タメ年男の刺激。

鶴田先週金曜より昨日まで西方面へ出張に出た。早朝にハイエースに乗り込んでまず向かったのは名古屋の鶴田竜二の店だ。バイクの販売、バイクパーツの開発製造、レースチーム監督、レーサー、バイク雑誌のテストライダーなどなど、多岐に渡り活躍している。

タメ年の彼と出会ったのは1998年だから、ずいぶんと長い付き合いになったものだ。ウチが手がけるバイク雑誌のテストライダーに登場願ったのが最初で、以来、イベントを一緒に立ち上げたりレースの取材をさせてもらったりと仕事での付き合いは多い。呑み仲間でもあり語り合えばその懸命な姿勢にパワーをもらう。

近年は国内レースだけでなく、アジアロードレース選手権にも参戦していて、去年は250ccクラスでチャンピオンに輝いた。アジアのバイクシーンは熱く、ちょうど日本でバイクブームが巻き起こった頃に似ているそうだ。そこで『トリックスターレーシング』が優勝したのは、ブランドイメージを大きく向上させただろう。鶴田氏はずいぶん前からビジネスフィールドとしてアジアを考えており、狙った通りに下地を作っている。出たいけれどなかなか時間がとウジウジしている僕に比べると素早く、その姿勢は学ばなければならぬ。

国内の市場活性にも熱心だ。レースってのはとにかく金がかかる。商売で稼いだ金をつぎ込んで参戦を続けているが、アジアに比べたらその見返りは少ないどころかほとんどないと言ってもいいかもしれない。僕らが10代だった頃のレースブームは幻だったのではと思うほど、全日本ロードレースの会場はさみしい。夏の祭典『鈴鹿8時間耐久レース』も、当時の20万人動員なんて夢のまた夢状態が続いている。それでも鶴田氏は見捨てたりせず、懸命な参戦を続けているのだ。「好きだから」と笑うが、彼の強いモチベーションはレースシーンを盛り上げたいからに尽きる。俺たち世代に強くメッセージされた、キャシャーンがやらねば誰がやるの精神を貫いているのだ。

てな話に終始しながらの1時間半はあっという間に過ぎ、彼に見送られて名古屋を後にした。僕に残ったのは彼と同じく、やらねばの強い気持ちだ。多くの刺激を受け「ありがとう」と…、本人には照れくさいから言わなかった。

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