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公式RTと非公式RT。

2011 年 4 月 14 日 編集部員 コメント

ツイッターのRT(リツイート)についてである。実は本日、私の完全なる無知と
認識不足から大きな間違いを犯したのだが、そこで思うことがあったので書いて
みたい。編集部でもアカウント(@s40otoko)を取得しており、取材のようすや
日々の作業について日々つぶやいている。そこで起こった出来事である。

 

私はある方のつぶやきに共感を覚えて非公式RTしたのだが、その際に文字数
がオーバーしてしまった。そこでその方のつぶやきに手を加えて文字量を調整
した。そこに“改ざん”という意識はなく、内容が伝わればいいだろうという、軽い
気持ちであった。この意識が大きな過ちの元につながった。

 

書き込んだ直後にご本人より「改ざんはしてほしくない」旨のご指摘をいただいた。
確かに、そこに悪意があろうとなかろうと、自分自信が書いたことと異なる内容が
他人に伝わるのは本意のわけはない。しかも、私の書き換えによって元となるつぶ
やきが持つ意図と大きく異なる伝わり方になってしまったようであった。すぐに謝罪
して対象のRTを削除させていただいたのだが、メディアの端くれにいる者として、
大変恥ずべき行為であったと大いに反省している次第である。

 

ここで自身の認識の甘さとともに、もう一つ気がついたことがある。それは
非公式RTの危うさである。ツイッターがRTをサポートするようになり、公式RTが
存在するのはもちろん知っていた。また、今回の震災で拡散希望ツイートが
意図しない広がりをみせ、解決済み、あるいは間違った内容でも、つぶやいた
本人が消すことができないという問題があることも知った。しかし一方で
他の方のつぶやきに対して、自分のコメントも付けたい場合でも、公式RTでは
できない。そこで非公式RT(QT)を利用する。ほぼ毎回なんらかのコメントを
付けていることから、公式RTの存在を知りながらも、非公式RTを使い続けていた。

 

しかしながら、非公式RTには、元のつぶやきをした方の名前が追加されるので、
名前の分だけ文字量を消費する。そうなると、140文字いっぱいに書かれたつぶやき
の場合、文字量オーバーとなってしまうのだ。まさに今回、それと同じ状況となって
しまったわけで、それで本来のつぶやきを書き換えるという行為に及んでしまった
(重ねて申し訳ありません)わけだ。調べてみると、他にもそれと似た事例が
多数見つかった。下記はその一部である。
Togetter – 「悪意なき非公式RTの悲劇」
Togetter – 「非公式RTでの巻き込み事故」

 

RT元の意図と異なる拡散や、他者の巻き込みなど、非公式RTは多くの問題を
はらんでいることを知った。ツイッターはあまりにも気軽に参加できるメディアゆえ
に、それを扱うときは細心の注意が必要なのだ。一方で、そのことをご指摘いた
だけたことで、そのことの恐さを知ることもできた。これはツイッターのもつ良さで
あり、紙媒体が持っていないものだとも思う。今回の件を糧として、元の文章に
手を加えないのはもちろんであるが、非公式RTについても、必要のない場合は
使用せず、また引用が必要であれば当該つぶやきのURLを添付するなどの対
策をしていこうと思う。

 

◆副編集長:小笠原
最近、健康診断でメタボ非該当と診断されて一安心しているメタボ予備軍。

カテゴリー: 編集部員のぼやき
  1. 2011年 4月 14日 15:41 | #1

    RTの公式・非公式是非論はコンセンサスが非常に曖昧で、まだまだ議論のとばくちです。Twitterの書き込みにどこまで著作権を主張できるかという問題もはっきりしていませんし、何せ140字というタイトな制限ですから、かいつまんで引用する行為は日常的にある一方で、どこまでかいつまむのがいいのか、物理的な壁と相まってシビアな問題をはらんでいます。
    ただ一方で、Twitter(Facebookもそうですが)はすぐに修正が可能なメディアという斬新性もお互い理解しておく必要があります。間違ったことが(意図せざる書き換えも含め)見つかったら、発言者にすぐさま指摘して訂正ツイートを直ちに出せる。手の付けられない炎上も確かに発生するけれども、明確な否定発言を示すことで一応の態度表明は即座にできる。今回最初の発言者からの指摘があって、それに対応したということはある意味その機能がうまく働いたと言えるのです。結果、それ以降オリジナルの投稿者の意思が誤解を伴って伝播されずにすんだと。これが例えば新聞なら半日以上放置状態となるわけですから。
    Twitterの使われ方が成熟する中でその当たりの認識はいずれ修練されていくと思いますが、まだ社会全般としてTwitterの運用になれていない今は、こうした事象は試練として起こっていくのでしょうね。
    個人的には、その意味で文字数制限もなく引用をそのまま提示できるFacebookの方が、情報伝播装置として有効だと思うのですがね。