芸に生き続けた男。

被災地取材前日のことだ。海老一染之助さんに弟子入りして、技を伝授していただいた。「いつもより多く回しておりま〜す!」の海老一染之助・染太郎の、芸をこなす方が染之助さんで、周りでパタパタしながら相槌を入れたり講釈を述べているのが染太郎さんである。実の弟である染之助さんが、兄の染太郎さんの告別式で「おめでとうございま〜す」とかましたときは、芸に生きる男とはこういうことなのかと記憶に鮮明に残っている。

この日のプチ弟子入り修行の現場である、浅草界隈の古民家を使った貸し稽古場で待つことしばし。どんな方なんだろう? たまに経験する芸能界ぶった人だとやだな、まさかな、なんて考えていると、ご一行の到着である。お出迎えすると、一瞬、染之助さんだとわからない程痩せていて、さらに足がかなり弱っているご様子。イメージしていたテレビのなかの染太郎さんとはほど遠い姿である。奥さんに介添えしてもらいながら着物に着替え、いざ撮影開始となった。

まずはおなじみの、賑々しく舞台に登場して「おめでとうございま〜す」までの一連の流れを模範演技していただくことになった。このときの正直な気持ちを白状すると、誰もが知っているような、あの往年の芸ができるとはとても思えなかった。きっと77歳という年齢なりのものなのだろうと想像してしまっていた。「ではお願いします―」。気を溜めるかのような数秒の間を経て、かっと目を開くと、さっきまでの老人は、芸人に変身した。正真正銘、海老一染之助の舞台が始まったのである。その豹変ぶりは神々しくさえ感じられた。10歳の時から積み上げてきたしなやかな動きと、お正月に何度も聞いた覚えがある「おめでとうございま〜す」は、胸に突き刺さり涙を誘った。すごい、芸人というのは本当にすごい。おなじみの傘の上で回す芸もまったく衰えなく、見事に玉を回す芸にほれぼれと見とれてしまった。

さあ、いよいよ弟子入りである。比較的やりやすいと軽い“まり”を用意してくれたが、まったく回せない。当たり前だがまったくといっていい程、傘の上に乗ってくれないのである。染之助さんやお弟子さん、大神楽の家元さんたちの見守る中で、汗びっしょりになりながら傘を回し続けた。数時間で回せるようになるのなら、そんなもの芸じゃないよね。わかってはいるが、ほんのわずかな時間ながら、染之助さんの弟子になったのだから、いつかは回せるようにならねばならぬ。うーむ、大変なノルマを背負い込んだものだ。

光栄だったのは、芸に入る前の「おめでとうございま〜す」までの一連の流れも伝授してもらえたこと。こちらはカタチだけなら誰にでも真似することはできるであろう。だが、実はそんな軽々しいものでない。見ている側がホントに幸せな気分になれることを目指すという意味では、こちらの方が修練を必要とすると思う。他人様に幸せな気持ちにするということは、すなわち人間力が大きく関わるということであるから。芸の道は険しいと、思い知らされた一日であった。

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1件のコメント

  1. 染之助師匠のご子息で、テレビ東京キャスターの村井正信さんも確か「昭和40年男」ですよ。
    テレ東の最終面接でごいっしょしました(笑)。

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