悲しみのレコードショップ。

CD店ナウでヤングな若者が集う場所だったレコードショップが、いまや閑古鳥状態となっているところをちょくちょく見かける。当時の活気を知っている昭和40年男にとって、写真のような状態に出くわすとつらくてならない。

情報が少ない時代の貧乏中坊にとって、レコード店は重要な情報収集拠点だった。新譜の帯を読んでは自分の知識にしていく。学校で習うことは頭に入らないのにこれらはドンドン吸収できた。意味のわからないカタカナ用語を丸呑みでストックしていき、僕にとっての教科書『ミュージックライフ』でそれらの単語を見つけては意味を解明しようとしていた。

僕ら世代はそうした無駄な時間を多く過ごした。ネットで検索すれば用語そのものどころか意味も1発でわかる。記憶なんかしなくても、スマホを持っていればなにも困らない。好きな音楽だって、アルバム単位なんて無駄な買い方はしなくていい。好きな曲だけを直撃して聴き込めばいいのだから、このショップの状態は仕方ない。

だが僕らが過ごした無駄は栄養にもなっている。アルバムをひとつの作品として聴き込むことは、そのミュージシャンを理解する上ではものすごく有意義なことだ。ヒットした曲がたまたま変化球だったりするミュージシャンもいるからなおさらだ。また、数年過去に遡ったアルバムと聴き比べると、そのミュージシャンへの理解度がグーンと深まる。「いいなあ」と唸る曲以外も、きっと奥になにかあるのだと探り続けて聴き込んだことは、僕にいろんな成長をもたらしてくれた。無駄は決して無駄ではないし、無駄にしてしまうのは自分自身によってだ。

と、そんなことを考えながらこの店で探し物をしたが、残念ながらお目当ての1枚はなかった。そんなときでも普段はなにかしら手にするのだが、隙間だらけのラックから取り出してレジへと運ぶのがなんだか悲しく思えて手ぶらで帰ったのは、残念なことに無駄な時間にしてしまったことになる。そして僕が徘徊している最中、ここに立ち寄った客は1人もいなかった。

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3件のコメント

  1. 「レコードマップ」という全国のレコード屋さんを紹介している本が毎年出てたのですが,いつしか「レコード&CDマップ」になってしまいました。嗚呼…

  2. あの頃、LP盤に一旦針を落とすと片面5曲くらいある中で、1曲くらいは〝変化球”、つまり自分好みじゃない〝捨て曲”があったりして、それでもいちいち飛ばすようなことはしなかったから、その数分間を当時は〝無駄な時間”と思いながらも、ただひたすら修行僧のようにじっと耐え忍んでたよねぇ~(笑)

    • 中学生の頃は長いギターソロも我慢タイムでしたが、やがてそこが聴きどころに変わるのだから音楽って素晴らしい。かつて捨て曲も今だったら…、ってそんなことはないですかね。

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