【懐かしの名盤】追悼、柳ジョージさん(2/3)

昨日届いた悲しい知らせに、夕べは酔いどれたタメ年男たちは多いのではないか。彼も酒をこよなく愛した男で、そのことが歌詞にもあらわれていた。

『懐かしの名盤ジャンジャカジャーン』は、レッド・ツェッペリンを綴っている途中であるが、昨日から追悼の意を込めて特別編を割り込ませてもらっている。柳ジョージさんとの出会いは、歌謡番組やCMだったという昭和40年男も多いことだろう。あの渋い世界をお茶の間で発掘できた僕たちの時代は、なんとも恵まれている。昨日は突然の訃報を聞き急遽書き始めたので、この1枚のセレクトをできていなかったが、この『懐かしの名盤ジャンジャカジャーン』は、僕の独断でそのミュージシャンの1枚をセレクトするというもの。1日遅れであるが悩みに悩んで選んだ1枚は、『1981.12.19 Live at Budokan』である。最後まで『YOKOHAMA』、『ウーマン・アンド・アイ』と競ったが、追悼という意味でここに収録された『プリズナー』がしっくりきたため決定した。

『さらばミシシッピー』で、僕の中での好きなミュージシャンの仲間入りはしたものの、まだレコード購入にはいたらなかった。そんなときに決定的にハマったのは、虜になって聴きまくったショーケンからである。柳ジョージ&レイニーウッドは、ひと時ショーケンのバックバンドを務めていた。エラいこっちゃである。ボブ・ディランのバックをザ・バンドが務めていたのとダブって、余計にカッコよく感じさせた。ツアーの模様を収録したライブ盤『熱狂雷舞』はよだれがあふれるカッコよさだ。こんな特上の音楽があふれていた時代を生きたのだね、僕たちは。繰り返すがなんとも恵まれている。当時、僕にとってはキヨシローと同じく憧れであり尊敬したシンガーとして、ショーケンは燦然と輝いていた。その神様がバックに従えていたバンドだと知ったのは『さらばミシシッピー』を知った後だったから、時系列はメチャメチャである。白状すると、すべてのレコードは解散後に手に入れた。柳ジョージ&レイニーウッドは1981年の12月に解散している。高1の冬である。このブログのRCサクセションのときにもダブってくるが、ちょうど『夜のヒットスタジオ』でRCの『ロックンロールショー』を目撃した前後のことで、邦楽にハマるずっとずっと以前のこと。その存在は十分に知っていたものの、知らぬ間にバンドはなくなっていたのである。

とにかく僕にとってのアイドルであったショーケンからつながっていき、初めて手に入れたアルバムは『ウーマン・アンド・アイ』である。黒人ソウルシンガーに傾倒していた当時の僕にとって、このアルバムは魅力的だった。『ア・チェンジ・ゴナ・カム』や『テネシー・ワルツ』といったR&Bの名曲をカバーしながら、『青い瞳のステラ、1962年夏…』といった、柳ジョージワールド炸裂ナンバーまでを入れこんでいるこのアルバムは、今考えると相当に通好みな曲ばかりが並び、よくメジャーレーベルがリリースしたなと感心するほどだ。少年は背伸びして、ウイスキーをストレートで呑みながらこのアルバムに聴き入って、2枚組を聴き終える頃にはほろ酔いだ。ウイスキー&シガレット&柳ジョージは、僕の青春の1ページなのである。

『青い瞳のステラ、1962年夏…』が流れている。亡くなってしまったとはとても信じられない。つづく

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