大相撲の平成28年。

%e5%a4%a7%e7%9b%b8%e6%92%b2今年のお相撲が千秋楽を迎える。一時人気が凋落したが、近年で完全に盛り返して連日の満員御礼となっているようだ。僕もここ近年はすっかりお相撲好きのおっさんである。夕方6時で終る生中継を見られる機会はほとんどないが、連日の報道に一喜一憂している。今年は琴奨菊関フィーバーで始まり、稀勢の里関フィーバーに変わり、突然の豪栄道関フィーバーとなり九州場所を迎え、地味な鶴竜関の優勝で終えるというなんとも忙しい1年だった。白鵬関、日馬富士関も優勝を決めたからバランスのよい1年とも言えるかもしれない。

相撲を見ていて少々さみしく思うのは、相撲道とよく口にする力士たちから“道”がなくなっていると感じることがあまりにも多いことだ。横綱が立ち合いで変わるなんてのはあってはならず、張るのだって見苦しい。勝つことがすべてになってしまったらそれはスポーツである。相撲ってのは神事であり武道であるはずだ。柔道はグローバル競技になってからは完全にスポーツ化してしまったから、競技名から“道”を外してほしいと思っている。

立ち合いがヨーイドンでないのがいい。歌舞伎や能と同じ“間”なのだ。決着も体が土俵の外に付いただけでなく、体が生きているか否かというジャッジがあるのも和の精神である。そんな精神がいたるところにあるはずの相撲の世界で、最高位にいる横綱が“道”を見せつけることが今こそ重要だが、むしろ勝つために手段を選ばない所作をしばしば見る。

昨日で優勝が決まった。優勝していない稀勢の里関の年間最多勝利も決まった(単独でない可能性は残るが)。今年の締めくくりとなる今日の千秋楽くらいは、全力士が武道と神事に邁進してほしい。

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