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無駄とリッチは紙一重。

2018 年 1 月 25 日 プロデューサー コメント

去年のことになる。生まれて初めて帝国ホテルに泊まった。これでもかと置いてあるアメニティグッズにリッチな気分になりながらも、使うモノはほとんどない庶民である。なんてことを思い出したのは、昨日の朝見た情報バラエティに中国の5つ星ホテルのとんでもない客室清掃が映し出されていたからだ。トイレを掃除したブラシでコップを洗ったり、タオルや枕カバーを2次利用したりというびっくり仰天の内容で、日本では絶対にそんなことないはずだと思いいつつ、帝国ホテルの夢の時間と豪華なアメニティグッズが記憶から呼び出されたのだ。

 

 

リッチと無駄は紙一重であり、僕の世界である紙媒体も無駄は多い。限りある資源を使ってみなさんにお届けしている雑誌は、楽しんでいただき生活の潤いになればと願っている。つまりはリッチな気分を味わっていただきたいのだ。だが当然ながら売れ残りは無駄でしかない。書店から問屋に戻った僕らの命のかけらは、そのまま再生所へと直送されて再生紙の原料となる。後日にわずかながらの原材料費をいただくのだが、言うまでもなくうれしくもなんともない入金である。

 

 

つい先日、コンビニエンスストアで鏡餅が大量に入ったケースを見かけた。売れ残っためでたいパッケージはどこへ行くのだろうか。雑誌のシステムのように、製菓メーカーなどに引き継がれて餅菓子の原料になるとか、そういったシステムが組まれていることを願うが、いかがだろうか。ともかく、お正月を彩るはずだった鏡餅のこうした姿は、正月をこよなく愛する僕は見たくはなかった。

 

 

鏡餅は氷山の一角で、わが国では毎日大量の食料が廃棄されている。もう間もなくに迫った恵方巻きなんかは、毎年見たくない情報にふれる。無駄とリッチの関係では片付けられないつらい光景だ。いや、雑誌だって言えたもんじゃない立場だが、せめてもの罪滅ぼしとして我々は自分をすり減らしながら注ぎ込む。だがどんなに言い訳しようが無駄という人間の罪は変わらず、とはいえ中国のホテルのような節約は論外だ。高いところを目指しながら、そこに精神が宿る努力をしていくことが肝要なんだと信じている。食料の大量廃棄はそこからあまりに遠いように感じてならない。

 

 

 

  

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