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日本蕎麦進化論。

2011 年 11 月 26 日 プロデューサー コメント

蕎麦好きである。なんの変哲もない、街に佇むような蕎麦屋に惹かれてしまう。その手の蕎麦屋が最近は減少傾向にあり、さみしい限りだ。つい先日のこと。大きな街の駅周辺でちょうど昼時を迎え、本意ではないが今っぽい大きな蕎麦屋に入った。案の定、BGMはジャズだった(笑)。こじゃれたユニフォームの店員さんと、厨房では若者たちがテキパキと働いている。その若さを隠すかのごとく、筆文字で壁にウンチクを書いていたり、田舎の民家調の内装を施してある。それ自体は悪いことでないし、文句をつけるところではない。僕の好みが、爺さんとその息子らしき2人で厨房を切り盛りしていて、元気な笑顔でおばちゃんが出迎えてくれる店だということだ。

 

カツ丼ともりのセットをオーダーした。テープルになぜかウズラじゃなく鶏卵が置いてある。ふむ、ゆで卵のサービスかと勝手に解釈して、待つこと数分で旨そうなセットが運ばれた。「よろしかったらつゆに卵を割ってください」と店員さん。へっ? 鶏卵一個を蕎麦ちょこのつゆに入れたら薄まっちまうだろ? へっ?な気分のまま蕎麦をつまんでちょこに入れようとすると、げげっ、ごまが浮いているよ。なんでこんな勝手なことするのかなと、蕎麦をすすると衝撃的な味が口中に広がった。「なんじゃこりゃーっ」と松田優作にでもなりたい、想定外の味はラー油と山椒が効かせてあるとのこと。つゆ自体もしょっぱくて、これまでの蕎麦好き人生の概念を完全に覆すものだった。カツ丼の卵を考えると、つゆの中に卵を割り入れる気にはなれず、ちょっぴり付けてはすすった。「大阪人はな、マズイもんは食わずに箸を置くんや。東京もんは我慢して食うやろ」とは、大阪に移り住んだ昭和60年に知り合った方のセリフだ。思い出してしまったのは、できれば残したかったから。親にもいつも言われていたしね。「食べ物は残してはなりません」と。泣きそうになりながら蕎麦を平らげ、気を取り直して半熟卵のうまそうなカツ丼に箸を延ばすと、うぎゃあ、しょっぱいよー。さすがにラー油と山椒は効いていないものの、おそらくさっきの蕎麦つゆでつくったものなのだろう。カツ一切れでご飯全部食べられるくらいしょっぱいのに、ご丁寧に5切れも乗っている。おまけにつゆだくだ。もう、ホントに涙がちょちょ切れてくると思うほど、苦行のようなランチになった。

 

なんでこんなものを出すのだろう。ラー油が入ったしょっぱいつゆに卵を割って食べさせるのは、アイデアと呼ぶにはあまりにも稚拙すぎる。いや、わからんな。カレー南蛮そばを始めて食べた蕎麦通は、その日記に僕と同じようなことを書いているかもしれない。そばつゆにカレー粉を入れるとはなんと稚拙な料理なのじゃとね。今は定番となっているが、かつては衝撃的なアレンジ料理だったかもしれない。カツ丼だってそうだよな。揚げ物をつゆに入れたらせっかくカラッと揚げた意味が無くなってしまうもの。読んだ本では、当時は高価なトンカツが大量に余ってしまい、処理に困った蕎麦屋の主人がひねり出したアイデアだったそうだ。当時の食通たちにはやはり衝撃的だったかもしれない。ただね、ウマイじゃないの。ここのそばつゆは旨くなかった。いや、これもよくよく考えると、今どきのギトギトした料理になれた舌にはウマイのかもしれない。時代とともに進化を遂げているつゆなのかもしれない。東海道の旅で食べたあんかけスパゲティも進化の過程なのかもしれない。ただ、こんなしょっぱいものを昭和40年男が食うのは、体に毒だということは断言できる。

 

ともかく完食、蕎麦湯を出す店なのかわからんが、とてもじゃないがいただきたくない。箸を置くと同時にさっさと店から退散したよ。トホホ。

 

 

  1. 2011年 11月 26日 20:25 | #1

    通はまずい味を経験してこそ通ともいいますがね。