若きライダーの悔しさにシンクロする昭和40年男。

ちょうど1週間前の日曜日を思い出すと、ふーっとつい深いため息をついてしまう。その日僕は、阿蘇山にほど近い大分県の国際サーキット『オートポリス』にいた。バイクレースにおける日本の頂点『全日本ロードレース』の後半戦がいよいよ始まり、その取材だった。いつも仕事でご一緒しているカワサキの若きエースライダー渡辺一樹選手に注目していた。

『オートポリス』は彼の好きなコースで、独走気味になってきたヤマハチームの勢いを止めるためにも絶対に勝ちたいレースだった。マシンのセッティングもそのヤマハに勝つために煮詰めてきた。ターゲットは1台のみなのだ。が、負けた。なんとか表彰台には上がったものの、ヤマハは圧倒的に強かった。競るには競ったものの、向こうにはまだまだマージンがあるように感じた。全日本ロードレースで唯一のメーカーファクトリーでのぞんでいる戦闘力は高く、またそのベースとなっている市販車のYZF−R1の出来が良すぎる。と、そんなことを並べたところで言い訳に過ぎない。

中央がヤマハの中須賀選手、左がこの日2位だったスズキのエース、津田選手。そして右が3位に終わった渡辺選手だ
中央がヤマハの中須賀選手、左がこの日2位だったスズキのエース、津田選手。そして右が3位に終わった渡辺選手。表情を見てのとおり勝利者は1人だけで、それ以外は負けなのだ

表彰式が終わるとそのままプレスルームで記者会見となり、悔しそうな表情の彼がいた。いつも仕事で見る温和な顔とはまったく異なり、厳しさと悔しさがごちゃ混ぜになった顔だ。でもそんな彼を見て嬉しく感じてしまう自分もいる。カワサキとの契約を勝ち取って全日本を走るようになったのは一昨年で、勝てる気がまったくしなかった。去年はみるみる逞しくなっていったものの、今年に比べたらまだエースという意識は低かった。表彰台の真ん中に立つイメージも出来なかった。が、今年は去年以上に成長を見せ、エースの自覚も勝つという意識も、走りそのものとパランスが取れている。スズキ、ホンダにも同世代のエースが1人ずついて、今年の渡辺選手はそこに加わり完全な三つ巴になった。去年はここに入れるところにいなかったのだから、あっぱれの成長である。が、一世代上の現在トップにいるヤマハの中須賀選手と比べると、残念ながら3人の塊はわずかながら落ちる。チーム体制やマシンのことをさっ引いても強さがあり、それを重々承知しているからこそもがいている渡辺選手だ。

記者会見が終わり声をかけた。なんどもなんども「悔しさ」を繰り返した。勝ちたかったし、勝つつもりでいた。が、中須賀選手はやはり強かった。だが、あれだけ強い壁が立ちはだかっていることは幸運なことだとも言える。もしもなんてのはいささかチープだが、彼がいなかったら三つ巴の中での成長でしかない。彼にとって、今そこは眼中に無いと言っていいほど上だけを見てることは、成長のカーブがまったく異なるはずだ。現在25歳だから、レーサーとしての人生をどこまで高いステージに上げられるかは今年を含んで3年といったところだろう。そこに高い壁があることをよしとしたい。そしてそう振り返られる3年にしてほしいと切に願う。

この後は2つの大会で3レースを戦うが、よい来年につなげるためにも表彰台の真ん中を目指したい。とくに最終戦の舞台となる鈴鹿サーキットは、これまた彼が得意とするコースだ。しかも最終戦ということで2レースがプログラムされる。ここは1日2度の表彰台の真ん中を見せてほしい。

振り返れば彼の倍になる僕の人生も、悔しさの連続だった。きっとみなさんもそうだろう。彼のようなスケールの大きな世界ではなかったが、己の中にある気持ちは変わらないだろう。悔しいと思うたびに成長させてもらってきた。立ちはだかる壁はある程度の高さがあった方がいい。すぐにクリアできてしまったら、その程度しか強くなれないもの。彼の前にある壁、僕の前にそびえる壁。やれやれ、どっちも高いなあ(笑)。

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2件のコメント

  1. 昔、四輪では「星野を倒して世界へ行く」みたいな流れがありましたね。
    中嶋悟選手は星野選手のセカンドドライバーだったし、亜久里選手も右京選手も星野選手を倒してF1へ行きました。
    当時の星野選手、また現在の中須賀選手にしても、自らも世界を狙う立場だから「超えるべき壁」扱いされるのは不本意でしょうが、若手には絶対必要な存在ですよね。

    • 中須賀選手は、自らを壁だと言い始めてます。自分の今がよくわかっているなと、その言葉を聞いた記者会見では不意に涙がこぼれてしまいましたよ。

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