昭和40年男的文化遺産。

昭和そば屋

新規の取引先へ初訪問に向かう道でこんなスペシャル昭和な店を見つけた。しばし見入ってしまったのはすべてが行き届いているから。店のヤレ具合と手入れされた植物たち、火の用心と一番搾りののれんも絶妙の位置取りで、クーラーの室外機の主張もなかなかのものだ。これらをまとめ込むカブと、激しいテンション感を加えているシートを補強するピンクのテープ。この色を選ぶとは店主はただ者ではあるまいと考えながら、思わず数枚パチリとやってしまった。メニューのわかるものがなにも出ていないのがミステリアスである。昭和40年男的重要文化財と言っていいここは最近このブログで度々仕掛けている不親切ガイドとさせてもらおう。ズバリ、東京都文京区の小石川植物園のそばだ。きっと聡明な読者さんのなかには、こよなく愛している方がいることだろう。

これほどの昭和には滅多にお目にかかれず、また消えゆく一方なのは寂しい。そしてもっと寂しいのはシャッターが閉まったままになって朽ちているところだ。どんなにヤレていても営んでいれば味になる。逆は強い負のオーラと言うか、どうしようもない寂しさが漂ってしまう。地方だけでなく、東京都心にもそんなシャッター店舗は昨今増える一方だ。

6c220bc7536217736b5bf8eda7e9a1b5-e1423192699594-600x409僕の実家もこんな風にヤレながらも活気があふれる電器屋だった。当時でこれだから、もしも今営業していたら前出のそば屋よりずっといい味を出していたことだろう。もっとも、続けられなかったことはわかっている。本屋、レコード屋、花屋、肉屋、魚屋、八百屋、乾物屋、文房具屋、パン屋、そして僕らの夢が詰まっていた駄菓子屋などなど、幼少の頃世話になっていた活気ある商店はほとんど跡形もない。そこにはたくさんのドラマがあったはずだ。夢、あふれていたはずだ。が、時代の流れってのは残酷であり、人々の暮らしにおいては恩恵でもあるのだ。

時代の流れに突っ張ってこうして営業している店を見るとうれしくなる。電器屋を営んでいた親父の努力と苦労を重ねる姿を見て育ったからこそ、ついつい入店してしまう僕だ。この日は寄れなかったが、次回の新規取引先との打ち合わせは10時スタートに仕込んだ卑しい僕だ。昼頃までみっちりとかかる会議のはずで、終えたらここでそばをすする。まずくたって文句は言わない。これだけの昭和を人々にさらし続けているだけで表彰状ものだ。いやいや、続けてこられたのだから味だって間違いないだろう。近日リリースのグルメレポートを待て!!

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

4件のコメント

  1. プロデューサーさん

    いやいや、まだ当てていませんよ。
    グルメレポートを楽しみにしてます。

    • もうちょっと先になりますが、僕自身も楽しみです。お待ちください。

  2. 小石川植物園の近くということは、
    共同印刷の近くということですか。

    • 毎度鋭いですね。前回の下丸子といいすばらしいです。

コメントは受け付けていません。