旅先で考える、旅とは? パート2

今号より連載する、日本橋から京都までの徒歩の旅企画を、先ほど清水港で
フィニッシュした。今日の静岡県は最高気温19℃との予報どおり、春の陽気
どころかシャツ1枚で十分な程だった。歩いているといろんなことを考える。
そして行きついた、僕にとって旅ってなんじゃ? この3日間の旅の合間に
45歳の自分をちょっくら整理してみようかなと、自分がこれまでしてきた旅を
脳内トレースした。高校の卒業式を終えたばかりの少年は、初めての一泊
一人旅に出たところまで昨日のブログに書いた。そこからは長い社会人として
の旅になるのだが、そういう話は置いといて、いわゆる旅を振り返っている。

高校卒業以後もチョクチョクと旅へと出かけた。電車で行くことが多かった。
まだバイクの免許を持っていなかったし、車は未だに持っていないからね。
やがて家庭を持つようになり、一人旅からは遠ざかってしまった。まあ、
みなさんもそうでしょう。子供が小さなときは、家族旅行の方がいいものね。
だがやがて、僕はバイクという金色の翼なのか、禁断の果実なのかわからんが
移動手段を得てしまった。これがそれまでの旅とは異なるカタチを連れてきたこと
になる。まず大前提であるが、バイクは一人なのである。ケツに女の子を乗せて
というパターンはごくわずかながらあるものの、多くのバイク乗りがそうであろう、
基本的にケツに乗っけるのはおもしろくなくて、シチュエーションとしてもあまり
ない。雨がいつ降ってくるかもわからん。風を受け続けて快適でない。ケツに
乗った人も「ああ、爽快」なんて思うのは始めの10分程度のことで、快適な旅は
のぞめないからね。まあ基本は、1人を楽しむ乗り物である。

当然ながら、ツーリングなるものに出かけるようになる。仲間と行っても、走っている
ときの風の変化や景色のすばらしさを感じているときはひとりぼっちなのである。
ヘルメットの中で声に出して「うーっ、気持ちいいー」とか「富士山サイコー」なんて
言っちゃっても、誰にも聞こえない。放送禁止用語なんかを叫んでもいいのである。
バイクに乗らないものはこのすばらしさを知らないのだから、もったいないどころか
損している。僕はオフロードタイプのバイクが好きで所有している。なにがステキかって
地図に記されていないような道に入っていけるのだ。奥深い山の森へと入っていき、
バイクを止めると木々や生き物のさえずりが聞こえてくるのである。そんなところに
小さな川を見つけ、マッパーに変身して入っていくのが僕がバイクという翼を得て
感じた至福である(笑)。と、言うと当然ながらバカにされるが、みんな知らないのだ。
山を分け入っていくたくましいバイクでたどり着いた先のオアシスが、男の冒険心を
ビンビンに満たしてくれることをね。とにかく!! バイクの旅は電車と違って時間に
縛られず、チャリンコと違い体力に制限されず、さらには地図にもとらわれない、
ステキな旅ツールなのである。

30代になると、僕の仕事はどんどんと忙しくなっていき出張の機会が増えていった。
コイツを一人旅にしてしまうのだ。出張は交通費がもったいないから、1回でできるだけ
多くの仕事をこなしてくるように組む。当然、泊まりになるから夜が空く。こいつを旅モードに
変えるという技を、いつからか取得した。行く先々の街は、男の旅心を満たす魅力が満載
である。呑み屋は最高のダンディズム修練場なのだ。のれんをくぐり1人でカウンターに
座る。主人とたわいもないが、ピリッと山椒が利いたような会話を楽しむ。行儀がいいわけ
ではないが、店を不快にさせない呑み方をして、あまり長っ尻をしない(実はこれが苦手)。
「じゃあ、また来るよ」と会計しながらこの街にあるいいバーを紹介してもらう。そうして行った
先のバーでは「ラガブーリン。ロック、ダブルで」とキメて、先ほど同様にはしゃがず騒がず、
じっくりと呑る。マスターに身をゆだねるように会話を楽しんだり、その所作に見入りながら
静かに過ごすのもいい。こうして夜を締めくくるだけで、出張は旅になるのだ。

って、なんの話だっけ? 明日へ続くのだ、これでいいのだ。

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