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桂木文からみゆきまで。

2011 年 5 月 22 日 プロデューサー コメント

このところ、本ブログでチョコチョコと僕のマンガ体験をつづっている。これは最新号の巻頭特集で「マンガ」のページを担当した金子との間に大きな差異があったからである。本日はその総括である。

 

ストーリーマンガとギャグマンガという、2つの大きなカテゴリーのなかで育ったが、やがて子供から青年へとつながる微妙な時期に差し掛かる頃、新たなカテゴリーとして割って入ってきたのがラブストーリーであった。厳密にいえば『あしたのジョー』ですでに“ラブの世界”をたっぷりと見せられていた。紀ちゃんとの玉姫公園から始まる別れのシーンに感じるものは大きかったし、ホセ・メンドーサとの戦いを終えて白木洋子にグローブを渡しちゃうのなんか、驚愕の“ラブ”であったといえる。が、僕が『あしたのジョー』に求めたものは、あくまでもボクシングを通したストーリーだった。“ラブ”だけでマンガは成立しない。750ライダーだってバイクに乗っているストーリーの中に委員長との絡みがあるのであって、高校生になったら750に乗ってクラスで一番かわいい女の子と絡もうと夢見た僕である。

 


ところが、そんな時期に衝撃の作品が届けられる。マガジン掲載の『翔んだカップル』だ。中学生になり女の子を見る目がそれまでと異なり始めていた頃である。衝撃だったのは“ラブ”のみでストーリーが展開していったこと。野球もなけりゃバイクもなし。けんかもなけりゃ心霊もない。そこには男と女のラブゲームのみが展開されていた。このことにビックリしながらも、僕はドンドン引きこまれていった。さらに昭和55年の秋にはドラマ化されて、圭を演じた桂木文にはすっかりフォーリンラブだ。この作品からマンガのカテゴリーが3つになったという意味で、僕にとってこの作品の意味は大きい。

 


そしてとどめはあだち充先生の登場である。『翔んだカップル』の圭こと桂木文ちゃんに夢中になりつつ、『みゆき』に浮気した。『750ライダー』の石井いさみ先生のところで修行を積んだというあだち充先生の作り出す、なんとも空気感のある世界にハマった。血のつながらない妹がほしい。誰もがそう思ったはずだ(ちなみに、よく論争になる(?!)若松みゆき vs 鹿島みゆきは、僕の中では絶対に若松みゆきであり、今回の3番勝負はあえてこの対決にはしなかった)。僕にとってのラブストーリーの系譜はこうした時系列と作品によって作られていったのである。

 

僕のマンガ体験はこんなんでしたが、皆さんはどんなでしたかね? ちなみに、昭和40年男のバランス感覚は、ここら辺も大いに影響しているように思える。スポコンバリバリ、根性絶対主義を徹底的に刷り込まれながら、ギャグマンガとドリフから笑いにも精通していた。そこに加えて、女の子とイチャイチャする軟派道もありというような世界観である。

 

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