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空前のマラソンブームに引き裂かれた昭和40年男。

2015 年 9 月 15 日 プロデューサー コメント

20代の頃より年に1度だけフルマラソンにチャレンジする。普段から走っているわけじゃなく、若かりし日は練習らしい練習はほとんど無しで大会にのぞんでいたバカモノだ。加齢によってさすがに練習無しというわけにいかなくなり、大会前の1ヶ月くらいは意識するようになった。そして50歳を前にして、僕にとっては大きな壁となる4時間切りを本気で目指したがダメだった。このままズルズルとダメなランナーになるのは嫌だと、ならば50歳1発目となる42.195kmで達成してやろうという気持ちになり、年間を通じて大会にエントリーしようと誓った。1月のことだ。そんな話を読者さんの集い『浅草秘密基地』でしていたら、興味のある者がひとり、またひとりと一緒に走ろうとなり、今や陸上部を名乗る6人のチームとなったのだ。きっとこれからも増えていくことだろう。入部の手続きは秘密基地会場でお待ちしてます(笑)。

 

陸上部が創部して初のエントリーとなった今年の3月のハーフの完走後の写真だ。この後もう1本ハーフを走り、11月に3回目の音とリーのはずだったが…

陸上部が創部して初のエントリーとなった今年の3月のハーフの完走後の写真だ。この後もう1本ハーフを走り、11月に3回目の音とリーのはずだったが…

さて、この陸上部員全員が揃って11月のハーフマラソンに参加することになった。が、大会のエントリー間もなく締め切られてしまい、エントリーできたのは3人で、もたもたしていた2人が当日併催される10kmの部に変更を余儀なくされた。さらに仕事の予定がハッキリしていなかった僕に至っては、10kmさえ間に合わなかった。残念無念である。この背景には空前のマラソンブームがある。全国各地のビッグシティで次々にフルマラソンの開催が始まったのは、言うまでもなく石原元都知事の大英断と強力なリーダーシップにより2007年にスタートした『東京マラソン』によるものだ。この大会を機にシティランナーが爆発的に増えた。

そんなブームが僕のような大会難民を招いている(泣)。大会自体は、僕が走り始めた頃と比にならないほど増えているが、それ以上にランナーの数が増えているのだ。毎年1月末日に僕が走っている茨城県の大会『勝田全国マラソン』も、ここ近年はランナーの数が急増している。毎年適度な人数で、どこかのんびりとした大会だったが、何年か前にはスタート区分が早い順にA〜Eとゼッケンに書き込まれるようになり、オペレートサイドも年々必死な感じになってきている。そこにかつてののんびり感はない。そしてさらに、来年のエントリーからは〆切制度を設けるとの情報が入ってきたのだ。東京のような抽選でないものの、僕が脱落した大会同様先着順となるそうだ。「おお、勝田よ。お前もか」な気分で、対策している今日である。

さらにみんなと走れなくなっちまったから1人で走ろうと大会を探しているのだが、めぼしいのはほとんどが定員になっている。残っているのは周回でのコース設定や、不人気大会ばかりだ。残念だが、部長と呼ばれている僕はそんな大会で走ることになる。ブームの裏でこんな涙もあるんだなあ。50歳最初となる大会はひとりぼっちさっ。

 

 

 

  1. avatar
    浅野
    2015年 9月 15日 20:59 | #1

    ハーフは2人しか走れないよ(>_<)
    俺も10kmしか走れないから、周回でも何でも付き合いますよ(^^ゞ
    ハーフまでよ(^^)
    みんなそろそろエンジンかかってくるんじゃないかな(^-^)/

  2. そうでしたか、さらに1人もれていたのですね。部長失格(笑)。

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    プロデューサー