の電気屋の年の瀬はそりゃあ忙しい。冷蔵庫とテレビを新調するのがもっとも多い時期で、1日に何台も納める日があった。カレンダー配りなんかも年の瀬の仕事で、一家総出で大みそかまで働いたものだった。

従兄弟たちとの交流も大きな楽しみだった。残念ながらうちの親族も世の流れどおり減少傾向で、息子にとって従兄弟はたったの3人しかいない。僕には何人いたのだろうと数えてみると、12人だもの。うーむ、少子化だなあ。せめて息子の心にしっかりと残る原風景になるように、今年の大みそかも料理に買い出しにと動いてよいお正月にするぞ。って、まだまだ早いか。その前に今年の仕事をキチンと仕上げないとね。強い逆風が吹いていますがいい正月を迎えられるといいですな。

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