東北取材敢行。

遅ればせながら、来週の13・14日で東北取材に出かけることにした。
まだ予定ではあるが、カメラマン武田と2人で状況を切り刻んでこよう
と思っている。割ける時間や人員を考えると、多くのことを吸収するの
は困難だと思うが、やれる範囲でもいい。やらないよりはいい。とにか
く行くことにした。予断を許さない状況ではあるから、まだ予定としか
言えないが準備は進めている。

昨日は現地にいち早く入ったタメ年医師である吉岡氏にインタビュー
できた。彼はミャンマーに医療を届けるジャパンハートというNGOの
代表でもあり、たまたま日本に帰る予定の数日前に地震が起きた。
正確に惨状を知ったのは帰国してからだそうだ。ふたたびミャンマー
に帰る予定があったものの、あまりの状況に滞在を決めて医師の派遣
を指示し、自らも21日には福島に入ったそうだ。誤って原発から3㎞の
ところを走ってしまったと笑いながら話されたが、こちらは笑えない。
焼け野原を見たとも言っていた。そんな光景を見たとして、僕はどう
受け止めどんな言葉を紡ぐのだろうか? 自分自身にも想像がつか
ない今回の取材である。あたり前だ、戦後最大の危機的状況なの
だから、想像なんかが及ぶはずがない。戦場取材を繰り返していた
り、ニューヨークに9月11日にいたならまだしも、そんな惨状は映像
越しでしか見たことがない。しかも、この国を愛する1人として受け止め
なければならないのかと思うと、たいした強さを誇っていない僕の心が
きっと大きく軋むことだろう。だが行く。僕たちは今まさに社会の中間
管理職として行動しなければならない。未来へと、子孫の代へとこの
国を少しでもいい状態で渡すことが、これから生きていくテーマになった
のだ。

どんなページになるか、これほど予想がつかない取材も生まれて初めて
である。これから様々な場面で同じことを思うことであろう。日本は大きく
舵を切るのだから、これまでの考え方とかやり方なんかで行動を練り上
げることには意味がない場面が増えてくるかもしれない。事実、大マスコ
ミの立ち位置は地殻変動を起こしているかのごとくポジショニングしている。
これに関してはまた別の機会に書こうと思うが、もしかしたら戦後とはこうし
た場面の連続だったのかもしれないと、腹をくくっている次第だ。

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