ショーケンのおかげでふれた世界。

アナログ盤の外袋を新しいモノに入れ替える作業に着手したのは今年の春で、つい先日やっと作業が終了した。時間がかかったのは枚数が多いからというわけじゃない。万年貧乏だった僕のコレクションはたいした数でないが、どれも熟考して手に入れて大切に聴き込んだものばかりだから、想い出がギッシリドッサリ詰まっている。それに浸りながらジャケットを眺め、針を落としてしまうこともしばしばあり時間がかかるったらない。

熟考した上で買ったレコードを聴き込み、そのミュージャンを好きになればなるほどルーツを知りたくなる。情報を得ることが困難だったティーンズの頃のことだ。毎号発売日に書店に駆け込んで手に入れた雑誌『ミュージック・ライフ』や、洋楽の専門書を買い込んだり立ち読みしたりしながら調べていく。やっと見つけたルーツの音にふれるのも今のように容易でなかったが、そこは情熱でカバーしてなんとか見つける。ロッド・スチュワートのルーツはサム・クックだった。クイーンのアイドルはジミ・ヘンドリックスだった。なんて具合に掘り込んでいくと元々のミュージシャンより夢中になるなんてこともあり、結果としてオールドロックやブルース、R&Bにハマっていった僕のミュージック・ライフだ。

キレイな外袋に化粧直しが済んで反射がまぶしいぜ(笑)。それにしてもこのジャケットに高校生がよく手を出せたなあ
キレイな外袋へと化粧直しできて反射がまぶしいぜ(笑)。それにしてもこのジャケットに高校生がよく手を出したなあ

そんな風に掘り込んで知ったシンガーの1人が越路吹雪さんだ。まったく縁のない昭和40年男は多いだろうが、そこへと導いたのが萩原健一さんとなると、やや興味がそそられのではないか。初めて買ったショーケンのライブアルバムに収録されていた『ラストダンスは私に』にほれた。原曲はドリフターズ(このヒットのリードヴォーカルは『スタンド・バイ・ミー』のべン・E・キング)だが、全米でヒットしてすぐさま和訳されたバージョンを越路吹雪さんがリリースして大ヒットになった。そしてショーケンがカバーしたのはドリフターズでなく越路さんのバージョンであることを知り、ショーケンのルーツミュージックの1つなんだとその音を探し始めるが、僕が懸命になって張った情報網には引っかからない。そこで僕は勝負に出た。なんとこのアルバムを新品で買ったのだ。万年金欠野郎の財布をこじ開けるほどショーケンにほれていた高校時代の清水寺よりのダイブだった。

針を落としてその昭和っぷりに落胆した。なんか古いぞと。だが僕のショーケン愛は深い。あれほどの方がルーツとするのだからと聴き込んでいくと、古くささの向こうにそれまで聴いた日本人シンガーにはない強い個性と高い歌唱力を見つけた。バカなガキはショーケンの心とシンクロした気になったのだ。以来、このレコードは歌について学びたい日に針を落とす愛聴盤となったのだ。

と、そんな青臭い日々を思い出しながら久しぶりに聴いた越路吹雪さんの歌は、やはり国内最高峰シンガーだなと深く頷いた。ショーケンへの感謝や当時の想い出フラッシュバックを楽しみ、思いがけずいい時間を満喫したおっさんだ。

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2件のコメント

  1. 越路吹雪(”こしじふぶき”を変換したら、一発目は「腰地吹雪」と出た・・・)といえば、中国に来て48歳で煙草を覚えてから、時々「愛の賛歌」を煙草を煙らせながら歌うパフォーマンスをやりますが、「愛の賛歌」は中国の人も初めて聞いた瞬間に「良い歌」と思うらしく、「この歌知っている!良い歌だよねぇ…。」と言われてびっくりしました。「ラストダンスは私に」も時々歌いますが、つい2〜3年前にカナダ人の歌手(名前知らない)がカバーしてアメリカでHitしたと聞きました。良い歌はいつの時代もどんな人にも「良い歌だよね…」と感じるものなのでしょうね。聴いてくれる人(ホステスさん)を楽しませるために色んなパフォーマンスを御披露しますが、「ろくでなし」を鼻の穴にソラマメ入れて歌うのだけはよしておこうと心に決めています(笑)。

    • 『愛の讃歌』がレパートリーとはスゴいシンガーですね(笑)。帰国した際にはカラオケに行きましょう!!

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