馳浩大臣の言葉にふるいたった昭和40年男。

一昨日は素晴らしい1日だった。訪問したのは文部科学省の大臣室で、待っていてくれたのは馳浩大臣だ。ご存知の通り、オリンピックに出場後プロレスラーとして大活躍し、政治の世界へとチャレンジした男だ。「どうぞ」と太い声で招き入れてくれたのは残念ながら僕じゃない(笑)。国内バイクレースの最高峰、JSB1000で前人未到の4連覇と6回目のチャンピオンを獲得した中須賀克行選手だ。

大臣_中須賀選手
彼は今年の国内レースにおいて絶対王者だった。開幕戦こそ2位に甘んじたが、その後すべてのレースに勝った。表彰台の一番高いところに立ち続けて、レース後の記者会見では常に真ん中にいたのだ。

僕が彼に感心したのは、勝利の記者会見で常に言い続けた「壁になる」という言葉だった。一昨日は大臣を訪ねる前にメディアとの懇親会が開催された。ここでも同じ言葉を繰り返した。34歳になった彼が、若いライダーたちに俺を乗り越えて世界を目指せとメッセージする姿勢は美しい。懇親会では彼とのコミュニケーションを楽しみ、強さの向こう側を垣間見られたことに大満足したおっさんで、“げんかつぎ”が多いとのことはシンパシーを感じた。あっという間の2時間の懇親会を終えて霞ヶ関へと向かった。

中須賀さんより大臣に記念のヘルメットが送られた後、会談が始まると馳大臣は次々と質問をぶつけた。ここでちょっとしたハプニングがあった。大臣は前人未到の4連覇に呼応して、なぜ世界へ出ないのかとたずねる。彼は全日本を戦う傍らで、ヤマハが世界最高峰のレースで戦うベースマシンの開発を担っている。今年のヤマハは世界最高峰クラスでも圧倒的な強さを見せた。この基礎を作ったのが中須賀さんということになる。だが大臣はそれは他のヤツに任せろと言い放ち、これには大臣室にいたヤマハのレース担当もたじたじの場面だったのだ。中須賀さん本人もチャンスがあれば行きたいとしながらも、開発の仕事の重さを大臣に伝えた。が、そこはオリンピック出場経験もあるプロレスラーであり一流のアスリートだ。「ヤマハは日本の会社だろ、だったら日本人を世界で戦わせるべきだ」との持論を展開してくれ、これにはメディア一同から大きな拍手が送られた。

この問答を、昨日大好きなヤマハマンに報告した。そして僕も業界側にいるから、世界は無理かなと勝手に決め込んでいたがそんなことはないと気付いたと伝えたのだ。失礼ながらレースに関しては素人の大臣が言い放った言葉の数々は、すべてが正論でありアスリート魂にあふれたものだった。中須賀さんも馳大臣の力強い言葉をかみしめていたように思う。取材に来ていた東京中日スポーツは昨日カラー半ページを使って報じ、大見出しは“世界に出ろ!!”としていた。

バイク業界のことを深く理解することで、知らず知らずに若者の芽を摘んでいたことになるのかもしれない。本来であれば、可能性が低くてもその芽を伸ばすことにコミットしていくのがおっさんの使命じゃねえかとフンドシを締めた。これが一昨日の収穫で、冒頭で素晴らしい1日としたのところだ。世界で出ろ!! 中須賀。この師走にかっかと燃えてきた、今日もおバカな昭和40年男だ。

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