津波の傷跡。

昨日から3度目の東北取材に来ている。過去2回は気仙沼から入って名取まで、海岸線をトレースしながら南下してくるコースをめぐってきたが、今回は逆ルートにした。ずいぶんと片付いていると感じてしまうのは、過去の2回の経験があるからだろう。もうひとつ、雑草が高く生い茂っていて、その緑のおかげでずいぶんときれいにみえる。雑草でふたがされている状態なのだ。しかし、実際はまだまだ傷跡は深く、5ヶ月を経たものの厳しい現実が目の前に広がっていた。

この地域のほとんどは、昨日が送り火であり、多くの墓参りの方々を見かけた。ほとんどの墓は流されており、墓があったであろう場所に花と線香があげられていた。なんとも悲しい光景である。そして、過去2回とも同じ場所にあった赤いランドセルは、今回もまたそこにあった。持ち主をもう5ヶ月以上も待っている。

今日はこれからもう一度名取に入って、最も津波の被害の甚大な地域に入って行く。若林、石巻、女川、南三陸、そして気仙沼まで。これらの地名は震災がなければそれほど馴染みがあるわけでない。名取市の閖上(ゆりあげ)など、震災前までは読めなかった。

僕はこの仕事に就き、まだつたない経験ながら行きたくない取材というのは初めてである。メディアとしての使命感に突き動かされているだけだ。1,000年に一度と言われる自然の猛威を記録して伝えていくということも、僕の仕事なのだ。土足で傷ついた地に入り取材活動を続ける行為は心苦しいが、1人でも多くの方にこの惨状を伝え、残していきたい。今日も甘っちょろい心に活を入れ、さあ、出かける。

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