【懐かしの名盤】ローリング・ストーンズ 『レット・イット・ブリード』(3/4)

昭和40年男のにとっての名盤ライブラリー「懐かしの名盤ジャンジャカジャーン」をお届けしている。あっ、そうそう明日は秋田県の田沢湖スキー場でイベントをやっているから、ご近所の方は遊びに来てくださいねー。

それでは昨日の続きじゃ。ストーンズの魅力とは? ズバリ、カッコよさである。そこにはさまざまな基準があり、人の好みによるところだろうが、ロックシーンで最もカッコいいと断言しても、おそらく反論が少ないバンドである。全盛期のジュリーだって、日本の歌謡シーンで最もカッコよかったように、世界のロックシーンでは、ストーンズが長い時代を最もカッコいいバンドとして君臨した。ロックミュージックにこれだというカタチのない時代に、いろんな才能が開花していった中で、ストーンズはカッコよさでピッカピッカに光ったのである。ドラッグも確信犯だったのかもしれない。まあそんなことはないだろうが、サウンド、ファッション、立ち居振る舞いなどなど、年月とともにすべてがカッコいい方向にいっている。そこに導いたのが2枚看板であるヴォーカルのミック・ジャガーと、ギターのキース・リチャーズだ。

黒人ブルースを敬愛している白人ミュージシャンはたくさんいるが、同時に彼らはどうしても埋められない壁を感じていたのだと思う。奥底にあるフィーリングや独特のリズムとかさまざまな要素だ。そこをテクニックで補っていったギタリストは多い。ストーンズの2枚看板も黒人ブルースにハマった。他のミュージシャンと同じく感じた足りない何かを、二人はカッコよさで埋めたのだ。おーっ、なんと強引な説じゃ。まあまあ、聞いてくんろ。たとえば、キースのプレイスタイルで有名なオープンチューニング (難しく抑えないでもキチンとコードがなるように初めから音程設定を変える) だって、ギタープレイ重視ではないのだ。かき鳴らすのに適していて、そのスタイルそのものを求めたのである。カッコつけ優先型プレイなのジャー。

とは言え、肥大化していった時代のロックビジネスシーンをカッコよさだけで戦えるはずはなく、もちろんストーンズは武器もたくさん持っていた。それを端的に証明するアルバムが『レット・イット・ブリード』(’69) で、頭のたった3曲を聴けば十分にご理解いただけるはずだ。

ストーンズとしては重厚なつくりの「ギミー・シェルター」で始まる。余談になるが、面白い現象として近い時代にビートルズから「ヘルター・スケルター」が発表されたこと。音楽シーンがヘビーサウンドを手に入れていく方向性の示唆は、こうして果たされていたりするのだ。続けての「ラブ・イン・ベイン」こそが、後にロック界に君臨することを証明づけたと僕は思っている。先にも述べた敬愛する黒人ブルースへのアプローチをこうした方向へと持っていけたことは、ブルースかぶれバンドからの完全なる脱却となった。ロバート・ジョンソンの原曲は、まったく違う曲だと言っていいだろう。そう仕上がったことがスゴイのでなく、名曲に仕上げたことが素晴らしいのである。さらに続けての3曲目では、今だとセルフカバーと言えばいいのか「ホンキー・トンク・ウィメン」をカントリー調に調理してしまった。この3曲だけでも、ストーンズのすごさやベクトルは見える。世界一演奏がうまいとか、歌がうまい、ギターがうまい、グルーブがスゴイとかいうところじゃなく、ストーンズがいく方向性こそがロックそのものなのだ。全部ひっくるめて言葉にするとやはり、“世界一カッコいいバンド” なのである。
 
つづく → (4/4)

前回 → (2/4)
 

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

2件のコメント

  1. ストーンズのカッコ良さは、あの顔もあると思います。クイーンの良さに気付けなかったのもフレディーの怖い顔と他のメンバーの優しそうな顔が邪魔してた様な(自分にとって)。ZEPも顔、カッコイイし。ザ・フーはカッコ悪くて、フリーはカッコ良かったんです。まったくもってテキトーな基準ですね。

    • いや、たしかに顔は重要です。ストーンズとエアロがロックシーン最高の顔じゃないでしょうか。

コメントは受け付けていません。