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川俣 隆さんとの別れから2年。

2016 年 7 月 28 日 プロデューサー コメント

「ここが川俣さんと初めて呑んだ店なんです」と、彼を紹介してくれた『昭和40年男』で執筆してくれている葉月さんとグラスを合わせた。古くからの読者さんなら川俣 隆の名をご記憶かもしれない。『昭和40年男』では音楽ページを中心に大活躍してくれた方だ。そしてもしかしたら同世代諸氏は『ギターマガジン』の編集長としてご存知かもしれない。

 

 

衝撃の創刊号だった。受験勉強に忙しい(ウソ)中学3年の冬のことで、渡辺香津美さんを表紙に起用した本格的なギター教則雑誌だった。それまでは『ヤングギター』を立ち読みする程度だったが、これは手に入れなければと小遣い生活者には厳しい毎月の出費を強いられることとなった雑誌だ。その創刊から長年に渡り制作にあたった編集長が川俣さんだった。

 

 

5a19994c5d5143c9a2f3b66d5304e55d-e1411097046143-450x600僕は『昭和40年男』を創刊する前に音楽雑誌『音に生きる』を作っていた。その創刊準備時に葉月さんを見つけ出し、音楽に強いライターや編集者を紹介してほしいと頼むとうってつけの人がいると送り込んでくれた。それが川俣さんだった。『ギターマガジン』に関わっていたことを教えてくれていれば、もうちょっと身構えただろう。持参してくれたプロフィールの中に見つけたギターマガジン編集長の文字はビックリ仰天させられた。中坊より高校時代のバイブルとなった雑誌の編集長との対面は、憧れのミュージシャンと会うのと変わらないほどの喜びがあった。僕は出会ったその日に緊張しつつも呑みに誘った。笑顔で付き合ってくれ、翌日は使い物にならないほど盛り上がった夜になった。2006年、夏のことだ。

 

 

以来、仕事だけでなくプライベートもお付き合いさせていただき、バンドでギターまで弾いてもらった。優しい兄貴とはちょくちょく呑んでは翌日その量を後悔したのだった。癌が見つかっても仕事を続けていたがいよいよ悪化の一途をたどっていったのが一昨年だ。見舞いに行くたびに痩せていく川俣さんにいつも「早く元気になって呑みにいきましょう」と言い続けたが、それはとうとうかなわなかった。一昨年の7月25日に逝ってしまい、それを知ったのが2年前の『鈴鹿8耐』取材から帰社した28日だった。僕にとってはなんだかこの日が命日のように感じる。出会ったシーンと別れを知ったシーンは頭から一生離れないだろう。

 

 

そんな彼に今宵は献杯じゃ。25日の『浅草秘密基地』でもグラスを掲げて、今日で今年の儀式は終了する。悲しみは消えず感謝は絶えない。川俣さんが愛した曲の数々を肴に呑る。

 

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