広告が入ったぞ。〜こんな仕組みもありました〜

まだまだ少ないものの、次号もいくつかの広告をいただいた。クライアント、
広告代理店も皆様、ご理解とご協力をありがとうございます。

雑誌からの広告離れは著しいものの、各企業においてのターゲティングが明確で
あればあるほど有用性はまだまだ高いはずである。しかも、『昭和40年男』のような
ターゲティングは時代の要請であり、かつ広告においても伝わりやすい展開がつくり
やすい。今後の可能性は明るいものと信じて進んでいきたいと思う。PR活動を俯瞰で
見たときの、雑誌を含めたメディア広告の持つ意味は重々理解しているうえでだよ。
盲目的に雑誌はまだ捨て難いとかいう気はないっす。と、ここでいいたいのはメディア
広告論ではない。広告に対する編集長視点での雑感をつづってみたい。

まず大前提としてありがたい。50万円で広告をいただいたとしよう。これを定価680円で
割ったら約735冊分である。もちろん流通経費や書店・問屋マージンなどがあるわけ
だから、実際に販売で50万円を稼ごうとすると約1,200冊売らなければならない。なんとも
微妙な均衡のとれた数字じゃないですか? もしも、もしもですよ。100件の広告が取れたら
12万部の販売を誇る雑誌と収入は同じわけです。おーっ、こうなるとすげーっ。

僕らが本格的に雑誌業界へと足を踏み入れたのは、ある出版社と編集プロダクション
が立ち上げるプロジェクトの広告部としてだった。三位一体のビジネスモデルをつくった
のだ。前にも解説したが全国に流通させる雑誌を新規で発行するのは、今でこそ
ずいぶんとハードルは低くはなったがかなり難しい。現実問題として、編プロが版元に
なるということは資金面も含めてあまりないのだ。だが、編プロは編プロでいろんな
雑誌から細かくページを受けるより、ドーンと1冊安定的にビジネスしたい。そこで、
持ち込み企画が版元に寄せられるのだ。編プロがいい本をつくり、版元はその本が
売れるか売れないかわからないがリスクを負うというわけだ。そこに僕らが絡んだのは? 
このときの版元が莫大な印刷費など、発行リスクを分散させるために、広告ページを
権利として1冊丸ごといくらで広告会社、つまり僕たちに卸したのだ。

編プロは制作費として出版社からお金をもらい、その中から利益を確保しながら誌面を
つくり版元に納める。綿密でないまでも予算編成して作業に望むわけだ。僕たちは出版社
にお金を払った以上の広告をぶんどってくればウハウハに儲かるが、もしも仕入額に
満たない広告しか取ってこられなければ赤字である。大きなリスクを負うことになった
のだ。1994年にビジネスをスタートさせたときの僕の会社の仕入額は400万円だった。
そして、編プロがもらった制作費も400万円で、このビジネスはスタートした。以下、
版元社長と編プロ社長とのこんな会話だったそうだ。別に密室での会談を内緒で聞いた
というわけでなく、双方とも後に僕に語っていたからわりと正確な再現である。

 「絶対売れますよ。今ブームですし」

当時、若干のかげりを見せ始めたオフロード雑誌の企画を持ち込んだ編プロの社長だ。

 「うーん、問題は広告だな。ウチはバイクの営業部持っていないからな。どっかないの?
  顔広いんだからさあ、広告代理店」

版元社長はこの持ち込んだ編プロ社長の名前を知っていて、気持ちとしては前向きだったようだ。

 「ちょっと当たってみますよ」
 「そうだねぇ、この制作費の400万は入れてほしいね」

そして編プロ社長はほうぼうに電話を入れた。このとき引っかかった鴨が可愛い僕だったんだよーん。
でたーっ、ヨーンが出たということは。続くよーん(笑)。

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